必要な校則は何か 本文へジャンプ
生徒・教師の意識

 校則の実態



校則には大切な教育的意味、目的があることがわかりましたが、実際に校則はその役割を果たせているでしょうか。


校則の現状について秦(2003)は次のように述べています。


「校則そのものが、完全に『独り歩き』しているという状態である。『校則だから守らせる』、『守らなければならない』といったように、これがこどもたちを規制するだけのものになっている。」


校則が独り歩きする・・・これは一体どういうことでしょうか。以下では彼の示したデータを中心に考えてみたいと思います。


次の表は高校生の校則違反に対する意識調査の結果です。


表1:校則違反に対する高校生の意識

(秦(2003)のデータから表を作成)

絶対してはいけない
16.3%
できるだけしないほうがよい
53.7%
これくらいならよい
28.3%


校則違反を「絶対にしてはいけない」と考える高校生はたったの16.3%です。ここから、生徒が校則違反に対して許容的な姿勢を示していることがうかがえます。同様の結果は木村(2003)も示しています。


図1:校則に対する意識

(木村「現代高校生の規範意識」(2003)より抜粋)



この状況について秦(2005)は、生徒は「規則の本質的な意味や意義を理解して」おらず、「監視の目をかいくぐって要領よく対処しているに過ぎない」と主張しています。さらに校則の内容が「ほとんど服装・髪型に集中している」という事実が相まって、校則が「独り歩き」の状態になってしまったということです。そして「校則による生徒『指導』は生徒『管理』に、完全にすりかわってしま」い「本末転倒」であるとし、「校則のあり方を再考する必要性を感じる」と結論づけています。


校則の教育的意味が無視され、ただの外見の取り締まりになってしまっている。


これでは、校則は何の役にも立っていません


それどころか、無意味な取り締まりは生徒の反感を買い、生徒の心は悪い方向へ向かう可能性もあります。こうなってしまっては校則を守らせることは逆効果です。



このような校則に対する疑問は、実は高校生・教師のいずれの意識にも多く表れていることがわかってきました。


木村(2003)は、校則に対する疑問が、実は高校生・教師のいずれの意識にも多く表れていることを示しました。木村は表1のデータをもとに、次のように述べています。

「高校生の校則に対する全体的な傾向としては、『現在の校則には不要なものも多く、ゆきとどいた校則指導は好ましくないが、集団生活をおくる以上、校則は守らねばならない』ということが言えるのではないだろうか」。

さらに教師についても、「『集団生活をおくる以上、校則は守るべきであり、ゆきとどいた校則指導もおこなうべきだが、現在の校則には不要なものが少なからずある』というのが高校教師の校則に対する意識と考えられる」と主張しています。


このような結果から、前章で述べた校則の目的が、実際にはそれほど機能していないことが明らかになり、また教育的意味に合わない校則、すなわち不要な校則があることもわかりました。そして


教師・生徒は不要な校則があると認識しているにもかかわらず、


その校則に振り回されているのです。




校則は本来、教育的意味を持ち、その目的に沿って守られるべきものです。しかし上でみたように、現在の校則はその教育的意味を欠いた単なる規則となってしまいました。今ある校則を見つめ直し、理想的な校則を掲げると同時に、教師・生徒の両方が校則の持つ意味を考えることが必要です。


ここで、再び「必要な校則とは何か」という問いが浮かび上がってきます。生徒の内面を磨く教育的な意味を持つだけでなく、教師・生徒がその意味を理解しながら守られる校則。それが真に必要な校則ならば、それは果たしてどのように得ることができるでしょうか。



次の章では、校則について取り組んでいるある高校について紹介します。そこから、なんらかのヒントが得られるかもしれません。




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