9.戦後から現在までの教育界の大まかな流れ

 

 戦後の学校教育は、デューイの経験主義カリキュラムが主流でした。経験主義カリキュラムとは、子どもの興味や関心を出発点とする活動的な学習が組織され、教育内容と学習の方法の個性化・協同化がはかられた、直接体験中心のカリキュラムのことです。昭和26年の学習指導要領は、そのような流れの中で生まれた「生活単元学習の学習指導要領」でした。

 その後、学習指導要領の基準性の強化や、高校における知識偏重を避ける目的で昭和30年の学習指導要領改訂が行われます。この頃から少しずつ経験主義カリキュラムで本当に大丈夫なのかという声が現場の教師を中心にあがりはじめてきます。

 そして、昭和30年代になって行われた学力調査などの結果が思わしくなく、さまざまな所から学力低下が叫ばれるようになってきました。そこで全教科を通じて経験主義や単元学習に偏りすぎていたそれまでの戦後教育の流れを見直し、各教科の持つ系統性を重視し、基礎学力の向上を目指す新しい学習指導要領が誕生したのです。それが昭和35年改訂の学習指導要領です。この当時、日本は高度経済成長に突入した時期であったことからも、特に科学技術教育に重点が置かれました。

 1960年代に入り、アメリカではソ連の人工衛星スプートニク1号の打ち上げ成功に衝撃を受けた、いわゆる「スプートニクショック」が広がりました。それに伴い、ブルーナーの『教育の過程』という本が話題となり、日本にもその余波がやってきます。その余波の最たるものが、教育内容の現代化と高度化です。昭和45年改訂の学習指導要領は、このような背景の下で発表され、戦後から現在に至るまでのうちで最も内容の多い指導要領となりました。

そのような、いわゆる「詰め込み教育」や「おちこぼれ」といった教育問題が社会問題となってきたのが、昭和50年前後です。そのような問題を解決するために多くなりすぎた学習内容を厳選し、ゆとりある充実した学校生活が送れるようにと作られたのが昭和53年の学習指導要領です。この改訂により、「人間性豊かな児童生徒を育てる」ことが教育の大事な要素であることが明記され、後にゆとり教育と言われるようになる教育問題の出発点となっていくのです。

 時代が昭和から平成に移る頃になると、教育界では「いじめ」「不登校」「校内暴力」といった「人間性豊かな児童生徒」とはかけ離れた問題が続出してきます。この問題に対して教育界では、個性を尊重し、自ら学ぶ意欲や主体的な学習の仕方を重視し、体験的な学習や問題解決学習を取り入れることが大切だと考え、平成元年改訂の学習指導要領ではさらに学習内容を削減することにしました。そして関心・意欲・態度を育成する「新学力観」への転換が図られたのです。

 完全週5日制への移行が間近に迫る頃になると、「ゆとりの中で生きる力を育成する」ことが基本的な考えであるという考えの下で、平成11年の学習指導要領の改訂が行われました。この改訂では「総合的な学習の時間」や「選択教科」の増加により、教育内容はさらに削減され、教育関係者だけでなくさまざまな業界関係者から批判が集中しました。そのため平成15年には早くも一部改正が行われ、学習指導要領の示していない内容を加えて指導することも可能であるという基準性が明確化されたのです。

 そして最近ではPISAやTIMSSに代表される国際的な学力調査の結果が公表されたり、全国学力・学習状況調査も復活したりするなど、学力向上が国を挙げての重要課題としてより一層注目されるようになってきました。このような教育問題が表出する中、「確かな学力・豊かな心・健やかな体」の三本の柱に代表される「生きる力」の理念をさらに重視し、前回の改訂で少なくなりすぎた学習内容を見直し、時代の流れに沿った、知識基盤社会に対応できる人材を育成する観点も取り入れられた今回の学習指導要領の改訂が行われるに至ったという訳です。


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