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グッとくるよ『子どものことば』は(高度医療ケアラー・在宅おふろ研究家・大泉 えり)

1.はじめに

「人生は、選択だ」と私も思う。しかしながら、先天性の神経難病で生後9ヶ月から人工呼吸器を24時間使う娘には、生きていく選択肢があまりにも少ないのが、この世界の現実だ。

 それでも、気管切開をして「医療デバイス」と共に生きていくことになった娘には、この世界の素晴らしさを知ってほしい、その命を生ききってほしいと、私は母親として願っている。


 本稿では、疾患名や使っている医療機器や車椅子ではなく、名前の「さほ」ちゃんと呼ばれるように、地域で子育てをしてきた、母としての私の主観をもとに、子どもたちが紡いでくれた言葉とエピソードをご紹介したい。

(通学風景より)

2.出会って知り合う

『え、生きてんの?』7歳くらいまでの子どもから多いのがこの問いかけ。私が「生きてるよー、見てー」と答えると、娘の動いている目を見ながら納得して、『これなに?』と使っている機器についての質問が続く。

『この子、どうしたの?』という子どもからの問いは、おおよそ(どうしてこれに乗っているの?)または(のどから出ているホースは何?)という意味で、「歩けないから車椅子を使ってるんだよ」「ここに空気が通ってて、これで息をしてるんだよ」と答える。

 初回は、だいたいひと通りの疑問の答えを聞くとみんな去っていく。次に会った時には、その子が他の子に私の代わりに答えを伝えてくれる。しばらく一緒に過ごした頃に聞かれるのは、『ご飯食べられる?』『どうやって寝るの?』『おふろどうするの?』だ。不思議とこの段階的な問いはいつも同じパターンだ。人が人を知っていくプロセスなんだなと気が付く。

 私たちは、初めましての人に出会った時、その人との共通点を探してみて、同時に違いも知ってみて、仲良くなれそうかなどうかなと思う。出会った後、同じ時間と空間を過ごす機会を重ねる中で、人はよりお互いを知っていく。

 「脊髄性筋萎縮症Ⅰ型」1という十万人に1人とも言われる疾患を持ち、自分で息さえできない娘は、一歳で子ども病院を退院して以来、有難いことに地域で同年代の子どもたちと過ごす機会を重ねてこられた。一歳から「児童デイサービス」(現在の「児童発達支援」)という未就学児の障害福祉サービスに通い、地域の幼稚園に入園、そのまま地域の小学校の通常級に就学してついに今年は卒業の年、六年生だ。私の付き添い歴は、別室待機の時もあるとは言え彼是11年ということになる。

3.人は関係性の中で生きる

「人は関係性の中で生きる」とは確か老子の教えだったと思う。出会って八年間を共に過ごした子どもたちとの関係は、かけがえのないものになった。

 振り返れば、幼稚園時代や小学校低学年の頃は、同じクラスの仲間として自然に、たくさんの思いやりに育まれた。一年生の運動会の終わりにクラスメイトが『さほちゃん、徒競走5位だったでしょ?私1位だったから半分あげるね!』と言ったのは忘れられない。5と1を足して半分にしたら3でちょうどいいと思ったのかもしれない。機器を積んだ大きな車椅子を押してもらって走る娘を、よく見ていてくれたんだね。

 中学年の頃は、10歳のギャングエイジと言われるだけあってクラスが少々荒れて、心無い言葉を受けたこともあったし、友だちが離れていく経験もしたけれど、自分自身を見つめる機会にもなったようで、娘は『ケンカしてみたい』と言い、『どうして治らないのに病院に行くの?』と私に尋ねた。その流れで、専門医による“本人への難病告知”も行った。

 地域の小学校に入学した時に、未熟な私は「娘こそ、多様性の最たるもの」だと思っていた。だが、しばらくして気が付いた。「娘は多様性の一粒にすぎない」と。在校生1000人の学校で、いろんな子どもたちやクラスメイト、先生方との関わりの中で育てていただいたと感謝している。「人は人を浴びて人となる」という恩師の言葉を、実感を伴って理解したように思う。

4.「平等」と「公平」とはなにか

 高学年になると、子どもたちの自我の芽生えや個性の育ちは目に見えて言動に表れてくる。そんな中で、知らず知らずに歩いてきた私たちの道の輪郭を、見せてもらえたエピソードがある。

 新型コロナ感染症による最初の緊急事態宣言が出されて、小学校が突如休校になってしまった後、学校再開時が五年生だった。その頃は、得体の知れないコロナウィルスへの恐怖感が、私にも娘にもあって、呼吸器に重度の疾患があるためみんなより登校再開を遅らせたり、有難いことに、自治体が先行してオンライン学習を認めてくださったりして、何とか学校生活を繋いでいた。そんな状況ではあったけれど、新しいクラスメイトや担任の先生とは、意外にも関係が作れなくなることはなかった。これまで過ごした年月が、絆の貯金のように作用していた。もちろん、担任の先生の、娘を含めたクラスの子どもたちそれぞれへの配慮が素晴らしかったからでもあると思う。

 春に行えなかった運動会を、二学期に行うことになって、なんと娘は「ソーラン節リーダー」に立候補した。五年生のクラスメイトは闊達な子が多くて、各種の学校行事などのリーダー選出は、毎回激戦となる。立候補者は自分の想いや考えを各自発表し、その後みんなの挙手が多い人が選ばれる仕組みだった。自己アピールの日に定期通院で登校できない娘は、前日に動画を撮って先生に託すことにした。

 前日、担任の先生が「僕としては、さほさんには“特別枠”を作ってリーダーになってもらおうと思っています」と私に密かに仰った。「え、クラスのみんなはそれで大丈夫でしょうか?」と確認すると、「みんなには僕から話しますから」とのことだった。

 その夜、少し前に私が「運動会では娘にも何か役割があれば有難いです」なんて言ったから、先生は配慮してくださる気持ちでいらっしゃるのだと、私が余計な事を言ってしまったことを猛省した。この流れで私にできることは何だろうか。私は連絡帳に「私としては、娘がリーダーに落選しても特に異議はありません。クラスのみんなの気持ちと、先生にお任せいたします」と書いて翌朝渡すことにした。先生のお気持ちを傷つけず、娘の心も大切にしたい。クラスメイトと担任の先生を信じて託すしかなかった。

 次の日、担任の先生は娘を呼んで、彼女が落選したこと、でもそのチャレンジが素晴らしかったことをきちんと話してくださった。私には別途、その時の様子を教えてくださった。担任の先生が“特別枠”について提案すると、子どもたちから意見が出たと。『他の立候補者もいるのにおかしい』『それに、特別扱いはさほさんに失礼だと思う』と。先生は「僕が浅はかでした。ずっと一緒に過ごしてきた子どもたちの方がよく分かっていました。学ばせてもらいました」と仰った。

 いや、余計なことを言ったのはこの愚かな母親なのだ。子どもたちと先生を信じる大切な機会をいただいて本当に有難かった。あるクラスメイトの振り返りノートには、『平等』と書いてあった。「平等」と「公平」について深く考えさせられた出来事だった。

 運動会では、娘はわずかに動く指先で電動車椅子を操作して、みんなとソーラン節を踊りきった。娘が人生で初めて、自分の意思で自分の体を動かして発表した踊りだった。付き添いステージママの私ではなく、観覧者席のママ友が泣いてくれた。

(立候補時のPR動画より)

5.八年間で育まれたものと答えられない「問い」

 これまでのグッときたエピソードをここで全て紹介はできないけれど、幼稚園から含め小学校までの八年間で育んでいただいたものは、「娘なりにできる」力、友達(人)を信じる心、人に助けてもらって生きる力、だと思う。これは親子共にだし、障害児者に限らずどんな人にも必要なもののように思う。

 一方で、娘に適した学習環境を十分に整えてあげられなかった私の反省もあるし、親子で頑張り過ぎちゃったなと思うところもある。

 そして、どうしてもうまく答えられなかった子どもからの『問い』もあった。それは、『お母さん、大変だね』『お母さんがいなくなったら、さほちゃんどうなるの?』である。子どもたちは、よくよく見ている。

 今だから言うけれど、娘が生まれてからずっと三時間の断眠生活を続けながらも、私は努めて学校では明るく楽しそうに振舞った。たとえ人工呼吸器を使う寝たきりの子どもであっても、可哀想で不幸ではないし、みんなのお母さんと同じように私は子どもを愛していて、娘は愛されていることを知って欲しかった。何よりも、どんな人生にも起こるであろう何かしらの「マサカ」の時や、いつか母親や父親になるであろう子どもたちに、命を楽しく生きている記憶を残したかった。ちょっと大げさで格好つけかもしれない。

 でも、本当に子どもたちは、よく見ている。ある聡明な女の子は『正門の中と外と、お手伝いしてくれる人って違うんだね』と言った。そうなの、社会サービスが文科省と厚労省と縦割りで違うの、とはさすがに答えなかったけれど。

 小学三年生の二学期に、自治体で「学校看護師制度」が試行的にスタートし、母親以外の人も医療ケアをやれて、助けてもらえることは伝わったと思うが、コロナ禍で母子分離の取り組みが頓挫してしまったのは、そこはかとなく残念だ。もし読者の中に、力のある有識者がいらっしゃったら、重度の医療ケアのある子どもの家族の大変さと合わせて、周りの子どもたちが潜在的に受け取っている印象にも着目していただきたいと思う。

6.終わりに

 2021年の終わりから2022年の始まりにかけて、この原稿を書いています。民間人の宇宙旅行が現実になっているこの国で、子どもたちの可能性を広げる責任を負う大人の一人として、ささやかながらこれまでの体験を発信させていただきます。

 私なぞが「インクルーシヴ教育」についての文章を書くなんて、とてもおこがましいことです。社会活動家を目指しているつもりもないし、娘を活動家に育てたいわけでもありません。ただ、先達から私たちに巡ってきたバトンを、大切にしたいと思っています。昨年のクリスマスイヴに亡くなった社会活動家 海老原宏美さん注2への哀悼と敬意を込めて。

【注】

注1.脊髄性筋萎縮症とは、進行性の神経難病で、生後6か月までに発症するタイプをⅠ型、重症型としている。運動発達が停止し、体幹・手足などが動かせなくなる。生涯、首や腰がすわることがなく、筋肉が低緊張でフロッピー(ぐにゃぐにゃする)インファント(乳幼児)とも呼ばれる。呼吸筋も弱くなり呼吸が難しくなるため、生命を救うためには、多くの場合1歳未満で人工呼吸器によるサポートが必要となる。嚥下機能も早くに低下するので、経鼻経管栄養になる。その後、胃ろうを造設することも多い。知的発達については良好と言われている。(SMA診療マニュアル編集委員会,斎藤加代子,2012,p.1)

注2.1977年神奈川県出身。生後1年半で脊髄性筋萎縮症と確定診断を受ける。小学校から大学まで地域の学校に進学し2001年の韓国縦断野宿旅で障害が重度化、02年より人工呼吸器を使いはじめる。01年より東京都東大和市で自立生活を開始。自立生活センター東大和で障害者の地域生活に関わる権利擁護・相談支援活動等をはじめる。09年人工呼吸器ユーザーの地域生活支援のために仲間と「呼ネット」を設立。(http://kazewaikiyotoiu.jp/shokai,2022年1月9日アクセス)



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