メイン コンテンツにスキップ

2022年9月19日(月)、東京大学文学部と教育学部セイファースペース(KYOSS)の共催で、高校生のための秋季特別講座「大学で『文学』を学ぶってどういうこと?」を開催いたしました。その講座の文字起こしを公開いたします。

イベントについて

開催日時:

2022年9月19日(月)14時〜16時

タイトル:

大学で「文学」を学ぶってどういうこと?

スピーカー:

池澤春菜(日本SF作家クラブ会長、声優)

塩塚秀一郎(東京大学仏文研究室、教授)

愼允翼(東京大学仏文研究室、修士1年)

開催場所:

東京大学本郷キャンパス国際学術総合研究棟2階A200教室

自己紹介など

愼:お足元の悪い中お越しいただき、ありがとうございます。自己紹介します。東大仏文修士1年の愼と申します。よろしくお願いします。では、順番に池澤さんからお願いします。

池澤:はい、池澤春菜です。ここで唯一東大に関係ない人です(笑)。普段は声優をしたり書評を書いたりエッセイを書いたりしています。第20代SF作家クラブ会長をしておりました。お仕事としては、言葉を話すこと・読むこと・書くことなど、言葉にまつわることを全部やっているのかなと。中心にあるのは言葉が大好きだなという気持ちです。今日はみなさんが聞いてわからないこととか、代わりにぐいぐい聞いていく係としてここにいようと思います。

愼:僕も年齢的には高校生の皆さんと一番近いはずなので、池澤さんと同じというか「こちら側」のつもりできたんですけど(笑)。

池澤:私が「こちら側」代表なので、もう席はありませんよ!(決め台詞風)

愼:(はああ…ステキなお声)

塩塚:東京大学文学部人文学科で教えております、塩塚秀一郎といいます。実は東大文学部には「仏文学科」という学科はなくて、哲学も歴史学も、それから中国文学とかロシア文学とか各国文学も、全部ひっくるめて「人文学科」であり、その中にいわゆるフランス文学を専門にするセクションがあるのですが。僕も池澤さんと同じく言葉が好きです。文学だけでなく旅行記とか哲学とかも読むし、自分で創作をやるわけではないけど翻訳をするときはその疑似体験をしている感じがします。フランスの作家が書いたものをどう日本語で表現するかという。今日はフランス文学が日本にどんなふうに輸入されてきたのかも少し話しますけど、フランスってことに必ずしもこだわらなくても、本が好き、言葉が好きというみなさんに、言葉も文学も大学にいなくてもできるけど、それを大学でやるってどういうことなのだろうかとか、いまは社会で働くために大学でこういうことを身に着けてとかよく言われるけど、それに逆らうようにして文学をやるのはどういうことかなど、お話できたらと思っています。

愼:ということで、今日は人数こんな感じでアットホームな感じでやりますから、適宜手を上げて質問とかしてもらって大丈夫なので。

池澤:最初のうちは手を挙げる勇気がいると思うんですけど、家だと思って気楽にしててください! 家じゃないけど(笑)

トークテーマ① 大学で外国語を学ぶこと、そして翻訳について

愼:ではさっそく一つ目のテーマから。申し込み時にアンケートに答えていただいています。読んだことのあるフランス文学とか、文学部に対するイメージなど書いてもらったようです。だいたい、「フランス文学」という意識でなにかを読んだことのある方は少なめで、むしろ高校の文系科目、国語や英語の勉強と、大学入ってから求められる勉強の何が違うかが関心のようです。

池澤:それは私も知りたいです。

愼:僕は高校卒業して5年以上経ってるんですけど、パッと思うのは高校のときの英語って、試験でなく授業の中だったとしても、マルバツで答えられるのがほとんど。英作文でもだいたい文法を間違えてなくて、質問に答えればバツにはされない。一方、国語はたとえば、夏目漱石の『こころ』を扱う授業で、Kはなぜ死んだのかという問いが先生から与えられたとしても、端的で一様な答えなんか出ない。そういうテストではなく授業としての国語の答えの無さは、大学で文学を専門として研究することと似ているのかなって思うんですけど。

池澤:それってもしかしたら翻訳にも通じるかもしれないですね。高校英語の「日本語に訳しなさい」は明確に正解があるじゃないですか。すべて機械翻訳的に置き換えていくみたいな。まずそれをきちんとやるのは必要だと思うんですけど、文学の翻訳とかになると日本語とフランス語、英語、中国語…って文型が違うのでそのまま逐語訳しても、読めないものになっちゃう。そのなかで何をどう無視して、何を広げて置き換えていくか。日本語への翻訳って、実は日本語力が重要だと思うんですよね。同じ内容でも、フランス語と日本語とでは表現の形もその表現に至る思考の過程も違う。だから大学で学ぶことのひとつは、置き換えるやり方をいかに豊かにするのかということなのかなって思いました。

塩塚:僕が考えていることをずいぶん言ってくださったと思います。翻訳って何を無視するか訳さないかってのが大きいんです。たとえばフランス語でpetitという単語があります。これをいちいち「小さい」と訳していくと変な感じになる。『星の王子さま = le petit prince』という少なくともタイトルだけは有名なフランス文学がありますが、このpetitは「かわいい」とか親しみを込めた表現なので、必ずしも「小さい」ってことではない。翻訳の場合、こういう単語は無視したほうがいいことがある。ところが、おそらく中学高校の英語のテストで単語を訳さないと、わからないから訳しおとしたので減点みたいなことがあるかもしれません。大学でやっていることと中学高校までの授業とどう違うのか。一言で言ってしまうと、やっぱり「答え」があるかどうか、答えを求めようとしているかどうかってのがありますね。中学高校の英語の授業と大学のフランス文学の授業っていうのは一見すると似ているわけです。やっぱり、英語の授業って英語をどう正確に、逐語的に読むかに非常に大きなウェイトが置かれてるんじゃないですかね、もう高校出て随分経ったけど。仏文でももちろんフランス語を正確に読むのは求められているんだけれど、文法は分かっていることを嘘でも前提としたうえで、その先の、国語の授業にあたるような、テクストの謎を読み解くことが本題なわけです。実際、東大では2年生の後期に仏文に入ることになります。多くの進学者は1年半しかフランス語学んでない状態で古典テクストの読解を求められるので、英語に比べるとずいぶん厳しいところを求めているんだけど、みんなやっぱり優秀でやる気もあるし、何よりも英語の蓄積があるから、フランス語でやるっていっても、中学2年生が1から英語の原書を読むのとは違うんですね。あんまりうるさく言わなくても学生が勉強して乗り越えてくれる。だから、基本的な知識の先に何が書かれているかをフランス語を相手に探求することが学部の大きな体験になるわけです。

池澤:私は家庭環境の影響もあって、日本語、英語、フランス語、スペイン語、タイ語、台湾の言語と色々学んできました。英語が一定程度できていると、最初フランス語を学んだときにとても入ってきやすいんです。文法の基本的な構造がラテン語由来なので、少し違うところがあったとしても基本的に英語の延長で考えることができて、スペイン語はさらに英語と似てるので学びやすかった。言葉って最初の足がかりをつくっておくと、次の一歩が踏み出しやすくなるんですね。勉強方法がわかるから。ここをつかめば次に進めるぞっていう。一気に楽になると思います。だからみなさんいま英語で苦労してる方いると思いますけど、その苦労が未来の貯金に使えるのでぜひ今のうちに苦労してください(笑)。

塩塚:みなさんは何年生?

愼:今日のアンケートだと2年生が多い感触です。

池澤:バイリンガル、トリリンガルの方もいますか?あ、2人もいる!何語が出来るの?

高校生:英語と、フランス語をちょっと…

池澤:英語ができているとフランス語もやりやすかったんじゃないですか?タガログ語やれって言われるより(笑)。

愼:(タガログ語…どこの言語だ!?汗)

池澤:(ルソン島の言語!)

池澤:学んでいくと、言葉の由来がわかって、つながっていくと面白いと思います。もう一人の方は?

高校生:私もフランス語と英語なんですが、元々スイスの方に住んでいてフランス語を学び、そのあとに英語の学校で英語をやりました。

池澤:逆のバージョンですね!

愼:僕もフランス語をやってからのほうが英語も読めるようになったという感じがします。東大は新入生全員、第2外国語で英語以外何かしらやらされて1年みっちり叩き込まれるのですが、僕はもともと朝鮮語選択でした。東大は2年末までの成績でおよそ上から順に行きたい学部が決まって…

塩塚:ちょっと語弊が(笑)。基本的には皆さんの行きたい進学先に行けるのですが、競合して定員オーバーした場合に成績が加味される場合があるという。仏文は最近は定員オーバーしないので、来るもの拒まず、ですから(笑)。

愼:はい、見栄を張って脅してしまい、大変失礼いたしました(笑)。とにかく僕は朝鮮語をやっていてまったくフランス語を知らない状態だったんですね。2年生の夏学期でどこに進学したいかも何も決まって無くて。結局学部は哲学科に行って、大学院から仏文に移ったんです。哲学科ではドイツ語とフランス語両方求められるので、夏休みから半年間でねじ込んで勉強して、整理も習熟も何もないグラグラの状態で進学するという。それでもなんとかなったのは、朝鮮語と日本語の文法が基本的に一言一句対応するので、これが楽だってことに気づいたら、それからヨーロッパの言語に行ったときに、あれ、語順って対応してる?って気づいて。そうしたら、フランス語とドイツ語をある程度読めるようになったときに英語も読めるようになった。たとえば、中学高校で英語の関係代名詞を後ろから訳せって言われたりしますよね?

塩塚:ありますね。語句がどこにかかるのか「わかってる」って採点アピールするために書きますからね

愼:僕にとって、この試験のための「わかってる」が本質的には「わかってない」ということに気付けるようになるために、フランス語がとても役に立ちました。

池澤:私、まず中高で最初に学ぶ外国語が英語なのは間違いなんじゃないかって思ってて。英語は、実は色んな由来のルールが混ざっているパッチワーク、非論理的な言語なんですよね。だから丸覚えするしかない。フランス語なんて発音のルールさえわかっていれば、知らない文章でも少なくとも声に出して読むことができる。でも英語は綴りと読み方が乖離していることが多い。その単語を知らないと読めないことが多い。そう考えると、英語から入るというのは結構無理してますよね。世界で一番話されているからしょうがないけど…

塩塚:英語って実は難しいんですよね。構文的にもなんでこう繋ぐのかなっていうのをネイティブの感覚でしか説明できないものあれば、単語もラテン語由来とゲルマン語由来とごちゃごちゃになっている。もちろんどの言語でも極めるのは難しいんですけど、英語はとりわけ難しい。僕も、スーッと読めるみたいな感覚がフランス語でようやく得られたと思っています。

愼:ということで、国語や英語など習熟の途上にある言語も、他の外国語を一通り学んでから戻ってくると一層わかるし、翻訳を通して読むってことの範囲も広がるわけですね。

トークテーマ② 身近にあるフランス文学

愼:次のテーマはもう少し具体的に、身近なフランス文学の話をできればと思います。後ほど、塩塚先生に簡単な歴史を話してもらおうかなと思ってるんですけど、そもそも身近にあるフランス文学って何がありますかね。アンケートでは『レ・ミゼラブル』と『星の王子さま』を読んだことがあるという方がいらっしゃいました。ちなみに僕は仏文科の院生ですけど、『星の王子さま』一回も読んだことがない(汗)。

池澤:(それやばいだろ…ジト目)

愼:(視線が怖い…)…とにかく、どの本と出会うかってまったく運任せなところがあって、自分が読みたい本と出会えるかどうかも実際に読まなきゃわからないわけです。そういう中で、出会いやすいフランス文学、誰もが出会っておいた方がいいフランス文学ってあるんでしょうか?

池澤:私、両方とも子供のときに読んだことありますけどフランス文学だと思って読んでなかった

塩塚:みんなそうだと思う

池澤:おそらく最初にフランス文学だと意識して読んだのが、『チボー家の人々』です。うちは言葉に関わる人が多い家系なので、大叔母が毎月本を送ってくれていたんです。それも箱に入っていた全集版を。カバーがかわいくてなんだろうと思って読んだのが、『チボー家の人々』だったんです。大河小説というんでしょうか、色んな人が出てきてそれぞれの生き方がどんどん書かれている。言うなれば、今やっている朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』みたいな感じ。人々の考え方とか生活の様とか時代とかが、それまで私の読んできた本のなかで一番<フランス―!>って感じだったと思うんです。それまでもジュール・ヴェルヌとかサン・テグジュペリとか読んできたはずなんですけど。

愼:「フランスー!って感じ」ってなんですか(笑)

池澤:大家族でわいわい暮らしていて、その中の家族間の会話とかが今まで読んでいた児童文学とは違う生々しさを持って書かれているんですよ。

塩塚:僕ちょっと心配なのが、池澤さんの話を聞いて高校生がドン引きしてないかという(笑)。入門の授業を僕もやってますけど、ほとんどみんなフランス文学を読んだことがない。そもそも正直いって文学とか小説って全般的に読まれてない現実があるかなと思います。そのなかで特にフランス文学ってどういうものなのか皆目イメージがないって人もいるのですが、それでも仏文科に来ますし、仏文科に来てからフランス語を習熟させつつ、何かしらを読んでいくので、フランス文学を読んだことがないとしても、全然恐れる必要ないです。たぶん平均的な学生はそんな感じなんじゃないかな。みなさんの中でも特にフランス文学についてイメージないって人、手をあげてくれる? 

高校生:(全員手をあげる)

塩塚:うん、まあ当たり前だと思いますよ。僕が学生のときのことを考えてもね、フランス文学って当時すでに特別なものではなくなってたかもしれない。僕のもう一世代前の方にとっては「フランス文学」って特別な輝きを持っていたと思います。サルトルとかボーヴォワールとかを読んでないのは恥だみたいな。だから、池澤さんが子どものころからフランス文学を普通に読んでたってのが例外的ですよ(笑)。

池澤:でも、みなさんがフランス文学だと気づいてないだけで、触れている作品も多いと思います。たとえばルパンはフランス文学です。『ルパン三世』ではなくて、本家の『アルセーヌ・ルパン』シリーズ。私は子どものころ、ホームズよりルパンが好きでした。ホームズはあれ、ワトソンがいるから生きていけるというか、作品として成立しているというか。だって、あの偏屈なホームズのそばにいられるワトソンがすごいでしょ?それに対して、ルパンは紳士的で誰とでもお友達になってくれそう。他にもみんな知っているフランス文学だと、シャルル・ペローの『赤ずきんちゃん』とかも。グリムはドイツですけど、みんなが知ってる童話のなかにもフランスから翻訳されたものはいっぱいあるので、そういうのを知らないまま読んでいて、あとで発掘するのも面白いと思います。

愼:僕の専門なんですけど、日本で教育を受けている人がおそらく最初に知るであろうフランス文学の登場人物はジャン=ジャック・ルソーだと思います。教科書に出てくるので。

塩塚:学校の教科書だと、世界史で習うのか倫理で習うのかって扱いですよね、ルソーは。

愼:いや、小学校の公民とか政治分野で「民主主義の父」的なポジションで登場してるはず!

塩塚:なるほど。考えてみると、ルソーがフランス文学の中で論じられているのも、フランス文学っていう分野の柔軟性ゆえですね。そもそもルソーって国籍を挙げるならスイス人ですし、自伝が有名なので文学者によって研究されているけれど、一般的には『社会契約論』などの政治思想とか政治哲学の本を書いた人として知られているわけで、それだけだったら普通は文学の領域に入らないと思いますよね。でも、フランス文学なら「それもうちの領域だ」と言って扱っちゃう。そういう「なんでもいいよ」っていう懐の深さもあって、昔は仏文に学生が殺到したんですね。自由だから何をやってもいい、フランス語にちょっとでも関係していれば研究していいんだって。

池澤:きっとその時代のフランス文学って、「かっこよかった」んですよね。自由で反逆的な精神も秘めていて、若い人たちが自分の生き方を模索したり、体制に反逆したり……。ただ、何事も「浸透」と「拡散」というか、はじめは知る人ぞ知る特別な存在だったものも、徐々に多くの人に「浸透」していって、最終的には当たり前のものになっちゃって、日常生活のいろんな領域に「拡散」していく。フランス語もフランス文学も今はもう社会に拡散しきっているのかもしれませんね。

塩塚:そうですね。だからひと昔前のようには学生が殺到してきてはいないですけど、今も「中」は広い世界ですよ。色々な作家を研究している学生がいます。大学の仏文科に入って少し深く掘り下げてみると、やっぱり簡単には汲み尽くせないような広がりがあります。今からでも興味があれば、ぜひフランス文学を選んでほしいなって思います。

愼:僕は哲学科出身で、デカルトを読んだのがフランス語テクストとの最初の出会いでした。さっきお話したように、急ピッチでフランス語とドイツ語をやって、最初に読むのがデカルトという…。これ、イベントの書き起こしを哲学科の人に読まれたら怒られるかもしれないけど(笑)、哲学科ではデカルトがどんな社会に生きて、どんなキャラクターを生きた人だったかにはほとんど触れられなくて、デカルトの打ち出した概念の話ばっかり扱われてて、正直性格的に耐えられなかった(笑)。ところが仏文に来てルソーを読んでみると、概念だけでなく、彼が書いた恋愛小説とか自伝とかも扱っていて、ルソーがどんな生き方をしてきたかも読むことができる。ルソーという人物の「キャラクター」が見えてきて、すごく面白かったんです。これがフランス文学の強みかなって思います。有名な『レ・ミゼラブル』も、キャラクターが立ちまくっている話ですよね。

トークテーマ③ これからフランス文学を読む人へのおすすめ本

愼:フランス文学に興味を持って、「これからどんな本を読もうかな」っていう人がいたら、まず何を紹介しますか?

塩塚:僕が入門授業で紹介する一冊目はフランソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』って決めてます。この話にはこういう読みどころがあるっていう資料もつくって、学生たちがまだ読んでないのを前提に授業します。「フランス=上品でおしゃれ」みたいなイメージを持っている人が多いけど、フランスには宮廷由来のおしゃれな文化とは別に、市井の人たちが非常にあけすけでダジャレや下ネタや風刺を言うのが好きだったっていう一面もあって、そのことを伝えたいなと。

池澤:語弊がある言い方をすると、京都と大阪みたいな感じですかね(笑)

塩塚:フランスは実は2つの精神から成り立ってるのに、日本にやってくるのは澄まして上品な方のイメージが大きくて、もう半分を知ってほしくてラブレーを紹介しています。ラブレーの作品って、やたら「うんこ」って出てくるんですよ(笑)。でもそれにはちゃんと意味があって、生物が生きていく上で外から新しいものを摂取して、消化した残りカスとしてでてくるのが「うんこ」である、でもその「うんこ」も大地の肥やしになって、そこからまた次世代の命を育んでいく…っていう、ラブレーの世界観を象徴しているんです。キリスト教的な一直線の世界観ではない、ルネサンスの新たな時代が生まれるとき、古いものが新しい姿を帯びて蘇るっていう時間の概念が生まれて、それを「うんこ」っていうものに託してラブレーは書いているんですよ。

池澤:小学生男子がふざけて「うんこ、うんこ」って言ってるわけではないと(笑)

塩塚:そういうふざけた気持ちもなくはないんですけどね、たぶんラブレーがただ「うんこ」と言ってみたかったってのはあるでしょう(笑)。とにかくそういうわけで、初回にはラブレーを扱うことにしてます。何しろ『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』は巨人の親子の話ですから、キャラ立ちしてますよ。

池澤:私は、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』をおすすめします。はじめて読む作品は、ぐいぐい先を読ませてしまう勢いがあるのが大事じゃないかなと。まず本を読むことの面白さに触れてほしいので。ジュール・ヴェルヌってその点でいいんじゃないかな。キャラも立っていて、たとえば銛打ちのネッド、粗野なんですけど筋が通っていて、生き方に誇りをもっていて、自分の生き方を曲げない彼が状況を打開していくのが魅力です。でも、一番はネモ船長ですね!非常に屈折した複雑なものを抱えている人物です。ネモって「誰でもない」っていう意味の名前なんです。そんな名を背負った彼が、なぜノーチラス号に閉じこもって、世界に対して復讐をしているのか。とにかく先をどんどん読んでみたくなる、一冊夢中で読み切ることができるのがいいんじゃないかなって思いますね。

塩塚:僕も子どものころ夢中で読んだし、大人になってから文庫で読んでも面白かったですね。潜水艦の中がすごく魅力的に書かれているでしょ、図書館もあって、メカがいっぱいの機関室もあって、豪華なサロンもあって……海の中で退屈しないようにできている。

池澤:食事も全部海のものを使ってつくられていて、魚だけじゃなく海藻も使った海のフルコースがすごくおいしそう。あの潜水艦は、動くパラダイスみたいな、そのなかだけで完結している環境です。ある種の実験でもあるんですよね、一つのガラス球の中で循環するようなシステムをつくろうとする実験。設備だけじゃなくて選ばれたスタッフが稼働することで、あの潜水艦の世界が完結するっていう、人も含めてはまっているシステムの美しさを感じます。

塩塚:ジュール・ヴェルヌは、彼の個人的な抑圧された人格のあらわれというか、狭い空間に閉じこもって、そこを居心地のいい空間に設えるのが好きなんですよね。別の作品で宇宙に行く話もあるんですけど、そこでもやっぱり快適な空間をつくろうとする。考えてみると、子どもの夢を実現してくれている側面もあるんだろうな。子どもって狭いところに閉じこもるの好きでしょ(笑)? ネモ船長についていえば、世界に背を向けてひねくれて籠もっているわけですけど、でも潜水艦の中で全くの別世界をつくるのではなく、世界の中のいいところのエッセンスを持ってきて再現している。だから実は、彼のやってることは矛盾しているんです。世の中に背を向けて潜水艦にこもったのに、そのなかで自分が背を向けたはずの世の中を再現してしまっているという。

池澤:箱庭みたいですよね。自分が好きだったものを集める、懐古的な世界。

塩塚:でも、理想の世界をつくったけれど、いつまでもあそこに留まってはいられないっていう矛盾もあって…これはさらに次の話を読むと運命が判明するんですよね。

池澤:不穏な謎を残したまま物語が終わるっていう、いわゆる「怪獣モノ」としても正しいつくりです。

愼:同じヴェルヌが書いた『80日間世界一周』って作品があって、これも紹介したいです。僕はフランス文学をテーマに今回のイベントを企画しておきながら、お二人とルソー以外に共通の話題がなかったので、塩塚先生に教えてもらって慌てて読んだんですけど(笑)。やたら時間や生活習慣に厳格な紳士が主人公の話で、彼が賭けをするんです。「80日間で世界一周して戻ってこられなかったら財産没収」という。

池澤:これ、聞いたみなさんは「80日間で世界一周って余裕じゃね」って思いますよね。今の時代だと、飛行機に乗って、トランジットも含めて50時間程度、つまり2日ちょいあれば世界一周できちゃいますから。でも、当時はまだ飛行機もなくて、そのときの最先端の交通技術を集めてなんとかギリギリ80日間で世界一周できるかできないかってレベルの時代です。

愼:交通手段としては、鉄道と蒸気船、それから馬や象など動物、あとは徒歩という。

池澤:世界が繋がりはじめて、色んな手段を組み合わせれば世界一周できるんだとか、世界中に「道」をつないで我々は世界を征服したんだとか、ある種の高揚感のある時代ですね。

塩塚:地球が丸いこと自体はずっと以前から知られていたけど、実際に周ることができるかってのは長らく別問題でした。世界一周するのに何が障害だったかというと、アメリカ大陸です。陸で繋がっているけれど、あの距離をどう踏破するのかという問題があって、それを解決したのが大陸横断鉄道です。大陸横断鉄道が開通したのは1869年で、この物語はその4年後の1873年に早くも出版されています。

愼:作中ではまだ交通網が繋がってない地域も登場しますね。

塩塚:インドがそうですね。大陸横断鉄道に加えてもう一つは、スエズ運河の開通も大きいです。

池澤:ショートカットができるようになったんですよね。お、地図を。

塩塚:この日のために用意しました。みなさんに配っていただいて。

(塩塚先生が用意した、『80日間世界一周』における世界地図を参加者に配る)

塩塚:イギリスの紳士が主人公で、出発点はロンドンです。ロンドンからフランスを通って、スエズ運河からアラビアを抜けてインドに行って、そのあと香港に行き、日本の横浜を通って太平洋を渡り、アメリカで大陸横断鉄道を使い、大西洋を渡って帰ってくる。東廻りのルートをとっているのも、物語においては意味を持つんですよね。東廻りに周ると、どこかで日付変更線を跨ぐことになる、これが物語の後半で効いてくるんですけど、ネタバレになるのでやめておきます。

池澤:しかしこれ…北海道がだいぶテキトーな形の地図ですね(笑)

塩塚:グローバル化という言葉で今言われるのは、インターネットで全部すぐ繋がるっていう最終段階みたいなものですが、この時代はすでにグローバル化の初期段階みたいなものです。実際に80日間で一周できるようになった時代、世界一周旅行しようっていうジャーナリストとか冒険家って実際いたみたいなんですよ。当時大変ホットな話題を小説にしたっていう時事性と、ストーリーテリングの力もあるから、当時の人たちはきっとどんどん読んじゃったんでしょう。ジュール・ヴェルヌの最大のヒット作です。日本だと『十五少年漂流記』っていうのも知られていますが。 

池澤:『グラント船長の子供たち』とかも私は好きなんですが、あれでもマイナーなんですよね

愼:先ほど『海底二万里』の話の中で、狭い空間に閉じこもるみたいな話が出ていましたが、『80日間世界一周』も、基本的に外出して各地の風景を報告するのは従者の方で、主人公の紳士はだいたい船とか電車とかに閉じこもっていてずっとトランプをやっている。ところが彼が二回だけ自ら動く場面があるんです。その意味を考える過程で、道徳や義務という倫理的な問題も、賭けと運みたいな哲学的な問題も考えるという仕方で問いが立てられるところがこの作品の豊かなところだと思います。最初のテーマについて、大学で文学を学ぶことの特徴ということで立ち返ってみると、やっぱり学部の目標って卒業論文を書くことにあると思うんですが、フランス文学の場合、一見娯楽小説でも「問い」が立ったら論文が書ける。そういう点でもいい小説なだって。

池澤:問いというところでいうと、さっきの先生の話でも登場した、フランスには階級的に区別された2つの精神的方向性があるというお話も重要ですよね。『海底二万里』でも、ノブレス・オブリージュの船長と素朴な従者という構図が踏襲されて、それぞれの階層の代表が参加してそれぞれの見方で物語を進めていく。

塩塚:さらに言うと、『80日間世界一周』の主人公はイギリス人のフォッグという人なんですが、フォッグは霧って意味で、従者のパスパルトゥーはフランス人で名前の意味はマスターキーです。主人公の方は内面のことが一切書かれないで、霧がかかったみたいにどんな人がよくわからない書かれ方 をしています。ただし、非常に几帳面で時間に正確な人だってのはわかるので、フォッグの特徴は正確さ・効率性・無駄なことをしない・どこに行くのも一直線ということでしょうか。そんな大ブルジョワでカネ持ってる階級のフォッグが、曲芸師とかあらゆることをやって生き延びていかなければならない階級のパスパルトゥーとコンビを組むわけです。このコンビの意味を考えてみると、主人がイギリス人で従者はフランス人ということは、当時のヨーロッパ2大強国であったイギリスとフランスそれぞれの見方を代弁してるっていうのもあるんです。たとえば、物語に登場するインドも香港もイギリスの植民地だったわけですが、そこで行われていることに対してフランス人はイギリス人と違う見方をすることができる。その後通る日本に至ってはイギリスの植民地でもないわけですから、法律も言葉も髪型も完全に異世界です。歩いているうちにふと田んぼの真中にいることに気づいたり、 海の篝火や街の提灯などが登場したり、果ては外国人であるパスパルトゥーが天狗の格好をさせられる。まさに異界なんですよ。

池澤:たしかに、『80日間世界一周』はエンターテインメントとして読めちゃうけど、振り返って読み直しても面白いポイントがあるんですよね。外国文学とか翻訳文学を読むっていうのは、自分が知らない目で世の中を見ることができる、あるいは違う人の視点を借りて世界を捉えなおすことができるってことなんじゃないかと思いました。その視点をいかに多く持つかで世界が豊かになっていくと思うんですよね。立体的なパズルみたいなもので、色んな視点を得てぐるっとまわって世界を楽しんでほしいなって思いました。

塩塚:『80日間世界一周』は1872年に新聞連載されて1873年に出版されてるんですね。当然、日本には行ったことなくて書いてるんですよ、当時の旅行記とかを参考にしながら。ただ、維新前のものを参考にしているから、まだ人々はちょんまげをしているし、火事があって景色が変わったとしても反映されていない。『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』っていう本もあるぐらいで、『80日間世界一周』っていうのはフランス語から直接日本語に翻訳された最初の小説なんです。いつ出たかっていうと1878年。新聞連載から6年後に翻訳が出ているわけで、ほとんど同時代文学のようにして訳されたんですよね。フランス語の翻訳っていうと、それこそルソーの『社会契約論』とか古典から始まったのかなってイメージするかもしれないけど。

池澤:もしかしたら、関係者の中にフランスでの新聞連載を読んでいた人がいたのかもしれませんね

愼:…はい、ここから話が面白くなってきそうなのですが、ひとまず1時間以上経ったので少し休憩をいれて、次のテーマに進みたいと思います。

トークテーマ④ フランス文学の受容史、東大仏文科の歴史

塩塚:まず指摘しておきたいのは、『80日間世界一周』の翻訳以前は、フランス文学は英訳を通しての重訳って形で入ってきたということです。そこで、そもそも日本とフランスの出会いってどのへんにあったんだろうかっていうのを調べてみると、古いとも言えるし両国の歴史を考えると最近とも言えるかもしれないのですが、17世紀の初頭に遡るそうです。伊達政宗が慶長遣欧使節を送って、彼らがローマ法王に謁見しにいく途中で嵐にあってフランスの南に一時滞在したというのが記録に残っているものとして最初の日本とフランスの出会いになります。次はもう幕末になります。オランダ語を介して西洋の情報が入ってきていたんだけど、北海道でロシアの外交使節が読めない文書を残していったって騒ぎがあったようです。しかも内容が、日本は言うことをきかんからこのままだと攻め込むぞという物騒なものだった。とにかく、この残された文書を読まなきゃいけないってことで、長崎のオランダ人に見せると、彼らはフランス語がわかるので内容を教えてもらうことができた。もちろん内容が内容だけに、オランダ人は和らげて伝えたらしいんですが。それが幕末におけるフランス語への関心のはじまり。

池澤:一時期のロシアってフランス語を話すのがステータスだった時期があって、ロシアだけどフランス語の文書が書かれたんですかね。

塩塚:はい、フランス語が外交言語だったってのも大きいと思います。要するに、条約を交わすときにそれぞれの国の言語と共にフランス語の正文を添えるようになっていた。ここではじめて日本人は、フランス語という世界的に通じている大きな言語があるということを知って、通詞たちにフランス語を勉強しなさいと命じたそうです。それが1806年のことです。この頃からフランス語をやらなきゃって機運は出てきたんですけど、不幸なことに1808年にフェートン号事件が起こります。それでイギリスのことを知らなければってことで、長崎にいる通詞たちに英語を勉強しろって命令が出て、フランス語は後回しになります。この後も、こういう外交上の悲劇がずっと日本におけるフランス文学のありかたに影を落としているような気がします。いずれにしても、英語よりフランス語の方が早く学習がはじまったのに、外交の必要からあっというまに英語が優先的に勉強されたという経緯は大切です。ただし、それでフランス語との関係は完全に切れちゃったかっていうとそうでもなくて、村上英俊という学者が医学の勉強のために化学の本を注文したのですが、届いたものがオランダ語じゃなくてフランス語だったというハプニングに見舞われます。そこで、私塾を開いて弟子たちと一緒にフランス語の翻訳や辞書編纂をはじめていたのです。『解体新書』出版時のオランダ語の翻訳過程と似ているかもしれません。これがフランス語学習の再興になります。このあたりの経緯は富田仁『フランス語事始 村上英俊とその時代』が詳しいですから、興味のある人は見てみてください。そして、1858年に日仏修好通商条約が締結されると、フランスと幕府は軍事を中心に接近していきますが、これがまた日仏関係に災いします。明治維新が起こって、幕府は新政府の敵なわけだから敵である幕府と仲良いフランスは日の目をみないということになり、あらゆる実用的なものが英語・ドイツ語をもとに進められていくわけです。とにかく英・独の後塵を拝するというか2番手扱いですね。たとえば、ここ東京大学でのフランス文学の扱いを考えるとき、明治19年に帝国大学令が出て法・医・工・文・理の五分科大学の一つとしてつくられた文科大学がいまの東大文学部の原型となりますが、その段階では英文科と独文科はあったけど仏文科はありませんでした。明治23年にはフランス文学科が増設されることになるのですが、初期メンバーには入れなかったわけです。重要なのは、フランスが江戸幕府の側についちゃったことで、明治維新後にやってくる欧米化の波でトップに立てなかったことが日本におけるフランスの立ち位置に影響してきたわけですが、面白いのは、薩長が官であり野暮で、幕府側の江戸があって在野で粋なんだという、反骨精神のラインにフランスが重ねられたということです。当時の世界全体に目を向けてみても、イギリスが世界を征服する勢いで伸びている一方で、フランスはちょっと陰りがある。滅びゆく江戸に重ねられたようなのがあったみたいなんですね。そういった中でちょっと時代を戻りますが、1874年に中江兆民がフランス学舎っていう私塾を開いています。ここでルソーが読まれたりしながら、在野の中でフランス語の理解が磨かれていきます。やがて、私塾以外でも官立学校でフランス語が教えられる様になるのですが、東京外国語大学や一橋大学の源流にあたる東京外国語学校でフランス語が教えられていて、東大より早くフランス語を教えていたということになります。ここまでが幕末から明治初期までの、日本におけるフランス語受容ということになります。

愼:フランスは明治政府の敵だったというのは、教育にも影響大きかったんですね

塩塚:はい、それでこれが翻訳にも関わってきます。先ほど話したようにフランス文学そのものは重訳によって英語経由で知られていたんですが、直接翻訳されたのは既に話したように1878年の『80日間世界一周』まで待たなきゃいけなかったってことになります。その頃の大学におけるフランス文学教育はどうなっていたかというと、高等教育機関で最もはやくフランス文学を専門に講じた日本人は永井荷風なんです。フランス滞在を経て1910年に慶應義塾の教授になっています。フランス語とか仏文学を講じていてカリスマ的な影響力を持っていたらしく、永井荷風がいるから慶應義塾で学びたいという人が出てくるぐらいでした。いま最初に教授になった日本人と言ったのは、東大ではフランス人教師が一人で教鞭をとっていたみたいだからです。1921年に日本人初の東大仏文科の教員として辰野隆という人が着任します。それまで東大に仏文の日本人の先生はいなかった、慶応に11年遅れを取っているんですね。何事も東大が一番とは限らないわけです(笑)。このあたりについては、出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』っていう本が出てますが、それによると当時どんな作家が翻訳されて読まれていたかといえば、明治時代のフランス文学っていうのは何よりもモーパッサンなんだそうです。モーパッサンは自然主義の作家で、人間の汚いところも裏側もありのままに書いてやろうっていう文学です。先ほど話に出た永井荷風も、モーパッサンやゾラの影響を受けています。ただし、自然主義一辺倒の時代にあって例外的な人物として上田敏がいます。彼は東大の英文科出身ですが、英訳を通じてベルギーやフランスの詩を訳詩にしています。

愼:(やばい、自然主義文学もほとんど読んだことないや…)

池澤:(だからそれやばいだろ…ジト目)

塩塚:昭和に入ってからはどうなるかというと、やはり戦争の影響が大きくて日仏は敵国の関係になります。英語は敵性言語だけど必要性もあるってことで、やっぱり時間数減らして勉強するなということにはいかないですが、フランス語は明治以来の悲哀がここでもというか、実用性もないし紛れもない敵性言語なんだからってことで大学における授業の時間数や予算を削られてしまいます。当然、ドイツは味方だったので削られなかったのです。というわけで、仏文科の先生になろうと思ったって職の口がないので、職業として恵まれなかったんですよね。でもこの恵まれ無さが逆に功を奏してというべきか(笑)、役に立つとかじゃなくて純粋に面白いからやるって人が東大仏文科には集まってくるようになります。太平洋戦争前の卒業生だと、三好達治、小林秀雄、中村光夫、森有正、など色んな人材が輩出されています。戦後もキリがないぐらいですが、ノーベル賞作家の大江健三郎、アニメ映画監督の高畑勲さんも東大仏文科出身です。

池澤:あれ、その中に福永武彦という名前もありませんか…祖父なんですが(笑)。

塩塚:福永さんは学習院の先生もされていましたね。とにかく、東大仏文科の歴史を簡単にたどってみると、帝国大学令が出て東大に仏文科が設置され、日仏交流史っていう研究が本格的に始まったとみなすことになっていますが、実際には先生も日本人いないし、学生も年に1人2人いるかいないかみたいだったということで、最初期の頃の実態はよくわかってません。 様子が変わるのは辰野隆が東大の先生になってからですが、それも彼が個人的に非常に魅力的な教師だったということが大きいようです。学問をガリガリやるだけじゃなくて、趣味も多く、広い視野で人間が好きって雰囲気の先生で、彼についてくるように大正時代の末ぐらいから学生が増えてきました。ただし、今と変わらず就職状況はよくなかったみたいです。にもかかわらず、教室の雰囲気で学生が集まってきた。ここに、ちょっと踏み込んで言うと、仏文科の象徴性というか、「文学部らしさ」が現れていると思います。そもそも文学部っていうのが大学のなかで周縁的に置かれていて、趣味でやってんでしょって軽く扱われるなかでも、仏文科はさらに英独よりも下に見られていた。周縁のなかで更に周縁にいたので、純粋に文学を楽しもうって人たち、厳密な学問研究を目指す人たちのみならず、作家やアニメ監督になりたいって面白い人が集まってきたのがあると思います。

池澤:日本とフランス、すれ違い続ける運命の二人の話を聞いてるみたいでドキドキしました。会いたいのに会えない、会えたと思ったらまた離れ離れみたいな。いまの仏文科はどうですか?

塩塚:いま仏文は多い年でも学部の進学者が15人とかですが、昔は一学年40人とかいたみたいですから。仏文が誇っていいのは、優秀な学者を出したとかではなく、色んなジャンルの変わり者、へそ曲げた人たちを包み込んできた空間だったっていうことだと思うし、教員である僕らもそういう空気を守っていきたいなと。仏文科に来たから優秀な学者になれなんてこと、言うつもりはないです。その代わり、やりたいことを存分にやれと。

池澤:われこそは天の邪鬼であるって人はぜひ仏文科の門をたたいてほしいですね

塩塚:東大じゃなくてもいいですからね

高校生たちとの質疑応答

愼:ということで、何かいい感じに仏文科への招待もして頂いたところで、楽しい時間もあと15分程度のようです。今日のまとめを兼ねて、「大学で文学を学ぶってどんなこと?」という今回のタイトルに戻りたいんですが。

塩塚:僕らからっていうより疑問とか感想聞いてみたい気もするな、なんでもどうぞ。

高校生:(…)

愼:いきなり「質問して」だと皆さんも大変そうなので、緩い質問を僕から。今日のポイントとして、少なくとも東大の仏文科では純粋に面白いテクストと出会いたい、楽しみたいという意識を重視しているということで、これってよく言われる「文学部=就職できない、仕事に繋がらない」というイメージに敢えて反論しないということだと思うんです、仕事が楽しいものでないという前提に立つならば(笑)。そう考えたときに、池澤さんみたいにたとえば演技とか、広くエンタメの世界って仏文と親和性あるなと思ったりするんですが、どうですか?

池澤:実際、フランス語が話せる声優って全然いないんですよ、私入れて数人しかいない。フランス語ってオシャレ感があるイメージなのか、フランス語でしゃべるシーンを強調するために、フランス語しか喋らせてもらえない役とかありますから

愼:『ウマ娘』のブロワイエとか?(目キラキラ)

池澤:はい、ありがとうございます(笑)。他にも某ゲームの悪の親玉役で、全部フランス語でやってくださいって言われたり、ラジオドラマでずーっとフランス語しゃべらされたり…

塩塚:ええ、ラジオドラマってことは字幕もないの? 聞き取れる人いるの…?

池澤:どうなんでしょ(笑)。ただ、いずれにしても声のお仕事で、意外とフランス語を必要とするものはあるということです。『ドラえもん』でもフランス人の女の子役やったことがあります。最近だと『エミリー、パリへ行く』の吹き替えも。

塩塚:みなさんは進路について悩んでいるとかはないですか?いまは先ほど愼君が言ったような、文学部にまつわる脅しが非常にきつくメディアを通じて流されるけど、僕に言わせればそんなことないからやりたいことやれって思うけど、親や先生に何か言われて悩んでる人もいるかもしれない。どうでしょう、なんでも構わないです。大学ってどういうところだろうかとか、学ぶってどういうことだろうかとか。

愼:文系科目どう勉強したらいい点とれるかとか(笑)

池澤:私、文芸学部芸術学科に在籍していたんですが、最初の講義のときに言われたことを今ふと思い出しました。芸術は余剰の産物で、社会の余り物。だからこそ大事なんですよって。余剰を守らなければならないんです、って。

塩塚:大切なことですよね。余り物だって感じるのは別に拗ねてるわけじゃなくて、余り物も存在していいんだって、自分を中心に考えられる考え方が大切です。余り物だからって存在してて何が悪い、生きてて何が悪いって居直る精神というか。

愼:今日何度も話に出た『80日間世界一周』って『ジョジョの奇妙な冒険』第3部に影響しているって、荒木先生もインタビューで仰っていたと思うんです。たとえば、ジャンプのマンガを読むにしても、文学で得た問いから、自分がこのキャラクターなんで好きなんだろうって考えたり、作品の思想的含意を考えたり、とても素朴なんですが日常生活で楽しめる作品が増えるというのは結構実利でもある。

池澤:実利を得るためにも、寄り道って大事ってことですよね!

塩塚:80日間で世界一周しなければいけないって、主人公フォッグはどんどん先を急ぐわけですね。観光もせず先へ先へって進めていくんだけど、2回だけ非常に大きなタイムロスをするんです。ひとつは作中のインドで行われているサティという儀式で、旦那さんの後追い焼身自殺を強制されようとしているご夫人を救い出すために、時間をずいぶんロスします。もうひとつはアメリカ大陸横断鉄道での移動中、従者のパスパルトゥーがネイティブ・アメリカンにさらわれたときに助けに行くっていうロスがある。これは、フォッグの特徴である時計人間みたいな原則に反する振る舞いなんですが、時間を無駄にしたおかげで旅から帰ったときにアウーダ夫人の愛を得て結婚することになるんです。愛とは別に得たものについてはネタバレを避けますけれど、回り道をして無駄なことをやったからこそ愛を得て、自分の中に人を愛することができる心があったっていう本当の自分を発見する旅にもなったわけです。最終的に無駄なことってのはないし、そのリスクを負わなければ何もわからない。特に若いときって時間が無限にあるんだから、すくなくともそう思えるんだから、目に見えているゴールを目指すこととは違うことにに手を出してみるってことをやってみてほしいなと。

愼:つまり、大学で文学をやると?

池澤:寄り道をする贅沢を得られる!

高校生:僕もマンガをけっこう読むんですけど、小説とか本をそんなにたくさん読む方ではなくて、そういう人が文学部に入っても大丈夫ですか?

塩塚:大丈夫、ほとんどの人がそうです。本とは出会うタイミングっていうのがあるんですよ。池澤さんみたいに早いタイミングで出会う人もいるかもしれないけど、遅い人もいる。僕だって理科一類で入ってから回り道をして文学に出会ったわけですし、遅いってことはない。まったく気にしなくていいと思います。少なくともマンガであったとして物語に興味があるわけでしょ、十分文学部楽しめると思いますね。

池澤:フランスにはバンドデシネ(bande dessinée)、絵で読む文学っていうのがあるんですね。自分にとって身近なところから入ってくるのもありですし、そもそも文学って形が変わっていくと思うんです。だって、文学そのものが反逆の精神を尊びますから(笑)。 愼 僕はこの身体なので、本を手でめくれないですね。今は24時間そばにヘルパーさんがいますし、パソコンでスキャンしたものを読めますけど。そういうわけで、子どもの頃からアニメが大好きでした。アニメにどれだけ救われてきたか、良いキャラクターや物語と出会うと友達いなくても病室にいても幸せだった。

池澤:私いじめられっ子だったので本の世界で救われましたね(笑)

愼:いまでこそ電子書籍が普通に売られているけど、子どもの頃そういう時代が来ると思ってもいなかった。いまじゃ専門書もそろっているし、出会うべきときに出会うものですよ。僕はさっきも言ったけど、『星の王子さま』一文字も読んだことないです。

塩塚:僕も白状するけどそんなに早くないですよ、大学入ってから。

学生:今年の10月に文理選択が迫ってて 小さい頃から本を読んでるわけでもなく、かといって数学が得意なわけでもなく、全部同じような成績で、国語の点数を安定して取る方法とか知りたいです。

池澤:国語ってどういうところで苦労されてるんですか

学生:自分の読みやすい文章ジャンルが物語とか生物の話とかそういうのだと点数取れるんですけど、あんまり知らなかったり興味が無かったりする内容の機械の話とか哲学の話とかだと点数取れないという。

池澤:苦手は苦手でいいんじゃない?スポーツだって球技や走ることや水泳や…得意があるわけで。走るのが得意な人にオリンピックで水泳出ろって酷じゃないですか。生物が好きならそれを突き詰めていって、スペシャルなものが見つかるかもしれない。私もデコボコ強くて、国語の偏差値80越えてて数学とかは150点満点中8点とかだった(汗)。

塩塚:全部できる必要はないけど、国語っていうのは知らなきゃできないってことが一番少ない科目ということは確かです。書かれている問題文のなかから読み取れないものは出せない。書かれているものからいかに読み取るかさえわかれば、書けるように作られている。論説なんか最たるもので、コツさえわければなんとかできるようになる。むしろ難しいのは、物語について登場人物の感情はとか問うのは、たしかに難しいところがあるかもしれない。難しいと思っているところはコツをつかめばできるようになるはずですから、まず時間をかけてみることからはじめればなんとかなるかなっていう。

愼:国語は僕必勝法を知っています。東大の旧後期試験とか、慶應の法学部の昔の小論文の問題をやってみるといいと思います。多少のズレはあるかもしれませんが、長い文章を読ませて800字で要約し、1200字で問いを立てて答えさせるという形式。要約は国語の模範解答の採点基準を当てることに等しいし、自分で問いを立てることは国語の問題文を下線部を自分で考えることなので、出題者の出題意図を考える練習になります。

池澤:たしかに自分で問題をつくってみるのは読み解き方の訓練になるかもしれないですね

学生:参考になりました、ありがとうございます。

塩塚:文系と理系で迷ってる?

学生:迷ってます。数学の方が「確実性」があると思っていて

池澤:得意なものがないっていうけど、逆に「苦にならない」方はどっちって考え方も大事ですよ、勉強を続けていく上で

塩塚:僕も文理選択迷ってね。本読むのは好きだったけど、「研究する」ってイメージがどうしても湧かなかった。結局、理系から文系に変わるのはできそうだけど、逆は難しいだろうと思って理系で入学し、その後結局文転したんです。理系の教養課程の実験はなんのためにやらされてるかわからなくて苦痛でした(笑)。

池澤:どちらが向いているかじゃなくてどちらが楽か、続けられるか

愼:ちなみに、東大はシステム上最低2年間の猶予ができるので、いくらでも迷えます(笑)

学生:小学生のころに『星の王子さま』を読んだけど全然おもしろくなくて。でも今日の話で興味がわいてまた読んでみようと思ったんですけど、魅力を教えてください

池澤:何度も何度も読むことができる名作だと思うんですね。教訓的なので子供のときはかえって反感を覚えることもあるかもしれないけど、あとになって気持ちがわかるとか、読むごとに響くところが違ってくるの。だからいま自分が響くところがどこにあるのか、響かんかったわーでもいい。20年後に戻ってきてとか、一生お付き合いできる本だと思います。だから愼君も読んでね!

愼:はーい

塩塚:バラを一本一本世話する話とか、子どもは世話される側なので響いてこないだろうけど、大きくなってからまたわかってくる(しみじみ)。

池澤:ツンケンツンケンしててなんだと思ってたのが、いま読むと泣けるのよ。自分がいまどのキャラクター、エピソードにたいして響くかで自分自身のいまの状況がわかる本なのかもしれない

愼:なるほど、年を取るといいこともあるという(笑)。

池澤:どういう意味かかしら?(ジト目)

愼:…ということで、今日は二時間にわたってありがとうございました!


Menu.教育学部セイファースペース(KYOSS)
イベント報告:大学で「文学」を学ぶってどういうこと?