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大空小学校の卒業生たちのその後の10年を振り返る:「みんなの学校」卒業生 座談会 第4回

「みんなの学校」こと、大阪市立大空小学校では、「すべての子どもの学習権を保障する」ことを理念に掲げ、障害のある子もない子もそれぞれの個性を大切にしながら、同じ教室で学ぶ。また、学校は地域のものという考えの下、学校は常に開かれており、サポーター(保護者)や地域住民が自由に授業に参加し、困っている子に寄り添っている。

「インクルーシブ教育の理想の姿」という多くの賛同を得る一方で、「特別支援を要する子どもが同じ教室にいると、『普通』の子どもたちの学力が付かない」などの外部からの批判も絶えない。

大空小学校で学んだ卒業生たちが現在どのような考えをもち、どのような人生を踏み出しているのかを探る座談会シリーズ。

第4回は、高校時代に視覚障害を負うも、前向きな考えと行動力から人生を切り開き、パラリンピック出場を目指している金山英樹さんが参加。

開校から2015年までの9年間、校長を務め、大空小学校の教育の礎をつくった木村泰子、大空小学校の実践研究を行う小国喜弘らとの座談会から、インクルーシブ教育や特別支援教育の課題と、今後のあり方について考える。

座談会参加者

  • 金山英樹(かなやま・えいき)1999年生まれ。2012年、大阪市立大空小学校卒業。大阪府立堺工科高等学校入学後、先天性緑内障を発症し、視覚障害者となる。同校卒業後、大阪府立大阪南視覚支援学校に在学中。近畿パラ陸上競技協会所属。砲丸投げの種目でパラリンピック出場を目指している。第33回日本パラ陸上選手権大会優勝、2022ジャパンバラリンピック優勝など。
  • 木村泰子(きむら・やすこ)2006年~2015年、大阪市立大空小学校の初代校長を務める。すべての子どもの学習権を保障する学校をつくることに尽力。2015年、45年の教員生活を終え、現在は全国各地で公演活動を行う。著書に『「みんなの学校」をつくるために』(小国喜弘との共著・小学館) ほか多数。
  • 小国喜弘(こくに・よしひろ)1966年兵庫県生まれ。早稲田大学教授等を経て、東京大学大学院教育学研究科教授。大空小学校の実践研究を行い、インクルーシブ教育の新たな可能性を模索している。著書に『戦後教育のなかの〈国民〉―乱反射するナショナリズム』(吉川弘文館)等。
  • 大島勇輔(おおしま・ゆうすけ)1983年大阪府生まれ。大阪市公立小学校教諭。株式会社リクルートに入社した後、母子生活支援施設で学習指導員をしながら大空小でのボランティアを経て、教員に。2011年~2016年度まで大空小に勤務。現任校では教務主任を務める。
  • 上田美穂(うえだ・みほ)大阪市公立小学校教諭。2011年度から3年間、大空小学校で講師をしたのち、2014年に新採として大空小に赴任。同校では2019年度まで特別支援教育コーディネーターとして、様々な子どもたちに関わった。

本文

【金山】 最初に、この会(大空小学校卒業生の声を聞く会)の趣旨を教えていただきたいです。

【小国】 大空小学校は開校から15年以上が経ちますので、卒業生の中には社会で活躍されている方も出てきています。その方たちにとって小学校で学ばれた体験がその後の生活にどんなふうに役立っているのかを知るということが、この会を始めた大きな目的です。

いろいろな特性を持った人たちが尊重し合いながら学び合って、みんなが一緒になって学校をつくること、これをインクルーシブ教育と言いますけれど、今とても大切なこととされています。そして、大空小学校は、インクルーシブ教育のモデルの一つになっています。

ところが、第2・第3の大空小学校(=「みんなの学校」)が、なかなか広がっていないという現状があります。世間的にいう一般的な学校とは違った教育環境で過ごした大空小学校の卒業生たちは中学や高校に入ってから苦労するのではないかとか、学力が付いていないんじゃないかというネガティブな声を探して、「みんなの学校」をつくる必要はないという考えが、教育の世界では根強くはびこっているように思います。

そこで、大空小学校の卒業生の方たちに当時のエピソードや率直な考え、その後の人生をどう切り開いてきたかといったことなどを伺って、それらを多くの方々に共有してもらうということが趣旨になります。

【金山】 言い方は悪いのですが、染み付いてしまっている先生方の「偏見」をぶっ壊そうということですね。

【小国】 はい、そのとおりです。物事の本質をすぐに理解されて素晴らしいですね。

【金山】 大空小学校を昔のように変えるために、当時のことを知っている卒業生に話を聞きたいのかなと思ったんです。でも、僕は昔の大空は知っているけれど、今の大空のことは知らないので。そういう趣旨なら、役に立てることはあるかもしれません。

【木村】 大空小学校ってどんな学校でしたか?

【金山】 みんなはほかの学校とは違う学校と認識されているかもしれないけれど、僕は普通の小学校だと思っています。ほかの小学校と変わることなく、地域に存在する小学校ですね。

【木村】 うん、卒業生はみんなそう言います。
でも、今は周りと少し違っていたり、「普通」ではなかったりしたら、子どもが学校に行かれないような状況になっていて、そういう現象が全国的にみられます。大空小学校にはいろいろな個性をもった子どもたちがたくさんいたと思うんだけれど、エイキはそのことをどんなふうに感じていた?

【金山】 うちの弟(第1回出席者の金山昌平さん)の学年には、障害をもった子がいたから認識しやすかっただろうし、そういう環境にいたからこそ学べることがあったとも言っています(第1回参照 https://www.p.u-tokyo.ac.jp/cbfe/interview/report20220829/)。でも、自分の学年にはいなかったので、そういう子が学校にいるという認識はあったけれど、だからどうということはなかったです。

【木村】 2019年4月、新しく大空に赴任してきた先生のためのオリエンテーションで、卒業生のエイキが語ったことがありましたね。そのときのこと教えてよ。

【金山】 経緯を説明すると、大空から転出する先生がいたのでご挨拶に行かせてもらったときに、お互いの悩み事などをその場で語り合ったんです。大空から出ていくことへの不安や新しい学校で挑戦したいことについての話が出たときに、正解を出せたかはわからないけれど、僕なりの意見をぶつけました。そうしたら、その先生の考えが少しまとまったようでよい反応があったんです。たまたま横で聞いていた当時の校長から、今の話をそのままオリエンテーションで話してほしいとオファーを受けたんです。
ただ、どんな話をしたのか、内容はまったく覚えていません。計画なしにアドリブで話をしたので、僕自身が途中で何を言っているのか分からなくなってしまって…。僕の中では黒歴史です(笑)。

【上田】 大空の職員室が「子どもの安心できる居場所であってほしい」と、エイキは言っていました。何かあったときに職員室に子どもが相談にやって来て、教室にまた帰っていけるような環境にしてほしいということを強調していたと思います。

【金山】 そのことは覚えていません。確か、発達障害や知的障害の子どもとどう関わったらいいかについて話してほしいというリクエストがあって、「とことん寄り添う」のがいちばん。寄り添ったつもり、やったつもりというのは、やっていないのと同じですという話をしたのは、うっすらと記憶にあります。

【木村】 とことん寄り添うのがいいっていうのは、どういうところから思いいたったの?

【金山】 僕は高校生のときに障害を負って、片目の視力が完全にありません。見えている目も視力が0.4で、視野が10度以内。そして、進行性の病なので、いつどうなるかはわかりません。自分の障害を受け入れて、周りの人にこんなふうにしゃべれるようにならないと、何も変わらないと思っています。

どんな障害があって、どんな協力をしてほしいのかを、自分が伝えれば、相手はわかってくれます。「障害をもった人たちが自分らしく生きるには、自分から発信すること」。それが、僕なりの答えです。

だけど、知的障害や発達障害をもった小学生が、自分で先生に説明することは難しい。なぜなら、自分の障害について理解していないから。
では、誰が伝えるのかといったら、保護者だと思います。自分の子どもは、こんなときにこういう行動をするといったことを細かく伝えていれば、先生たちもその子の情報を把握して寄り添いながら接することができるのではないでしょうか。そういう関わりを続けていけば、その子と先生に少しずつ信頼関係ができていくと思います。もちろん、いつかは自分の障害を受け入れて、理解して、自分で説明できるようにならなければいけないとは思うけれど、それができないうちは大人が関わって支援すべきです。

【木村】 今の話は、人と人とが関わることの根幹ですね。

【大島】 2016年、創立10年目のありがとうコンサート(※1)で、エイキは指揮者をやってくれましたね。

依頼したとき最初は乗り気ではなかったけれど、「エイキには小学生時代にしんどい思いをしてそれを乗り越えてきた経験や、その後、目の病気を発症しても前向きな行動力がある。そんな姿は子どもたちの見本になる」というような熱い思いを伝えたら、エイキは心があるので引き受けてくれました。

コンサートの舞台でエイキはすぐに指揮をせずに、「大島先生からの熱いオファーを受けて、ここに立っています」と、最初に語り出したんです。300人以上の観客を前に、堂々と語る姿を目にしたとき、大空を卒業した子が5年くらいでこんなに成長するんだと、教職員は一様に感動していました。子どもたちもこういうお兄さんになれるんだと、あこがれをもったと思います。

卒業生が節目節目で学校に戻って来て、今の子どもたちと関わって、大空の歴史をつないでくれる。これが、大空の根幹の一つなんだと思います。

【木村】 (初代校長の)私が退任して、大空小学校の第2ステージに入った1年目、初めての試みとして、コンサートの指揮者を卒業生に頼むという話になったとき、私にも相談がありました。私は「エイキしかいないだろう」と言いました。みんなが賛同したと聞いています。

【金山】 だけど、人のことを推薦したくせに、木村先生は見に来なかった(笑)。

【木村】 大空を卒業した(退任や転任した教職員)人間が大空に顔を出しても、邪魔をするだけだから――。ところで、エイキは「障害」という言葉をどのように捉えている?

【金山】 これは僕の将来の夢とも密接に関係しているのですが、「障害」のもつイメージが、海外でもたれているような認識になればいいなと思っています。

海外では、障害をもっている方は、「神から与えられた試練を乗り越えられる人」という認識で、みんなから敬意を払われているんです。でも、日本では、障害=かわいそうとか、不幸といった考えをもっている人がたくさんいます。そういうところから変えていかなければならないと思っているんです。

僕自身は目の障害で不便なことはたくさんあるけれど、それを不幸だとは思っていません。受け入れたからこそ、開き直って、今できることを精一杯やっています。今まで見えていたものが見えなくなったり、フラッシュバックしたりすることもあるけれど、それを引きずっていても意味のないことです。障害を受け入れなければ前に進めないので、僕は受け入れました。その中でできることを行動していくと、最初は少なかった選択肢が少しずつ広がっていきました。

一方で、障害を受け入れることができなくてくすぶっている子のこともたくさん見てきました。そういう子って周りが何かしてくれるだろうと考えていることが多いんですね。

【木村】 なるほどなあ。それで、将来の夢にもつながると言っていたけれど…。

【金山】 この世の中を変えたい。障害をもっている人と健常者との溝、壁、わだかまりをなくしていくような活動をしていきたいんです。

【木村】 エイキが日本の社会を変える。

【金山】 大きなことはまだできませんが、どこで誰が見ているかはわかりません。何かのきっかけで僕の発言を聞いた健常者の人が、障害に対する考えを変えてくれるかもしれない。僕の行動を見た障害をもつ人が「金山があそこまでできるなら、私にもできるんじゃないか」と思ってくれるかもしれない。僕は実際に変わった人をたくさん見てきています。だから、発信や行動しないという選択肢はありません。

今後は、講演会などもやっていきたいと思っています。そして、できることなら、障害に偏見をもった人にもお会いしたいと思っているんです。どうしてそういう考えになったのかを直接聞いてみたいし、それを聞いたうえで咀嚼して自分の考えを改めてまとめてみたいですね。

【木村】 うん、すごいなあ。ところで、エイキが中学生のときに、「小西(智子)先生いる?」って大空に帰ってきたことがありましたね。そのときのこと覚えている? 

職員室に顔を出したエイキに、私はが「音楽室にいるよ。でも、もう帰るかもしれないから、はよ行き」って言ったら、エイキは走って飛び出していきました。その数秒後に「ガッシャーン」って、すごい音がしたんです。

【金山】 早くドラムの練習をしたくて、走って音楽室に向かったら、曲がるのをミスして、扉の大きなガラスに突っ込んで、ガラスを割ってしまったんです。木村先生に、おでこに絆創膏を貼ってもらったのを覚えています(笑)。

【木村】 音を聞いた瞬間に、職員室を出ていくと、エイキがガラスに体を突っ込んでいました。だから、私は、「動くな!」と言いました。ガラスにぶつかったときは大きな怪我することは少ないけれど、抜こうとするときに大怪我しやすいのです。大人でも不安になるような事故でしたが、エイキは慌てることなく1ミリも動きませんでした。
「右足を抜いて、今度は右手を…」と指示したとおりにやった結果、擦り傷程度で済みました。

その後、二人で話をしたときに、エイキが最初に言ったのは「弁償せなあかんな…」という言葉でした。
だから、私が「何であんたが弁償せなあかんの? あんなところにガラスがあるのが悪いんやろ」って返したら、エイキが「そやな、なんであんなところにガラスがあんねん」って言ったんです(笑)。

この事故の後に、各階にあった扉のガラスを全部プラスチックのパネルに付け替えました。「誰かがぶつかる可能性がある。そのことに気づかなかった私たちが悪かった」という話を教職員で共有したことを覚えています。

【小国】 さきほど「大人がとことん寄り添わなければいけない」という言葉がありましたが、大空小学校で木村先生や上田先生、大島先生たちが寄り添ってくれたということが原体験になっているのですか?

【金山】 そうではないと思います。僕の人生は、障害をもったときに一度終わっていると思っているんです。それこそ、人生を終わりにしたいと思ったことも一度や二度ではありません。障害をもってからは新たな人生だと思っていて、障害をもってからの方が濃くて鮮明な分、障害をもつまでのことはあまり覚えていないんです。だから、障害をもってから思い至ったた考えです。

僕は、健常の世界と障害の世界を行き来できています。それは、健常のときに出会った人がいて、障害になってから出会った人がいるからです。両方の世界を見ていて感じるのは、健常と障害との間の溝は深いということ。この溝をなくせたら、お互いがWin-Winの関係になれると思います。

障害をもつ人から「金山っていいよな。周りに理解してくれる人が多いし、楽しそうだし、うらやましいよ」と言われたことがあるんです。

そのとき僕は、「自分が楽しいと思う人生を送ろうと努力しているから、楽しい人生が送れているんだよ。周りの環境がいいというのは、自分の障害を受け入れて、それを周りに伝えたからこそ、周りがそれを理解してくれて、よい環境にいられるんだよ」と伝えました。もちろん、自分の環境が恵まれていると思っていますし、そのことには大変感謝をしています。

【木村】 エイキは関係ないと言うかもしれないけれど、今、エイキが言ってくれたことが大空の教育なんです。

今の大空のことを私は語れないけれど、(校長を務めた)開校から9年間は、「社会に出たときに、エイキが語ってくれたような人になってほしい」という願いを込めて、私たちは悪戦苦闘してきました。

【金山】 ただ、僕は障害をもたなかったら、こういう考えには至らなかったと思います。僕の分岐点は、高校のときに病気になって障害をもったことです。そこから考え方は180度変わりました。結果的に、先生たちが願っていたような人間に、今の僕はなったのではないかと思います。

例えば、僕は障害になる前は、「点字ブロックって本当に役立っているの?」くらいに思っていたけれど、今は僕の道標になるものだし、僕の友達は僕が障害をもったことで、点字ブロックが大事なものであることを理解してくれるようになりました。

【木村】 大空に二羽泰子さん(当時、東京大学大学院教育学研究科所属)を招いて、話をしていただいたことがあります。二羽さんは全盲で、そのときに点字ブロックのことも話してくれました。それからしばらくたった後、通学路の一部で工事が行われていて、歩道がせまくなっているところがあったんです。すると、地域の人から、子どもたちが「点字ブロックの上は歩けない」と言って、立ち止まっているという連絡を受けました。

【金山】 別に歩いていいんですよ。僕はその場にいたわけではないので推測になりますけど、「点字ブロックは、視覚障害者が歩くための道」というような説明をされたのではないでしょうか。それを子どもたちは「視覚障害者しか通ったらいけない」と捉えてしまった。子どもは純粋だから、聞いたものをそのまま受け入れてしまった結果ではないかと思います。

【木村】 そのとおり。だから、小学校の環境って大事なんです。子どもが自分の考えをもつにはどうすればよいのか。指導は一瞬で暴力に変わることもある。エイキが言うように「寄り添う」ってどうしたらいいのかということを、私たちは問い続けなければならないのだと思います。

【金山】 二羽さんの駅までの送迎を担当した大島先生は、視覚障害をもつ人の案内が初めてだったので、いろいろなことを考えたと言っていました。大島先生はこの経験を得たことで、次はもっとうまく案内できると思います。

このように、障害をもつ人と関わる実体験って大切なんですよね。だから、教育の世界で活躍するみなさんには、障害をもつ大人の人たちと接する機会をたくさんつくってほしいと思っています。なぜ、大人なのかというと、大人は自分の障害などについて言語化できるからです。

【大島】 そうですね、そのときの体験はよい学びになりました。

学校は、子どもとか大人とか関係なく、いろいろな人と出会える場です。いろいろな人というのはもっているものが全員違うということ。その集団の中で子どもも大人もさまざまな体験をしながら、一緒に学ぶことができたのが大空小学校だと思います。

エイキは障害をもってからの体験が鮮明すぎるため、小学校時代のことは忘れてしまっているかもしれないけれど、「自分らしく」や「隣の人の困っている声を尊重する」といった大空での経験はどこかに刻まれているんじゃないかなと勝手に想像していました。

【金山】 いろいろな話をする中で、ありがとうコンサートで指揮をしたときにどんな話をしたかを少し思い出してきました。

「僕は、先生たちに『たった一つの約束』(※2)と『4つの力』(※3)が大切だとしつこく言われてきました。

みなさんは、今はわからないかもしれないけれど、中学や高校に行っていろいろな人とのつながりが増えていく中で、隣にいる友達が自分を助けてくれたり、自分の意見を聞いてくれます。そんな友達を大切にしてくださいね」。

こんなことを、子どもたち、とくに6年生に向けて伝えました。

だから、「たった一つの約束」と「4つの力」は僕の身体に染みついているのかもしれません。だけど、この二つが僕の障害を乗り越える原動力になったかというと、そうではありません。

【木村】 エイキが障害を乗り越える原動力になったものは何だったの?

【金山】 友達と家族です。僕の病気は、両親の染色体がとても似ていたために起こった偶発的なものなんです。だから、両親は本当に申し訳なさそうにしていたし、サポートもしてくれました。また、友達もお見舞いに来てくれたり、連絡をくれたり、たくさん励ましてくれたりしました。周りにここまでしてくれる人がいるのに、くすぶったり引きこもったりしたままでいいのかと考えるようになりました。支えてくれた人たちに少しでも恩返しをしたいという思いから、腹を決めて、障害を受け入れて、立ち上がることにしたんです。

【小国】 この会の目的は、大空小学校の教育を受けた子どもたちがどんな大人になっているのかを聞くもので、僕たちは、大空で学んだことがその後の人生において何らかの形で生きているという連続性で捉えていました。これまでの3回の座談会では、それに応えてくれるような内容を聞くことができました。

だけど、金山さんは、そうではないとはっきり否定されました。高校時代に視覚障害になるという大変な体験の中で考えたことが、今の自分をつくっている。障害をもつ前と後とで1回切れているという認識はそのとおりなのだと思います。それに対して、僕たちが小学校時代の体験がどこかに生きているだろうと言うのはおこがましいことです。

しかしながら、(第1回~3回の座談会参加者である)大空小学校の卒業生たちは、「本来はごちゃまぜの社会であるはずなのに、そうなっていない」という問題意識に自分たちで考えたどり着き、金山さんはご自身の高校以降の体験から、健常と言われる人と障害をもつと言われる人との間の溝の深さという問題意識に気づかれた。

図らずも、両者が同じ認識にたどり着いているということは大きいと思います。つまり、金山さんが自分自身でたどり着いた結論と大空小学校が目指していた教育のお互いが、社会のあるべき姿にたどり着いていたわけです。そのことが大事なのであって、それ以上の意味を求めることはないのかなと思います。

【金山】 教育に関わるみなさんが目指しているゴールと、僕が今後の人生で大きな目標としているものは近いもので、リンクしていくのだろうと思います。

【木村】 エイキ、パラリンピックは出られそうなの?

【金山】 わからないです。出られるように、そのための練習はしています。僕の目標の一つなので、達成できるよう努力はしています。ただ、簡単でないことは自分がいちばんわかっているので、簡単に「はい、出ます」とは言えません。

障害をもってからたくさんの人が僕に関わってくださっているので、その人たちに結果で恩返ししたいとは思っています。

新年のご挨拶の連絡をみなさんにさせていただいたときにその数が膨大で、こんなにも多くの方が僕のサポートをしてくれたり、応援してくれたりしているんだと、改めて感じたところです。僕の身体は僕一人のものですけど、パラリンピックという目標に向かって背負っている思いは僕一人だけのものではありません。

※1 みんながつくるみんなのコンサートとして、年3回(創立記念コンサート、ふれあいコンサート、ありがとうコンサート)行われる。担当する楽器はオーディションで決まる。単なる音楽発表会ではなく、音楽を通じて人とふれあい、コンサートをつくる役割を一人一人が担うことを目的にしている。

※2 「自分がされていやなことは人にしない・言わない」という約束。大人も子どもも守れなかったときは、「やり直し」をする。 ※3 10年後の予測できない社会に生きる子どもに必要な力として、「4つの力」(人を大切にする力、自分の考えを持つ力、自分を表現する力、チャレンジする力)を身に付けることを目指してきた。



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