集団指導における実践
指導概要
集団指導を行っているのは、都内の大手進学塾で、指導の頻度は週に1回。皆、中学受験を視野にいれて通塾している。
受け持ちは小学4年生で、クラスは1学年10クラスある中で成績下から3クラス。1クラスは約10〜15名で構成される。教科は算数で、1回の授業時間は1時間。算数の授業はAとBに分かれ、Aは前回の復習、Bは新出単元となっている。よって、Aは演習(問題を解く)と解説メインの授業であり、Bは講義メインの授業である。
自分の受け持ちはAの授業で、1週間前に1時間かけてBの授業担当の先生が行った授業の復習を1時間かけて行う。これを、1日に3クラスで実施する。A授業の進行としては基本的に前回やった内容なので問題をまず解いてもらい、それに対して解説を加え、わからない子に対しては授業中対応できる範囲で個々に対応する。授業中対応できない場合のために、授業後は「質問教室」というものが設けられ、児童は先生に質問することができる。
また、授業の最後は10〜15分程度を使いテストを行い、授業の理解度を測る。教材は塾の方できっちり決まっており、毎回の授業で進まなくてはいけないボーダーラインがあり、また延長は許されない。
また、シール制度というものがあり、先生はテストでいい点を取った子などを対象にシールを配ることができる。児童はそのシールと引き換えにグッズなどをもらうことができる。
小学4年生ということで、今年度から塾に通い始めた子が多く、塾にまだ慣れていない子や、勉強の仕方がわからない子がたくさんみられる。さらに、その中で受け持つクラスが校舎の中で一番成績の下の3クラスであることので、その傾向は特に顕著である。そこで、このような児童を対象として、学習の動機付け理論に基づいた実践を行っていくことは非常に有意義なことであると考えいくつかの実践を行った。
以下が毎回の授業のレビューです。これに基づき、実践@〜Hについては改めて考察を加えました。
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考察
実践@ 問題が解けなかった子に、「何がわからなかったか」「次どうすればいいか」というのを積極的に問いかけてみる。
これは認知カウンセリングでいう教訓機能という方法で、二要因モデルでいう訓練志向による動機づけです。さらに自己診断の促しも予定しています。この問いかけは個人に対する問いかけであるため、集団指導であるということと、授業時間が延長ができないということで、実際は生徒にそのような質問する前に教え込みをしてしまっていることの方が多かったです。また、小学4年生ということもあり、応用というより教え込むことが必要とされる問題が多かったです。以上により、この質問形式は集団指導に向いていないと思われます。
実践A ぼーとしている子に対して、「なんで勉強をしているか」と問いかけてみる。
勉強に対する多重に支えられた動機付けを意図した問いかけでしたが、実践@以上に時間的な余裕がなく実践が難しいものでした。
実践B しゃべってばかりいる子に、「なんでしゃべるのか」「なんでしゃべっちゃだめなのか」と問いかけてみる。
当初は「なんで」か問いかけることで、しゃべることは他人に迷惑をかける行為であるということを自己認識させることで、しゃべるという行為を減らそうと考えた。しかし、しゃべることが迷惑な行為だということはそもそも生徒自信も自覚していて、それでもなお悪いとわかっていながら我慢ができずに話しているということが分かり、この質問自体はあまり意味のない行為であったと思われます。よって,しゃべらせたくないのであれば,しゃべることを禁止するのではなく,授業に対する取り組みやコミットを上げることでしか,この問題は達成できないと感じました。
実践C 「なにがわからなかったか」「次どうすればいいか」をみんなの前で発表できたらシールをあげる。点数が高くない子の救済処置と説明する。
実践@の問題点として、個人的な問いかけになるという問題があったので、それをクラスを巻き込む活動にしました。また、みんなの前で間違いを発表するという勇気のいる行為でもあるということもあるし、外的な報酬を与えることから動機付けの内在化を目指しました。ただ、小学4年生ということもあり、教え込み中心の内容であるということと、小学4年生、さらには成績下位クラスの児童にはまだ抽象化という概念が難しいという印象をうけた。実際は、もっと準備していれば効果的に問いかけることもできたと思います。
実践D 一見して児童が活動の理由を理解できないと予想される時に、「なんで?」というといかけを頻繁にし、それにたいして答えられた子にシールをあげる。
「何で間違った問題は赤ペンで×をつけなくちゃいけないの?」「なんでここは割る必要がないの?」など、教師が恣意的に教え込みたいこと、カリキュラム上教え込まなくてはいけないこと、一見して児童が活動の理由を理解できないと予想されるときなどに、活動の意図を分かってもらうことで、活動の動機付けを促そうと考えました。この問いかけに対しては基本的に児童のくいつきがよく、「なんで」に答えられることはいいことというコンセンサスがあるので、シールをあげることはむしろ内発的動機付けの減退効果を引き起こす可能性があると注意しなくてはならないと思いました。
実践E 授業のやり方を生徒に提案させてみる。
自律感を出すことを意図して行ないましたが、カリキュラム上授業にほとんど自由度がなく難しい問題であると思いました。
実践F 最初に授業の狙いを言う(先行オーガナーザー)。
これにより、授業の意図を明確化させ、知識の習得を効率的に行うことを目指しましたが、これがそもそも授業に対する学習意欲の向上につながるかはよくわかりませんでした。授業の意図を言うだけでなく,思い切って,授業中扱う問題を一度解答を読ませてしまってから解かせる,といった形をとれば,予習→授業→復習というサイクルができ,解答と自分で理解しようとすることで理解力が上がること,または,実際解答を読んでも自分でその後解答できなかった場合に,なぜ解かなかったかについて今まで以上に深く考えるのではないかと有効性が想像できる。
実践G 授業最後のテストでチームで点数を競わせる。
普段は個人選で点数の高い人にシールをあげていたところを、チーム選にして平均点の高いチーム全員運命共同体でシールをあげることにしました。これは二要因モデルの関係志向という観点から、学習意欲の向上を目指しました。これにより、しゃべってばかりの児童の発話抑制、逆に会話をしてくれない児童の会話誘発の効果を意図していましたが、この2つの効果はなかなかみられていません。その原因としては,最後のテストだけでは,チームであるという意識が深くならないという点が考えられます。早く解けた人が,なかなか理解できない人に教えるといったシステムを作くることができたら,より深いチームへの帰属意識が芽生え,狙いが達成できるのではないかと思いました。児童の間でこの試みに対する好き嫌いがはっきりしているという点が面白いところです。
実践H 忘れたとき、わからないとき「なぜ忘れたか、わからないか」を問う。
忘れたこと、わからないことの原因帰属を自分の能力ではなく、努力に帰属していると認識することを目指して実施しました。まだ、満足のいく実施はできていません。
まとめ
結局、集団授業において、学習意欲の向上につながる可能性があったものはC,D,G,Hで、CとHに関してはより意識を高めたり、より準備をすることでよりよい活動できたと思います。DとGについては、主に児童の活動に対する食いつき具合からみてとれることからも,ある程度の成果があったと思います。
中期間に渡って、このような活動をしていったにもかかわらず、なぜこれほどまでに少ない成果しかあげられなかったかということについて考察をするとすると、ひとつにはこのようなひとりひとりにきめこまやかな指導はそもそも集団指導において向いていないという点があると思いました。
次に、教師としての自分の力量不足を感じました。そもそも、第2回はレビューを見れば分かる通り準備不足でよりよい授業が出来たし、もっと一度にいろいろなことが見えたり、意識できるようになればもっと多くの児童の学習意欲を向上させることができたと思いました。
第三に、これも第2回で顕著なように、教師が諦めたら準備していたものが建設的に成就することは決してないということです。教師は原因帰属を決して児童に向けるべきではなく、自己に向けるべきだと強く認識しました。これは認知カウンセリングのケーススタディの項目にも書いてあることでした。
第四に、授業についていけていない児童にばかり目がいきがちで、むしろ授業のペースが遅いと感じている児童に対するケアが足りなかったと感じました。授業のペースが遅いと感じていても、所詮10クラスの中で下のほうのクラスでそうなているだけで、目指すべきところはもっと先にありうるというということを意識させることができればと思いました。
逆に、これらの活動の中で気づいたことは、皮肉にも第2回の失敗から自分は多くの教訓を得ていて、これこそまさに認知カウンセリングでいうところの教訓帰納であると思いました。
また、急に大きな声を出して切れたり、逆に先生は君たちの見方だよといっていい話をするというような刺激を授業に与えることで児童をうまく自分の話すないように引き込むことが出来れば、全ての活動が普段よりうまくいきやすいということが実践の中でよくわかりました。
また、そもそもこのような一人ひとりにきめこまやかな指導をこの塾という組織の中で行いやすくする方法として、如何にして授業後の質問教室に生徒を足を運ばせるかというところも今後大切な着眼点になってくる。そしてそれこそが今後の集団指導の課題なのではないかと思いました。