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【プレスリリース】呼気が示す代謝様式と運動の長期記憶との関連性を解明
――呼吸交換比が長期記憶を予測し、グルコース摂取がその定着を促進――

2025年12月5日
発表のポイント
  • 各個人の代謝様式を反映する呼吸交換比は、運動学習の長期記憶に関連する学習ダイナミクスと強い関連を示した。
  • 運動学習前に200 kcal のグルコースを摂取することで、呼吸交換比が変化し、長期記憶が推定21.4%向上させることを明らかにした。
  • 本研究は、運動学習効果の定着を促進させるために、代謝様式に着目し介入するといった新たな学習方略の開発につながる。
発表内容

 東京大学大学院教育学研究科の林拓志助教、情報通信研究機構の中野信泰研究員、産業技術総合研究所の鷲野壮平主任研究員・村井昭彦研究チーム長らによる研究グループは、呼気ガスから推定された各個人の代謝様式が運動学習の長期記憶に関連していること、さらに、グルコースを摂取することで代謝様式を調整すると、それに応じて運動学習が調整できる可能性を明らかにしました(図1)。
 自転車の乗り方や楽器の演奏など、新しい運動技能を記憶する運動記憶には、脳の神経活動が不可欠です。脳は体重のわずか2 %ほどの大きさですが、体全体のエネルギーの約20 %を消費する大食漢で、そのエネルギー源は主にグルコースです。本研究では、呼気ガス中の酸素と二酸化炭素の比率から算出され、身体がエネルギー源として糖質と脂質のどちらを多く利用しているかを示す指標である呼吸交換比(注1)が、脳の活動状態を反映し、運動記憶の定着しやすさを示すマーカーになりうるという仮説を立てました。
 本研究では2 つの実験を行いました。実験1 では、被験者にロボットアームを操作する運動学習課題を行ってもらい、その間の呼気ガスを測定しました。その結果、呼吸交換比は運動実行それ自体には影響されず個人内で安定した値を示す一方で、呼吸交換比が高い人ほど、計算モデルによって推定される長期記憶に関連した学習要素(遅い成分)が大きいことがわかりました。
 実験2 では、呼吸交換比を意図的に操作することで長期記憶が向上するかを検証しました。運動学習の前に200 kcal のグルコースを摂取するグループと、水のみを摂取するグループを比較したところ、グルコースを摂取したグループでは学習中の呼吸交換比が有意に上昇しました。さらに回帰分析を行った結果、この呼吸交換比の上昇が、24 時間後の記憶保持率を増加させ、個人内で推定21.4%向上させる効果があることが示唆されました。
 本研究は、呼気計測という簡便な方法で、長期記憶の定着しやすさという個人の特性がわかる可能性を示した点で画期的です。また、グルコース摂取という簡単な介入によって運動記憶を高められる可能性は、アスリートの効率的な技能習得や、脳卒中後のリハビリテーションなど、より効果的な学習プログラムの開発への応用が期待されます。
 なお、本研究は東京大学倫理審査専門委員会の承認のもと実施されました。

図1:呼気ガスを計測しながら腕到達運動課題を対象とした運動学習実験

本研究では、身体における糖質と脂質の燃料利用バランスの指標である呼吸交換比が、運動学習における神経プロセスの生理学的マーカーとなりうるかを調査した。その結果、呼吸交換比は、筋活動などの運動実行とは関連せず個人内で安定していたが、個人間で大きな差異があった。この大きな個人差が何を反映しているのか調べるために、視覚誤差に対する運動学習実験を行い、数理モデルを用いて早い成分と遅い成分に分離すると、呼吸交換比は運動学習の遅い成分と特異的に相関することが明らかになった。さらに、呼吸交換比を急速に変化させるグルコースを投与することで、24 時間後の記憶保持が推定21.4%も向上することが明らかとなった。

発表者・研究者等情報

 東京大学
  大学院教育学研究科
   林 拓志 助教

 情報通信研究機構
  脳情報通信融合研究センター
   中野 信泰 研究員

 産業技術総合研究所
  ウェルビーイング実装研究センター
   鷲野 壮平 主任研究員
   村井 昭彦 研究チーム長

論文情報

雑誌名:The Journal of Physiology
題 名:Linking systemic metabolic state to long-term motor memory: Insights from respiratory exchange ratio and glucose manipulation.
著者名:Takuji Hayashi, Nobuyasu Nakano, Sohei Washino, Akihiko Murai.
DOI:10.1113/JP289233
URL:https://physoc.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1113/JP289233

研究助成

本研究は、科研費「基盤B(課題番号:JP23H03296)」、戦略的創造研究推進事業さきがけ「生体多感覚システム(課題番号:JPMJPR23S8)」、ムーンショット型研究開発事業・目標3「2050 年までに、AI とロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現(課題番号:JPMJMS2239)」の支援により実施されました。

用語解説

(注1)呼吸交換比
呼吸交換比とは、呼吸において、体内に取り込まれた酸素の量に対し、体外へ排出された二酸化炭素の量の比率を示す値です。計算式は「二酸化炭素排出量÷酸素摂取量」で表され、この数値は身体がエネルギーを作り出す際に、主にどの栄養素(糖質か脂質か)を燃焼させているかを知るための重要な指標となります。呼吸交換比が約1.0 の場合は主に糖質を、約0.7 の場合は主に脂質をエネルギー源として利用している状態を示します。一般的に、安静時や強度の低い運動時には糖質と脂質の両方が利用されるため、呼吸交換比は0.7 から1.0 の間の値をとります。

問合せ先

<研究内容について>
東京大学大学院教育学研究科
助教 林 拓志(はやし たくじ)
E-mail:thayashi@p.u-tokyo.ac.jp

<機関窓口>
東京大学大学院教育学研究科 広報担当
Tel:03-5841-3903 E-mail:edushomu.p@gs.mail.u-tokyo.ac.jp



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