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大空小学校の卒業生たちのその後の10年を振り返る:「みんなの学校」卒業生座談会第5回

「みんなの学校」こと、大阪市立大空小学校では、「すべての子どもの学習権を保障する」ことを理念に掲げ、障害のある子もない子もそれぞれの個性を大切にしながら、同じ教室で学ぶ。また、学校は地域のものという考えの下、学校は常に開かれており、サポーター(保護者)や地域住民が自由に授業に参加し、困っている子に寄り添っている。

「インクルーシブ教育の理想の姿」という多くの賛同を得る一方で、「特別支援を要する子どもが同じ教室にいると、『普通』の子どもたちの学力が付かない」などの外部からの批判も絶えない。

大空小学校で学んだ卒業生たちが現在どのような考えをもち、どのような人生を踏み出しているのかを探る座談会シリーズ。

第5回は、社会人から中学生まで、年代の異なる6人が参加。
開校から2015年までの9年間、校長を務め、大空小学校の教育の礎をつくった木村泰子、大空小学校の実践研究を行う小国喜弘らとの座談会から、インクルーシブ教育や特別支援教育の課題と、今後のあり方について考える。

座談会参加者

  • 宮城結衣(みやぎ・ゆい)2004年生まれ。2017年、大阪市立大空小学校卒業。神村学園高校卒業後、チアダンスインストラクターとして指導しながら、現役で競技チアを継続。
  • 椿井雄峰(つばい・ゆうほう)2005年生まれ。2017年、大阪市立大空小学校卒業。大阪学芸高校卒業後、大阪国際工科専門職大学入学、在学中(1年)。
  • 吉田圭吾(よしだ・けいご)2006年生まれ。2019年、大阪市立大空小学校卒業。2022年、大阪府教育センター附属高校入学、在学中(2年)。
  • 吉田衛司(よしだ・えいじ)2008年生まれ。2020年、大阪市立大空小学校卒業。2023年、大阪府教育センター附属高校入学、在学中(1年)。
  • 大池和輝(おおいけ・かずき)2008年生まれ。2021年、大阪市立大空小学校卒業後、大阪市立三稜中学校入学、在学中(3年)。
  • 椿井美蓮(つばい・みはす)2009年生まれ。2022年、大阪市立大空小学校卒業後、大阪市立三稜中学校入学、在学中(2年)。
  • 木村泰子(きむら・やすこ)2006年~2015年、大阪市立大空小学校の初代校長を務める。すべての子どもの学習権を保障する学校をつくることに尽力。2015年、45年の教員生活を終え、現在は全国各地で公演活動を行う。著書に『「みんなの学校」をつくるために』(小国喜弘との共著・小学館) ほか多数。
  • 小国喜弘(こくに・よしひろ)1966年兵庫県生まれ。早稲田大学教授等を経て、東京大学大学院教育学研究科教授。大空小学校の実践研究を行い、インクルーシブ教育の新たな可能性を模索している。著書に『戦後教育のなかの〈国民〉―乱反射するナショナリズム』(吉川弘文館)等。
  • 上田美穂(うえだ・みほ)大阪市公立小学校教諭。2011年度から3年間、大空小学校で講師をしたのち、2014年に新採として大空小に赴任。同校では2019年度まで特別支援教育コーディネーターとして、様々な子どもたちに関わった。

座談会本文

【木村】 今日は、自分の考えを自分の言葉で語ってください。かっこいいことを言う必要はありません。自分の思っていることは、すべてかけがえのない大事なものなのです。
はじめに、整理しておきたいのだけど、私が大空小学校を退任した年、みんなは何年生でしたか?

【上田】 (宮城)ユイと(椿井)ユウホウが4年、(吉田)ケイゴが2年、(吉田)エイジが1年。(大池)カズキが幼稚園の年長で、(椿井)ミハスはカズキのさらに1年下です。

【木村】 意外と関わりが短い人もいるんですね。でも、カズキとは赤ちゃんの頃からの知り合いです。カズキには大空に通うお姉さんがいて、カズキのお母さんはよく学校に赤ちゃんのカズキを連れてきていたので、私も抱っこしていたんです。

【大池】 校長先生に校長室で抱っこされている写真がありますよ(みんなにスマホの写真を見せる)。

【木村】 そんな写真が残っているんやなあ(笑)。

では、始めましょう。いちばん長く一緒にいたユイから教えてください。大空小学校でいちばん安心できたことは何ですか?

【宮城】 大人同士のつながりです。ボランティアの人と教職員とか、ボランティアの人と保護者とか、保護者と教職員とか、子どもに関わる大人が立場を越えてコミュニケーションを密にしてくれていました。だから、何かあれば、先生だけではなく、いろいろな人に相談することができました。

【木村】 それがユイの安心だったんですね。もう校長の顔なんて見たくないと思えば、逃げていくところがいっぱいあったでしょう(笑)。ユウホウは?

【椿井雄峰】 一人一人の個性を大事にしてくれていたので、学校は安心していられる場所でした。人を傷つけること以外であれば、たいていのことは許されていたと思います。自分は虫が好きだったので、虫を持っていったり、図鑑を持っていったりしても怒られることはなかったです。

――じつは、市場達朗校長(=大空小学校第2代校長)の1年目の全校道徳を見学したことがあります。そのとき、たまたま目の前にいた子と、全校道徳のテーマをそっちのけで、トンボの話をしたことを思い出しました。それがユウホウさんでした。

【雄峰】 取材に来た人とトンボの話をしたのはうっすら覚えています。
夏にセミを捕まえながら学校に行ったこともありますし、校長室にコオロギを持って行ったこともありました。

【木村】 「番をしておけ」って、捕まえた虫を職員室に持ってくるんです。ユウホウは家を出るときは何も持っていないのに、学校に来るまでの間にいろんな虫を捕まえる。だから、学校に着くと、私たちに「虫を入れる袋をくれとか、箱はないか」とかよく言っていました。
学校が終わると、ユウホウは私たちに預けた虫を必ず大事に連れて帰るので、「これはユウホウのコオロギだから、みんな大事にせなあかん」って、みんなで番をしていたんです。

【上田】 はい、そんなことがしょっちゅうありました。ポケットに虫を入れて来たこともありましたね(笑)。

【雄峰】 先生たちがそんな思いで虫を見てくれていたとは知りませんでした。自分の趣味を壊さないように、大事にしてくれていたんですね。

【木村】 ミハスは大空小学校でどんな6年間を過ごしたのかな? 私はまったく知らないので教えてください。

【椿井美蓮】 子どもたちだけでなく、先生たちやサポーター(保護者)と関わったり、高学年になると1年生と一緒に遊んだり、みんなと関わったことが楽しかったです。

【木村】 なるほどなあ。カズキはどんな6年間でしたか?

【大池】 老人ホームに行って演奏したり、障害のある人たちと関わったり、いい経験ができたなと思います。そういう人たちと関わっていちばん感じたのは、同じ人間なんだということです。

【木村】 関わる前は少し違うなと思っていたということ?

【大池】 そうですね。同じクラスに障害のあるミサキちゃんという子がいて、その子と関わっていくうちに、ミサキちゃんにも考えがあって行動していることがわかるようになりました。みんなと同じ教室で学んでいるということだけでもすごいなと思いました。

【木村】 ミサキちゃんはダウン症という障害名をもらっている子です。ミサキちゃんにはお姉さんがいて、5年生のときに大空に転校してきました。バースデーメッセージ集会(※1)のときに、みんなの前で「私の妹はダウン症です。妹のミサキがミサキらしくいながら、みんなと楽しく学校生活を送れるように、私は今ダウン症の研究をしています」ということを語りました。

私が退任した翌年に、ミサキちゃんが入学してきたんですね。カズキは1年のときにミサキちゃんを見てどう思った?

【大池】 1年生のときはクラスが違ったので、名前も知らなければ障害があるということも知らなかったです。仲良くなったのは同じクラスになった2年生のときからです。思い出せないけれど、ミサキには好きな数字があって、それが僕の出席番号だったんです。

【上田】 ミサキのことをいちばんわかっているのはカズキとユウキちゃんという子で、3人で一緒にいることが多かったよね。
ミサキはやりたいことがあるのにそれが伝わらないと、私たち大人ではなくカズキやユウキちゃんに頼っていました。私自身もミサキが何か怒っていると、カズキやユウキちゃんに「何でミサキは怒っているの?」とよく聞いていました。
口を開けば「カズキ、カズキ」と言っていたし、嬉しいことがあると、カズキたちに言いに行くといような関係性でしたね。

【木村】 カズキ、何でそんな信頼関係が生まれたんだろう?

【大池】 僕ははじめミサキがダウン症ということを知らずに話しかけました。ダウン症であってもなくても話しかけていたと思います。ミサキも僕に心を開いてくれたので、そこから会話が弾むようになって、仲良くなっていきました。

【木村】 それがきっかけだったんですね。

みんなは、小学校と中学校で違うなあと感じたことはありましたか?

【吉田圭吾】 中学生になって最初に思ったのは、授業中に抜け出したらあかんということでした。大空小では、抜け出す人が多かったので。
最初はびっくりして、授業に集中できなかったです。授業中にしゃべっただけでも怒られますし、小学校とは違って中学校ではまじめにしないといけないんだと思いました。

【木村】 それ、最高やな(笑)。みんな、中学校のそういう授業に順応していけたのですか?

【圭吾】 はい。僕の周りはすぐに変わっていきましたね。

【木村】 小学校のときはどうだった?

【圭吾】 授業中は友達としゃべっていました。その授業に関することで、友達と話が盛り上がることが多かったです。

【木村】 小学校では、みんなが授業中にたくさん対話していた、それが中学校ではいっさいなくなる?

【圭吾】 そうですね。友達同士の対話をいっさいなくて、シーンとした状態でただ先生の話を黙々と聞くだけでした。
こういう授業なら、周りに友達がいる必要はあるのかなって思いました。友達同士で教え合うこともできないし、わからないところがあっても「わからない」と言いづらい雰囲気でしたから。

【木村】 学びのなかに自由があるのと、ないのとでは、自分にとってどんな違いがありましたか?

【圭吾】 自由があると、多様な学び方ができるので、自分なりのやり方でわかりやすく学ぶことができ、学びも深くなります。自由がないと、例えば、問題集の問題なども解かないと理解しづらいですね。

【木村】 もし、ケイゴが教員になったら、どんな授業を行いますか?

【圭吾】 大空小みたいに、みんなで話し合う形の授業をすると思います。友達同士で話しやすいように机を固めて、みんなで話し合って、わからないことは先生に聞くのではなく、友達同士で教え合うような授業がいいですね。

【木村】 私たち、いい授業をしてたんやなあ。ケイゴの話を聞いていて、幸せな気分になりました。次はだれが話しますか?

【宮城】 ケイゴくんの話の続きになりますが、中学校では、座席が全員先生に対して正対する形でした。この座席の配置だと、授業中に友達の顔を見ることができません。そのため、だれが理解していて、だれが理解できていないかということが、わからないんです。

大空のように友達の顔が見られるような座席の配置だと、周りの友達のことがよくわかります。大空では立ち歩きを許される時間があったので、わからないことがあれば、理解している子に聞いたり、理解できていない子がいると思えばその子に教えたりしていました。授業中でも、子ども同士の関わりが多かったんです。

中学校でわからないことがあったとき、本当は友達に聞きたいけれど、だれがわかっているかを把握できていないので、授業後に先生に聞くことになります。それも、「次の授業の準備で忙しくないかな」などと空気を読みながら聞いていました。

この違いは大きかったです。授業における座席の配置は大切だと思います。

【木村】 座席の配置だけで、子ども同士の関わりが変わる。「みんなが前を向いていたら、友達の顔を見られないので、友達のことがわからない」。この言葉の意味は大きいですね。

【吉田衛司】 自分も自由がある授業のほうが学びやすかったです。友達との教え合いで自分の知識を高めることもできるし、先生にも質問がしやいからです。

雄峰】 大空は先生との距離が近いので、授業の内容とは直接関係がないことでも、疑問に思ったことは何でも聞くことができました。先生はその都度教えてくれたり、一緒に考えたりしてくれました。

1年生か2年生のときに、「1日って何秒なの?」って疑問に思って先生に聞いたら、黒板に「60×60×24」の筆算をしてくれたことが印象に残っています。

【木村】 ユウホウらしいなあ(笑)。
みんなは「さよならメッセージ」(毎日、1日の終わりに、10行の用紙に自分の考えを書く)はちゃんと書いていた? 最後の1行まで書くという決まりでしたね。

【圭吾】 僕はちゃんと書いていました。ただ、毎回、最後の4行は「よかった」「おもしろかった」で、行数を埋めていました。

「さよならメッセージ」を書いていたので、作文や読書感想文は早く書けるようになりました。どうしても、最後の行を「よかった」「おもしろかった」で締める癖は抜けなかったですけど(笑)。

【衛司】 その日やった授業の〇〇がおもしろかったということをよく書いていたと思います。
最後まで書き切るのが大変だったけど、1日の振り返りができました。その日の出来事を自分の言葉で文章に書くことで、学校であったいろいろなことが記憶に残りやすいという良さもあったと思います。

【宮城】 私も最後まで書くのは大変でしたが、毎日、日記をつけているような感じがあって楽しくもありました。

「さよならメッセージ」を毎日続けることによって、気持ちをうまく整理できるようになったと思います。いやな思いをしてそれを相手に伝えるにしても、一度自分の中で気持ちを整理して適切な言葉で話さなければ、相手に伝わりません。そういったことが、磨かれたと思います。

【大池】 僕もちゃんと書いていました。晴れの日なら、休み時間に鬼ごっこをして、だれが最初に鬼になって、最後まで逃げ切ったとか。雨の日は、休みの時間に外に出られないので、教室の中で暴れまくったとか、そんなことをよく書いていたと思います。

最初におもしろかったこと、楽しかったこと、うれしかったことを書いて、後半に振り返りを書けばちょうどいいだろうと思っていたら、入りきらずに裏面までいったこともあります。
「さよならメッセージ」を続けてよかったのは、自分の考えを文章にできるようになったことです。

美蓮】 私も書きたいことが多すぎて、4枚くらい提出したことがありました。
「さよならメッセージ」を6年間続けたことで、文章力がついたと思います。作文などでも何を書こうかと悩むことなく、すぐにこれを書こうと思えるようになりました。

雄峰】 「さよならメッセージ」を書けば帰って好きなことができるのに、いつも後回しにして、一人で残って書かされていました。「さよならメッセージ」が、今の自分にとってあまり役に立っているとは思いませんが、先生が見ているなか、一人で書いていたので、先生と話す機会は増えました。先生と虫の話など、いろいろな話ができて楽しかったです。

【木村】 みんなは「やり直し」(※2)はした?

衛司】 3回くらいやったと思います。木村先生のときに、1回しています。友達と言い争いになって、胸ぐらをつかんでしまったときに、「人を大切にする力」(※3)を使えてなかったねということで、校長室でやり直しをしました。そのあと、言い争いをした友達に「ごめんな。また仲良くしてな」って言ったと思います。
僕はネガティブな性格で、悪いことをしたときに抱え込むところがあるんです。でも、やり直しをしたあとは、否定的な気持ちから解放されるような感じがありました。「やり直し」は、自分の気持ちを“切り替える場”でもあったと思います。

【木村】 ユイは「やり直し」の記憶はある? 「たった一つの約束」を破ったことはありますか?

【宮城】 ないかもしれません…ないと思います。

【木村】 そうですね。私もそう思います。

【雄峰】 自分はしょうもないことばかりしていたので、数えきれないくらい「やり直し」をしました。人に謝るのは難しいことですが、「やり直し」を何度もしたことで、素直に「ごめん」って言えるようになったと思います。
友達と衝突したとき、どちらか一方だけが悪いということはほとんどありません。自分が悪い部分については自分から謝って、次はそうならないようにしようと考えられるようになりました。

【木村】 友達との折り合いのつけ方がわかってきたということですね。ミハスは?

【美蓮】 私も「やり直し」をしたことはないです。

【大池】 僕も「やり直し」をするために校長室に行ったことはありませんが、市場校長先生が来たことはあります。
クラスのみんなで鬼ごっこをしていたら、友達がタッチをした・してないという些細なことから大きなけんかに発展してしまいました。「やり直し」をするにしても、校長室に入れる人数ではないので、校長先生が教室に来たんです。
それでも、当事者同士がタッチをした・してないを繰り返すので、それならもう一度やって試してみようということになりました。次の授業を潰して、1時間くらい鬼ごっこをした記憶があります。そんな衝突があったことを忘れるくらい鬼ごっこをしたので、みんなが仲直りして終わりました。

【木村】 最後に聞きます。大空小学校はどんな学校でしたか?

衛司】 大空小学校は、自分のことも大切にできるし、相手のことも大切にできる学校です。けんかをしても仲直りできて、最終的にはもっと仲が深まるような環境でした。

【大池】 一言で言い表すなら、大空小学校は「自由な学校」です。悪いことをしても怒られないといったことではなくて、それぞれの個性を尊重してくれるので、自分らしさを発揮できるという自由があったと思います。

【雄峰】 自分は虫が好きで、学校に虫をよく持っていきましたが、どんなに虫が苦手な先生からも「気持ち悪いから持ってこないで」と言われたことはありません。自分の好きなものを理解して、伸びるように手助けをしてくれるような学校でした。

【宮城】 当たり前のことだけど、当たり前ではなくなっているということを教えてくれる学校です。自分がされていやなことは人にしない・言わないという「たった一つの約束」もその一つで、学校で生活するなかでその大切さに気づけることが多かったです。
自分を守るためだけではなく、相手を傷つけないために発する言葉も学ぶことができました。

美蓮】 大空小学校は、だれかがつくるのではなく、一人一人みんながつくれるのがいいと思います。他の学校では先生が前に立って何かをすることが多いと思いますが、大空では大人も子どももみんなで一緒になって一つのことをできるからです。

【圭吾】 大空小学校は、他とは少し違う学校です。授業中に抜け出したり、友達同士でしゃべったりすることがある程度許容されていたり、障害のある友達が同じ空間で学んでいることも他とは違うと思います。

【木村】 社会では「障害があるよね」と言われるような友達が、大空には当たり前にいましたね。そんな子と同じ空間で学んだことは、ケイゴにとってどんな意味がありましたか?

【圭吾】 小学校のときは、同じ空間で学ぶことが普通だと思っていました。だけど、中学校に入ると、障害のある子とは別の教室で学ぶことになりました。同じ人間なんだから、分けることなく同じ空間で学び合えばいいのにというのが僕の考えです。

【木村】 障害のある・なしで分けることで、何かメリットはあると思いますか?

【圭吾】 ないと思いますね。

【木村】 では、中学校でも大空と同じように、同じ空間で学ぶことは可能だと思いますか?

【圭吾】 はい。中学校は、大空とは違う小学校からも子どもが集まってくるので、最初は少し困惑するかもしれないけれど、1年くらいすれば、同じ空間で学ぶことの大切さをわかってくれると思います。

【小国】 今日、参加いただいたみなさんは、大空小学校の第1ステージ(木村校長時代の9年間)から第2ステージにかけて、もしくは第2ステージだけを過ごされた方たちですよね。木村先生と同時に多くのベテランの先生も退任や転任となり、第2ステージに入って、上田先生たちが中心になって大空の教育を守りたいとがんばられていたことを思い出します。

みなさんはある意味、大空のシステムができあがったなかで、安心して学べたのではないかと思います。自分自身と丁寧に向き合う時間と友達と丁寧に向き合う時間が保障されていたということを、いろいろな言葉で伝えていただきました。みなさんが自分の言葉を持っているのは、自分と向き合う時間や友達と向き合う時間が豊かに保障されていたなかで獲得されたのではないでしょうか。

みなさんのお話を伺っていて、第1ステージから第2ステージへ、連続した時間の流れを感じることができました。

【木村】 今日、聞かせてもらったことをみんなが自分事に変えて、アップデートしていきましょう。また、会える日を楽しみにしています。

※1 毎月開催。全校児童が講堂に集まり、その月に誕生日を迎える子をお祝いする。誕生月の子どもは一人一人、自分の体験や思いを語る。

※2 「たった一つの約束」(自分がされていやなことは人にしない・言わない)を守れなかったときは、大人も子どもも校長室に行き、校長の前でやり直すことを誓う。

※3 大空小学校では、10年後の予測できない社会に生きる子どもに必要な力として、「4つの力」(①人を大切にする力、②自分の考えを持つ力、③自分の表現する力、④チャレンジする力)を付けることを目指している。



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