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可能性はいっぱいある(前田 蓮さん)

電動車いすに乗った前田蓮さん、友人たちとセンターモールを歩く

私は、書くことも食べることもトイレも1人ではできません。ですが、小中高と大学まで地域で育ってきて、今は自立生活支援センターで働いています。

私は生まれながらに障害がありますが、正直自分に障害があるとは思っていませんでした。というかあまり意識したことがなかったのかもしれません。

世間一般的には障害があるだけで「何もできない」や「かわいそう」などのネガティブなイメージが強いかもしれません。でも実際はそうではなく障害があっても自分らしく生きています。

そして、インクルーシブな教育や地域で一緒に過ごすことがなぜ大切か、などを自分の経験を元にして伝えていきたいと思っています。

僕は 未熟児で、仮死状態で生まれたと母から聞きました。

生後4日目で「覚悟しておいて下さい。死亡診断書を書くことになると思うから早く名前を付けて下さい」といわれたそうです。(医師の診断がはずれて、今年で23才になりますが元気に遊びまわっています。)

一命を取り留めたものの、障害が残りました。 

今は車椅子を使って生活を送っていて自分では字を書いたり食べたりすることもできないので、いつもアテンダントや友達、ヘルパーに手伝ってもらい自分らしい生活を送っています。

小学校時代の話

入学するにあたって、少し不安がありましたが入ってみると自然とたくさん友達ができました。 

みんないつも私の車椅子を押すのを取り合ってくれました。

最初は母が友達に車椅子の押し方を教えてくれたので、登下校も遊ぶときも友達が押してくれるようになっていました。

高学年になると先生よりも友達の方が車椅子を押すのが上手でした。(先生は毎年変わるから)

小学校の時は友達との遊びで、ゲームや鬼ごっこなどをし遊ぶことが楽しかった。

どうやって、ゲームや鬼ごっこをするのかというと鬼ごっこをする時は 私が友達の名前を呼んだら その子が私の所に来てじゃんけんをし、私が勝ったら その子が鬼で、負けたらそのまま私が鬼になるという特別ルールで遊びました。

中学時代の話

支援学級の先生に「車椅子だと危ないからみんなと一緒には出来ない」とよく言われました。

今までみんなと一緒にやってきたのに、なんで今更そんな事言われなあかんのかと思ってました。

でも 、担任の先生は私が障害があるからと言って分けるのではなく 皆と同じように私に接してくれたので、私は、担任の先生に直接交渉し、遠足や運動会も友達と一緒に参加することができました。 

私はずっと普通学級にいたので、介助の先生は殆どつかなかったので、友達がノートを書いてくれたりコピーをさせてもらうという感じでノートをとっていました。(めっちゃ綺麗にノート書いてくれて嬉しかった!)

支援学級の先生にガチギレされたこともあります。みんなはコッソリ寝ててもよそ見しててもバレないけど、先生がずっと横にいると真面目にやらないと怒られるからしんどかった。ふと横を見ると先生が寝てることもありました。なのに私が寝てると怒る。だから、先生が付いたら嫌やった。

中2になると電動車椅子に友達を2人乗せて 廊下を暴走したりして遊んだ。 やはり大人達は(先生達)それを見て遊んでいる状況にも関わらず危険だという。怒られはしましたが、そういう遊びが出来なくなるのは嫌だったのでそのまま遊び続けていました。

3年生では、クラスの皆で文化祭の打ち上げに焼肉に行きました。 「大人なしで、自分らでやるから」 と友達達が言ってくれたので私も参加できました。友達が大量にお酢を入れた 激マズスープを作りみんなでまわして飲んだり、 友達に食べさせてもらうので、たまにレアの肉もありましたが友達とふざけたりしながら食べる飯はやっぱりおいしかったです。

高校の話

高校は、小中と地域の学校へ行っていたし普通みんなも高校へ行くから受験して行くのが当たり前と思っていました。

しかし、高校の見学に行った時「 エレベーターがないから」とか、建物がバリアフリーの高校でも「トイレやノートの介助は一切しません」と言われ遠回しに拒否されたので高校に行けるのかとすごく不安になったこともあります。 

受験までは、いつもみんなとなんとか工夫しながらやってきたけど、ここで差別的な発言を直接受けることになり、私はこの時、はっきりと「自分はみんなとは違うんだ」と気付いたのでした。

しかし私が最終的に行った高校は、すごく理解があり配慮も完璧だったので、困ることはほとんどありませんでした。 

制度がない時代から障害がある生徒を受け入れていた高校でもあったので、1人1人に寄り添ってくれる高校でもありました。

中学まで殆ど先生はつかなかったのに、高校に入ると全てサポーターさんが付くという手厚い体制になったので、はじめはとても違和感がありました。

それにこれだとうまく高校での人間関係が作れないと思ったので、サポーターさんをなるべく少なくしてほしいと担任の先生に言いました。 先生は「前田くんの言っていることが正しい」と言ってくれ、 すぐに変更してくれ、サポーターさんは最低限にしてくれました。

また、人権学習の時間もあり学校全体でお互いを理解し合うという取組みがありました。

障がいを理由に差別されることがない学校だったので、本当に自分らしく高校生活を送ることができました。

全ての高校がこんな学校になって欲しいです。

大学時代

私は大学に通っていましたが、初めては進学するかすごく悩みました。

それは高校受験の時のように、障害を理由にまた差別を受けるのではないかと思い、不安が大きかったからです。

その悩みを地元の友達や高校の友達に相談してみると「自分も行くから蓮も一緒に行こや」と言ってくれ、そこで自分の中で大学に行くという決心がつきました。

そして、高校の先生達も一緒に交渉したり、悩んだり怒ったりしてくれ「間違っているのは差別している相手の方だ」と思わせてくれました。

中学の時は、周りの先生が「自分1人でできないから受け入れてくれないのは仕方ない」という感じで、支援学校の高等部に行くのが私のためだと言わんばかりだったけど、大学受験の時は自分1人ではなく担任の先生はもちろん、進路指導の先生や校長先生まで一緒に考え、交渉してくれ、私のためにこんなに沢山の大人が動いてくれたことがめちゃくちゃ嬉しかった!

そして、大学から受験の許可がおりたものの、大学からは通学や授業のノートテイクなどは親がやって欲しいと言われました。

それを言われた時に僕は、「なんで大学生にまでなって親に来てもらわなあかんねん」と思っていました。

しかし、合格が決まると学科の先生から連絡があり「一緒に大学を変えていこう」といってくれました。

それからは、大学内のバリアフリー化やピアサポーター制度というものが生まれました。

ピアサポーター制度とは学生の人達が空きコマに、ノートテイクなどをしてくれるいわゆる有償ボランティアの事。

最終的には、授業のノートテイクだけではなくどこかにみんなで遊びに行ったり飲み会をしたり、授業だけの繋がりだけではなく普通に先輩後輩としての繋がりができました。

今の仕事との出会いは大学3回生の後半ごろにぼちぼち就活せなあかんなと思い、大学のキャリアセンターに相談してみたところ、障害のある人の就活就労セミナーがあると言われました。そしてそこに行ってみると、介助者は入れないと言われたり、車いすユーザーの人も私しかいませんでした。

これはあかんと思い、どんなに重い障害があっても働けるという勉強をしたかったので、古くから良くしてもらっていたスクラムにインターンをお願いしました。その流れでスクラムに来ないかとお誘いを受け今に至ります。

最後に

インクルーシブな社会を作るためには障害がある子もない子も分けない教育環境をつくることが大切である。

障害があるから何もできないと決めつけないで考え方や工夫をすれば可能性はいっぱいあるということを、私自身地域で生きてきて学んだこと。

最近では、障害を治すという医療モデルから社会全体的な環境を改善していくといった社会モデルに変化していっています。

しかし、教育の場だけは、障害がある子どもだけを分けて健常児に近づける個別指導に力を入れ、「障害がある側だけを頑張らせる」という医療モデル型の考えが今現在でも大多数を占めています。

私が思うに、障害があるからみんなと違うことをするという考えではなく、どうすれば障害があっても一緒に出来るかという考え方をしていかないと、この社会で誰もが暮らしやすい社会の一歩は近づいていかない思います。

こうした考え方は障害がある人に対してだけのものではなく、自分も困った時、考え方を工夫できる思考になるからです。

少なくとも私が一緒に過ごした仲間たちは、いつもどうしたらいいか考え、次につないでくれました。

だから私自身も障害を意識することなく育ってきました。

そのことは、きっと私だけでなく障害がある子ども達の多くに言えることだと思います。

誰が、いつ、どのようにして障害を意識させているか…

私が何故障害を意識することなく育ってきたのか

そこにこそ本当の意味のインクルーシブがあるのではないでしょうか。

まだまだ障害を持っていると何もできないと思われがちですが、この文章を読んで1人でも多くの当事者や障害を持つ子供の親御さん、先生達に障害があっても考え方次第で何でもできると思っていただければ幸いです。



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