校則は何のために?
校則が何のためにあるのかを考えてみましょう。
校則は単に生徒の生活を規制するためのものでしょうか。
あるいは、学校運営を整然と行うためにつくられた道具でしょうか。
たしかに、学校という集団生活の場では、集団の自由のために個人の自由を制限する必要はあると思います。つまり、校則は集団生活を円滑にするための道具としての面を持つということです。
しかし校則を考える上で最も重要なことがあります。それは
校則がどのような教育的意味を持つか
ということです。
デュルケーム(訳・1964)は次のように言っています。
「子供が規則を尊ぶことを学び、またかくせねばならぬがゆえに自制し、我儘を捨てる習慣を身につけるのは、学校規則の尊重を通じてである。それは義務が持つ厳しさについての最初の体験であって、真摯な生活はまずここから始まる」
校則は生徒がまじめな生活を送るためにある。これが彼の考える校則の教育的意味です。またそれに関連して、生徒が校則を守ることは、社会に出てから様々な集団の中でルールを守れる大人になる訓練であるとも考えられます。
校則は、生徒の将来のためにあるのです。
では、生徒のためならどんなに厳しく自由を奪う規則でも良いのかというとそうではなく、生徒の人権を尊重し、生徒の自由を奪いすぎないようにするのが大切です。
このようにデュルケームの言う校則の教育的意味はとても基本的なものであり、すべての校則の前提になっていると言っていいでしょう。
しかし、このことを踏まえていても、これは本当に意味があるのかと問いたくなる校則があると思います。次では、非行と校則についての議論をもとに、校則の教育的意味をさらに深く考えてみます。
人の外見は内面を映し出していると言われますが、教育でも服装の乱れは心の乱れとして、校則によって服装を規定し非行を防ぐという考え方があります。例えば、茶髪を禁止して、生徒が非行に走るのを未然に防ごう、というようなことです。
しかし、このことについて苅谷(1998)は次のように言っています。
「中学生時代の外見(服装や髪型など)が、そのまま大人になったときの『良い』状態とつながるわけではないことは、大人自身、自分たちの経験から実はよく知っていることです。(中略)校則の中身が何であれ、守るか守らないかが、学校に対する態度を判断する基準になるのです。」
つまり、校則は非行を防ぐためにあるというより、むしろ生徒の「正しい態度(正しい心のもちよう)を育て」るためにあり、これこそが「よい大人になることにつながる」のです。
したがって、校則は非行に対して有効かどうかはあまり問題ではありません。
校則は生徒の従順な心を育むためにある。
つまりこれも校則の大切な教育的意味だと考えられます。
この二つの目的はどちらも、生徒を内面を教育するという点で似ています。真摯な生活、正しく従順な態度は、どちらか一方だけでは成り立たたず、相互に関わり合ったものであると思います。これらを正しく身に付けることができる規則が、理想の校則となるのではないでしょうか。
さて、校則の教育的意味が明らかになったところで、次の章では
生徒・教師が校則をどのように捉えているのか
その実態に迫りたいと思います。校則を守らせる教師、守らされる生徒が果たして上に掲げた校則の教育的意味を理解しているのか、そこが次の論点になります。

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