
私には中学1年生になる双子(奏太・陽太)と、やんちゃ盛りの小学1年生の息子がいる。
双子の片割れの陽太には脳性麻痺という障害があり立位や座位はとれないが、小学の時から介助者と共に地域の学校へ電動車椅子を運転し登校している。
私たちが沖縄に移住してから10数年がたった。言語障害があってもイントネーションはすっかり“うちなんちゅ”だ。中学校では数学は時々支援級で学びながらも、ほとんどをクラスですごしている。
今では背丈も伸び体重も40kg近くあって移乗時には気合が必要だが、生まれた時は奏太1110g、陽太1603gと保育器の中で本当に小さく管にいっぱいつながれて今にも切れそうで細い糸のような命だった。
ハイリスクの妊娠で大学の周産期センターに通院していたが、妊娠27週目に双子の容態が急変し緊急手術が必要になった。しかし、NICUが満床で引き受けてくれる所がなかなか見つからず49もの病院を断られてお産難民になり、翌朝やっと長野のこども病院への転院が決まった。
パートナーは陸路で追いかけ、私は神奈川から長野までドクターヘリで搬送された。医師や看護師、ヘリの操縦士と様々な救いの手が紡いでくれた尊い命だ。
それから週末はあずさに乗って、2人に会いにいく日々が続いた。直母ができるようになるまでは母乳を絞り冷凍パックにしては運送会社に集荷に来てもらう。母乳は溢れるほどにでるのに飲んでもらえず排水溝に捨てるしかない時は本当に虚しくて、2人が保育器の中で頑張っていたとしても遠く離れて何もすることが出来ず、こんな風にしかも産んであげられなくてごめんなさいと、自分を責め続けていた。
そして一ヵ月後の検査で陽太に障害がある事がわかる。私は結婚前から障害者の介助者として働いていて、その人達は障害者自立生活運動の先駆者的存在の方々だった。学歴競争でしみ込んだ価値観とは全く異なる、対等に助け合って物を言い合う当事者の姿を傍で見た。「目から鱗」な体験の連続に自分の居場所と生きがいを感じ、かけがえのない大切な友人としても関係を深めていった。だが、いざ子どもに障害があるとわかった時のショックの大きさに、自分の中の根深い優性思想に気が付き血の気が引く思いだった。
自分が今まで彼らと一緒にいて学んだものは何だったのか。多様な人が対等に助け合いながら暮らす事の面白さを教えてもらったはずなのに、2人のささいな差ばかりが気になって勝手に将来を悲観したり不安になったり一喜一憂していた。初産で双子、深夜の時間差での授乳・オムツ交換、寝かしつけと育児疲れも重なり、私の心も不安定になっていた。
しかしその思い込みに気が付かせてくれたのもまた障害を持つ友人達と、ありのままの自分達が大好きで人々からの絶え間ない愛情を確信している自信溢れる2人の姿からだった。
友人達は根気強く当事者としての言葉を伝え続けてくれた。本当は、私が優性思想とのせめぎ合いで苦しんでいる姿など見たくはなかっただろうし失望もしただろうに、「私たちの仲間を、私達の希望を産んでくれてありがとう。共に育てていこう」と伝え続けてくれた。
「すべてのからだは百点満点なんだよ」
あの言葉がなかったら、私の子育てに関する考えは全く異なっていただろうと思う。
私の子育ての根底にあるのはあの言葉通り、双子がありのままの自分を全肯定して生きていけるようになってくれる事。今後も多くの支援の手を使って思うままに生きて行ってほしいと願っている。
3歳児検診の時に、医師の診察で「双子で良かったじゃないか。奏太君が将来、面倒を見てくれるしね」と言われ愕然としたことがあった。互いが互いの足枷には絶対なってほしくない。
その為にも地域の学校に通わせたいと思った私たちは、市の幼稚園課を訪ねた。案の定、そのような子が入園した前例がないだとか、園舎は古くバリアフリーではない為安全性が保障できないと言われ、おまけに他の子が楽しそうに遊んでいる時にできない遊びがあるなんて陽太君が可哀そうじゃありませんかとまで言われた。
しかし当の陽太は、奏太やお友達が楽しそうに走って遊ぶ姿をみて、自分も手足をバタバタと動かし嬉しい気持ちを身体いっぱい表現してくる。自分の大好きな人が楽しいと自分も楽しいのだ。他人と比較して勝手に優劣をつけて可哀そうと判断するのは競争原理に染まった大人だからだ。

ちょうどこの頃、沖縄県では「障害がある人もない人も共に暮らしやすい街づくり条例」の施行をうけて障害者団体が盛んに活動していたので、その中で私たち家族もマスコミに取り上げていただいた。幼稚園課に要望書を提出し、市議会議員にも連絡して市議会の議題に上げてもらった。「特別な環境に置くのではなく、皆と一緒の中で個別の配慮が必要なだけなのだ」と訴えて、やれる策は尽くしたのがよかったのか無事入園することができた。
沖縄県は米国統治下の名残から各学区に公立の幼稚園が設置されていて、その学区の小学校の校長先生が幼稚園の園長も兼ねている。幼稚園から地域の公立に通った事は就学への着実な一歩になったと思う。
関係者を集めて入園前に事前打ち合わせがあり、先生と補助員の紹介、園舎に入る時のスロープやトイレの改修の話等が行われた。私は幼稚園に無理矢理ねじ込んできたモンスターペアレントと思われていないだろうか…と内心緊張していたのだが、現場の先生たちは笑顔で迎えてくれて、私の方が先入観に囚われていた事に気が付いた。行政側からは、補助員等がお休みの時には親御さんが介助にきてくださいとお願いされたが実際には一度も依頼されたことはなく、幼稚園の先生たちが交代で介助についてくれていたそうで、心配していたよりもはるかに教育現場は動いてくれて味方になってくれた。
ただこの選択が私達家族にはベストだと思っていても、学校側からは「お客さん」だと思われているのではないかという疑念はなかなか消える事はなかった。本来の居場所はここではないといつ言われるかわからない不安から、園長先生に合うたびに来年の就学の念押しをして、過剰な反応をしてしまっていたと思う。
いてもいいのか確信がなく安心できないのは今でも若干残っていて、他の同級生の反応を伺っている私がいたりする。
小学校は幼稚園入園時の交渉よりも簡単だった。就学前検査の際に地域の小学校への入学の希望を伝えたら、そのまま就学案内のハガキが届き拍子抜けしてしまった。
陽太は「特別支援クラス(肢体不自由)の所属で出来る限り親学級ですごす」を希望して入学した。中学年位までは親学級ですごすほうが多かったと思う。支援クラスには、陽太のリハビリと称してオセロやパズル、カルタ等々子ども達が好きな玩具が沢山あったので遊び時間になると子ども達がやってきては一緒になって遊んでいたようだ。
ただ、支援クラスの先生の教育計画によってその年に陽太に「これを頑張らせたい!」みたいなものが変わった。挨拶や生活面を重視する先生や、IT導入を率先してくれた先生。(この先生のおかげで今のタブレット学習ができるようになったのだが)

また、高学年になるにつれ主要な教科は支援級で受ける事が多くなった。残念だが、コロナ禍もあって子供同士の関わりが少なかったかなと思う。
陽太は自分で鉛筆を持ったり書いたりが難しく、着替えや排泄、教室移動などの生活全般に支援員のサポートが必要のため、担任の先生の他に支援員がついている。支援員は教育委員会と契約した居宅介護事業所からのヘルパー派遣で個人との雇用契約ではないので、支援員がいないので学校にいけないとか、保護者が学校に行かねばならないという事はなかった。
そして、有難い事にそこの居宅介護事業所は男性ヘルパーが多く揃っていて、同性介助の基本を守ってくれた。また兼少年野球の監督・兼スポーツインストラクター等、バラエティーに富んだ人達が多く、学校という一種の閉鎖空間の中でも先生以外にも色んな考えをもった大人がいるよと他の子ども達に知ってもらえるいい機会になってくれていると思う。

小学5年生の運動会。陽太はリレーのスターターでピストルの音で筋緊張しながらも電動車いすで走りきり、バトンを次の走者に渡すことができた。お昼休みに様子を見に行くと、陽太と同級生が腕相撲をしている。関節が硬く肘がすんなり床方向に曲がらない為なのだが、陽太はなんか強い!という事になっているようで、勝負を挑まれて満面の笑顔。この関わり合いの中に「いらない存在」などいないのだと改めて確信した。子ども達の姿を思い出すと、本当に愛しくて涙が溢れてくる。
中学生になって初めての定期テストが行われた。眼振があって長い文章を読みづらい陽太のために別室で先生が音読する形をとったそうだ。タブレットに自分で答えを打ち込むのでテスト時間も倍にした。今後の高校受験を見据えてどうような形での受験が陽太にとって受けやすいのか、先生や教育委員会とも話し合いが必要になってくるのだろうと考えている。
学習についていけていない部分もあるはするが、今のところ勉強も楽しいらしいから私も楽しみながら応援していきたいと思っている。
これからも私たち親子は、知らんふりをし続ける社会と断固戦うために街へ出る。友人や色々な人との中に共にいる陽太を見てもらい知ってもらう。たとえ、親のエゴといわれても、そのために地域の学校に通い、部活に行く。介助者と毎日登校し近所の専門学校生にも挨拶する。ときに抜け道を使って、寄り道もしているらしい。
障害があるなしに関わらず普通に子ども達がしていることを障害児も介助があれば出来るのだと、行動にうつして示していくしかありません。
様々な好奇の目から陽太の姿を触れさせず、大人になるまで守りきる事などできないし、逆効果でしょう。そのような場面にぶち当たって心身が負けそうになった時にも、一緒にスクラムを組んで立ち向かってくれる仲間を作っていってほしい。そうでしか、陽太はじめ周りの子供たちの未来を変える方法を思いつきません。よかったら、ぜひ色んな方にこのスクラムに加わってほしいと願っている。
