@時代背景 1960年代、ソ連の人工衛星の打ち上げ成功によるアメリカの「スプートニク・ショック」に対し、アメリカの教育心理学者ブルーナーを中心とした教育についての会議の中で話題に上った「どの教科でも、知的性格をそのままに保って発達のどの段階の子どもにも教えることができる」という言葉が指導要領改訂に大きな影響を及ぼしました。 日本は当時高度経済成長真っ只中で、やはり科学技術教育の充実が最重要課題として認識されていました。そのため、教育内容の現代化と高度化が進み、これまでの学習指導要領の中でも、最も学習量の多いものとなりました。そして、この後「詰め込み教育」「教育内容の消化不良状態」などの批判や塾産業の隆盛が話題に持ち上がってくるようになります。 |
A主な教育トピック ・東大医学部学生、安田講堂占拠(昭和43年) ・国連教育年(昭和45年) ・家永教科書第二次訴訟、検定不合格処分取消判決(昭和45年) |
B改訂の中身 |
C気づいた特徴 ・集合論・行列がはじめて導入される ・計算機等の使用に関しても言及している |