2006年に開校した大阪市立大空小学校は、「すべての子どもの学習権を保障する」ことを理念に掲げ、障害のある子もない子もそれぞれの個性を大切にしながら、同じ教室で学ぶ。また、学校は地域のものという考えの下、学校は常に開かれており、サポーター(保護者)や地域住民が自由に授業に参加し、困っている子に寄り添っている。こうした教育が評判となり、2015年には大空小学校に密着したドキュメンタリー映画『みんなの学校』が公開され、現在も有志たちによって全国各地で上映会が開かれている。一方で、特別支援を要する子どもが同じ教室にいると、「普通」の子どもたちの学力が付かないなどの外部からの批判が絶えない。
大空小学校で6年間学んだ子どもたちが最初に卒業したのは2012年。それからちょうど十年を迎える今、卒業生たちはどのような考えをもち、どのような人生を踏み出しているのか。
第1回は、2013年に大空小学校を卒業した瀬戸海弥さんと金山昌平さんが参加。開校から2015年まで9年間、校長を務め、大空小学校の教育の礎をつくった木村泰子、大空小学校の実践研究を行う小国喜弘と卒業生たちの座談会から、地域の学校のあるべき姿やインクルーシブ教育について考える。
座談会参加者
- 瀬戸海弥(せと・かいや)2000年生まれ。2013年、大阪市立大空小学校卒業。大阪府立住吉商業高校を卒業後、下水道関連会社勤務を経て、現在は総合ディスカウントストアにて接客業。目標は、スタッフとして大空小学校に帰る(関わる)こと。
- 金山昌平(かなやま・しょうへい)2000年生まれ。2013年、大阪市立大空小学校卒業。小学2年生から野球を始め、創志学園(岡山県)では甲子園に出場。現在、亜細亜大学4年生。硬式野球部に所属し、野球漬けの生活を送る。
- 木村泰子(きむら・やすこ)2006年~2015年、大阪市立大空小学校の初代校長を務める。すべての子どもの学習権を保障する学校をつくることに尽力。2015年、45年の教員生活を終え、現在は全国各地で公演活動を行う。著書に『「みんなの学校」をつくるために』(小国喜弘との共著・小学館) ほか多数。
- 小国喜弘(こくに・よしひろ)1966年兵庫県生まれ。早稲田大学教授等を経て、東京大学大学院教育学研究科教授。大空小学校の実践研究を行い、インクルーシブ教育の新たな可能性を模索している。著書に『戦後教育のなかの〈国民〉―乱反射するナショナリズム』(吉川弘文館)等。
「みんなの学校」卒業生 座談会 第1回
【木村】 大空小学校はどんな学校って聞かれたら、どう答える?
【瀬戸】 障害をもっている子たちと同じ教室で一緒に暮らして、一緒に勉強していることの一つをとっても、他の学校とは違います。一言で表現すると「触れ合い」が多い学校かな。独自の教科「ふれあい科」(※1)もありますよね。地域の方が行事だけでなく授業にも参加してくれましたし、地域の人たちが身近に感じられる学校でした。
私は、相手の人から「しっかり目を見て喋るね」って、よく言われるんです。これは、大空のときに身に付いたものです。(木村)校長先生がつねづね、「目を見て心で話を聞く」と言っていたので、それで自然に身に付いたのだと思います。
【金山】 大空小学校で過ごした時間は、人間形成において大きな影響を与えてくれました。子どもの頃は自分がよけれがそれでよいという気持ちが強かったし、それでもやっていけるところはあったけれど、大人になれば周りの人間と信頼関係を築きながら社会生活を送ることが不可欠です。人の気持ちを考えたり、思いやるということを小学校のときに教われて、自分は幸せだったなと思っています。
大空の教えの中でも、強く残っているのは、「たった一つの約束」(自分がされていやなことは人にしない・言わない)です。子どもなので暴言を吐きそうになることはありましたが、一種の抑止力になっていました。たとえ、けんかになったとしても、先生たちは何が原因でそうなったのかを子どもたちに理解させたうえで、次からはどうすればけんかにならないかを考えられるような話し合いの場をもたせてくれました。だから、小学校を出てからも、人と意見がぶつかったとき、多くのことを話し合いで解決することができました。
【小国】 それはすばらしいですね。そのほかに、大空時代の経験で今に役立っていると思うことはありますか?
【瀬戸】 大空では、(障害をもった)まあちゃんやゆうちゃんが困っていたら、みんなが何も迷わず動いていました。だから、今でも困っている人がいたら、すぐに動くことが習慣化されています。ディスカウントストアでレジを担当していますが、困っているお客さんがいたら、駆け寄って話を聞くようにしています。
大空では、障害をもった子のサポートを当たり前にしていたので、大空の卒業生は他の学校を出た人よりも、そういうことができるんじゃないかと思いますね。例えば、まあちゃんは一時、よだれを垂らす癖があったけど、同じクラスの子は嫌がることなく、最初に見つけた子がウエットティッシュで拭いていました。障害のある子もない子も同じ教室で学んだことは、いい経験だったと思います。でも、中学では、(特別支援学校や特別支援学校に行く子もいて)別々になってしまいました。
【金山】 そうですね。障害者の方に接することを煙たがったり、どうしてよいかわからずに戸惑ったりする人も多いと思うんですけど、自分たちは小学校で経験させてもらったので、普通に接することができますね。同じ教室にいることが普通だったので。
ただし、年齢を重ねるごとに、なんでもしてあげることが優しさではないんだと感じるようになりました。優しくしてあげることが相手にとっては逆効果になることもあるし、厳しくすることが本当の優しさになることもあると思います。
【木村】 二人ともすごいなあ。急に聞かれて、これだけのことを語れるんだから。私はもう超えられている。考えてみれば、大空の子どもたちは「どうぞ」と言われたら、どの子も当たり前に自分の言葉で語っていましたね。
【瀬戸】 私はそれが当時すごくいやでした。急に「海弥、どうぞ」とか振られるので。でも、中学になってから、自分の言葉で語ってきたことが、いい力になったと感じました。
【金山】 今考えると当時は、正解はないけれど(※2)、正解に近いと思うことを答えよう答えようとしていたと思います。それでも、自分の言葉で伝えるのは難しいことなので、鍛えられました。先生たちは子どもの発言に対して、間違っているとは決して言わずに尊重してくれたので、自分の意見を言いやすい環境だったと思います。
【小国】 大空小学校のことを思い出すときって、どんなときにどんな場面を思い出しますか?
【瀬戸】 ふとしたときに思い出します。楽しかったのは、まあちゃんやゆうちゃんも含めて、みんなと一緒に勉強したことです。行事よりも日常のほうが楽しかった気がします。
【金山】 自分は東京にある大学に進学して、野球部に所属しているので、帰省できるのは冬休みの1回だけなんです。帰省した際には必ず、大空の仲間と会います。瀬戸が言ったように、イベントというよりは、こんなことして遊んだなとか、こんなこともあったなという日常の出来事のほうが記憶に残っていますね。
【瀬戸】 大空の友達は、久々に会っても気を遣わずにしゃべることができます。こんな関係はほかではありません。
――大空で行われるコンサートは、単なる音楽発表会ではなく、音楽を通じて人と触れ合い、一人一人がコンサートをつくる役割を担っているそうですね。
【瀬戸】 コンサートで一番大変だったのは、実行委員です。コンサートの司会進行を担当して、保護者や地域の方に自分たちの思いを伝えます。どんな内容をどんな表現方法で話せば思いが伝わるのか、自分たちの思いをいかにして届けるかということが難しかったですね。放課後に、塚根(洋子)先生にみっちり指導されて、それは怖かった(笑)。それから、練習を通して、みんなの思いを一つにするのも大変でした。
【木村】 大空では1年に創立記念、ふれあい、ありがとうの3つのコンサートがあって、6年生は全員どれかの実行委員を経験します。多くの学校では、子どもが表現する力を奪ってしまっています。子どもの頃に自分が表現することを経験しないで大人になってしまったら、大人になっても表現することはできません。だから、すべての子どもに、実行委員を経験させているんです。
大空では4つの力(人を大切にする力、自分の考えをもつ力、自分を表現する力、チャレンジする力)を大事にしてきましたね。講演会で先生をはじめとする大人に、「4つの力の中で、どの力が一番付いていますか?」とよく質問をするんです。表現する力に手を挙げる人は圧倒的に少なくて、300人いたとすると2人くらい。では、「表現する力が付いていないと思う人」と聞くと、ほとんどの人が手を挙げます。でも、これまでの話を聞いていると、海弥も昌平もちゃんと自分の考えをもって、自分を表現できています。
――お二人の将来のビジョンや目標はなんですか?
【瀬戸】 大空を卒業するときから、障害をもっている子どもたちに携わる仕事がしたいという目標をもっています。現実的なことをいうと、資格が必要で、そのためには学校に行かなければならないので、今すぐには無理ですけど、遅くなってもいいので実現したいと思っています。
欲をいえば、大空に帰って、アシスタントティーチャーなどのスタッフとして、困っている子どもたちに関わりたいという気持ちがあります。
【金山】 自分も帰省したときに、瀬戸からその思いを聞かされていていました。
【木村】 それなら、通信制の大学で教員免許を取ればいいよ。絶対、叶うから。
【金山】 自分は小学二年生から野球を始めて、野球一筋の生活を送ってきました。それこそ、バイトもしたことがありません。野球しかしてこなかったので、別の世界を知りたいという気持ちが強いです。野球は大学で区切りをつけて、関西で一般就職をするつもりです。やり切ったので、野球に未練はありません。
【木村】 そこまで言い切れるのはすごい。野球をやってきた経験を、これからいかに昌平の人生の中で生かしていけるのかというのも、野球と同じくらい楽しいと思うよ。
【小国】 今日はありがとうございました。大空小学校は行事がすごく盛り上がっていたと思いますが、思い出すのは日常のなにげない場面で、日常が楽しかったというのがとても印象的でした。
【木村】 海弥も昌平も、自分で考えて自分で判断して、自分の道を存分に進んでください。失敗したらやり直しをしたらいいだけやから。そして、「困っているから助けてよ」っていうことがあれば、大空のメンバー(教職員、卒業生、地域住民などを含む)に声をかけてくれれば、みんなずっと応援団だから力になってくれます。
【金山】 今日は、久しぶりにお母さんとしゃべったみたいな、そんな温かい会話ができてよかったです。
【瀬戸】 いろんなことを思い出せたし、自分のやりたいことをしなければいけないなと改めて思いました。
【木村】 今日は、昌平と海弥の姿に圧倒されました。二人ともどちらかというと、前に出て行動するタイプというよりは、目立たないところにおりそうな子でしたが、周りの子どもたちの中で、確実に自分をつくっていたのだと確信しました。こんなことに今頃気づくかと、自分でも情けなくなりますが、「教育」なんてこんなものなんだろうと思います。目の前の子どもを何とかしたいと大人は指導するのですが、その子の10年先の姿を想像できてはいないんですよね。
註
※1 人との出会い・関わり・触れ合いを目的とした大空小の独自の教科。教職員以外の大人が授業する「オープン講座」など、さまざまな形式の授業が行われる。
※2 大空小では、週に1回、全校道徳が行われ、「人権って何?」などの正解のないテーマについて、異学年の小グループをつくり議論し考えてきた。