第2章 各関係者の対応

ここまで見てきたような「学力低下」論争を受けて、教育に関わる人々はどのような対応をとったのでしょうか。この章では、文部科学省、地方自治体、私学・塾、保護者・教員の対応をそれぞれ紹介します。そして、それらの対応の基盤になっている「学力」観についても考察したいと思います。


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文部科学省
初期の「学力低下」論に対する態度
方針の転換
「ゆとり」路線への回帰
対応から見える「学力」観

初期の「学力低下」論に対する態度

「学力低下」論が出現した1999年以降、文部省は「学力」や「学力低下」に対する省としての考え方を積極的に表明するようになりました。


「学力低下」論に対する文部省の初期の反応が、1999年12月の中央教育審議会の答申で示されています。答申に「学力の現状」の節が設けられ、「最近、大学関係者を中心として入学してくる学生の学力低下を指摘する幾つかの意見が提起されている。」という記述に始まって、「学力低下」論に対する見解が述べられています。


このとき、文部省が見解の根拠としたデータは、小・中学校の「教育課程実施状況調査(平成5〜7年度)」(文部省)、「第3回IEA国際数学・理科教育調査(平成7年)」(国立教育研究所)、「第3回IEA国際数学・理科教育調査−第2段階調査−(平成11年)」、「学生の学力低下に関する調査結果(平成10年)」(大学入試センター)の結果でした。


文部省の結論は、「我が国の初等中等教育での学力はおおむね良好」というものであり、文部省が進めてきた「ゆとり」教育の方針は変えないという態度を示していました。


また、中教審の答申と同じ1999年12月、教育課程審議会が召集されました。教育課程審議会で議論の目的とされたのは、学力低下問題ではなく、新しい学習指導要領における教育評価でした。この審議会の答申は2000年12月に出されていますが、「学力低下」論については具体的には触れられていません。ただ、この答申には「学力については、知識の量のみでとらえるのではなく、学習指導要領に示す基礎的・基本的な内容を確実に身につける」と書かれており、「学力低下」論者とは一線を画した内容となっていました。


この頃には(小渕内閣・中曽根文相と森内閣・大島文相の当時)、「学力低下」に関する議論はすでに白熱していたものの、文部省は自らの立場を説明する以上には関与しない姿勢で、議論を正面から受けて具体的な対応をするという動きは見られませんでした。


方針の転換

文部科学省の対応の方向性が変わった契機は、2001年4月の小泉内閣の誕生でした。小泉内閣では、もともと文部省の官僚であった遠山敦子氏が文部科学大臣に就任しました。これ以降、「学力向上」をキーワードとした施策が次々と打ち出されるようになります。


その1つに、2002年度の予算編成に際して策定された「学力向上フロンティアプラン」があります。このプランによって、「学力向上フロンティアスクール」、「スーパー・サイエンス・ハイスクール」、「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」として全国の学校が指定されました。これらについては、2003年度にも新しい指定がなされています。また、2003年度には、「学力向上フロンティアプラン」を引き継ぐ形で「学力向上アクションプラン」が策定され、様々な方面で学力向上を目指した施策が展開されています。このプランに含まれる具体的な施策としては、たとえば、公立小中学校の放課後の補習を奨励するための「放課後学習チューター」制度があります。


その他に、大きく報道されたものとしては、2002年1月17日に発表された「確かな学力の向上のための2002アピール−学びのすすめ」が挙げられます。ここでは、以下の5つの方針が掲げられました。

1. きめ細かな指導で、基礎・基本や自ら学び自ら考える力を身につける
2. 発展的な学習で、1人1人の個性等に応じて子どもの力をより伸ばす
3. 学ぶことの楽しさを体験させ、学習意欲を高める
4. 学びの機会を充実し、学ぶ習慣を身に付ける
5. 確かな学力の向上のための特色ある学校づくりを推進する


さらに、この「アピール」には、各学校で取り組むことを期待された課題が列挙されていました。特に、放課後の補習や家庭学習など、「基礎学力」の育成につながる課題が非常に細かく具体的に設定されています。したがって、「学びのすすめ」は、教育改革で重視されてきた「生きる力」が、「基礎学力」にとって代わってしまったかのような印象を与え、文部科学省の「ゆとり」路線の転換であるとして議論を巻き起こしました。


また、文部科学省は、2002年度に全国45万人の小中学生を対象にした学力調査を行いました。文部省は、昭和1956年度から全国学力一斉テストを実施していましたが、点数競争を加熱させ過度の塾通いや受験戦争の原因になっているという批判から、1966年度を最後に中止されました。その後は、1981〜1983年度と1993〜1995年度に「教育課程実施状況調査」が行われています。これは、学習指導要領の改訂の基礎資料を得ることを目的としていて、全国的な調査ではあったものの、学習状況を把握する上で統計的に必要な児童生徒数による比較的小規模な調査でした。2002年度の大規模な学力調査は、「学力低下」論による社会の不安の高まりを背景にしたものであったと考えられます。


これらの動きの一方で、文部科学省は教育改革に関する方針の転換を認めていません。しかし、これらの施策は、やはり「基礎学力」の育成に対して文部科学省が大きな関心を向けるようになったことを示しているといえます。「学力低下」問題が社会の意識に与えた影響がきわめて大きくなったことで、省としての本音は変わらないとしても、対応の部分では社会の動向にある程度沿わざるを得なかったのではないでしょうか。その結果として、この時期の文部科学省の対応に「転換」があったことは否定できないと思われます。


「ゆとり」路線への回帰

2003年5月20日には、遠山文科相から「教育の構造改革」と題したメッセージが教育関係者向けに発表されました。これは、教育全般にわたる文部科学省の取り組みを以下の4つの理念で整理し、理解を求めるメッセージとなっています。

1. 一人ひとりの個性と能力に応じた学校教育の展開など「個性と能力の尊重」
2. 国際社会の一員としての教養ある日本人の育成など「社会性と国際性の涵養」
3. 学校や地域が個性あふれる学校づくりをしてニーズに応えるための「選択と多様性の重視」
4. 学校が説明責任を果たすとともに教育の質を評価によって保証する「公開と評価の推進」


この理念からは、前項で挙げた対応とは異なり、「基礎学力」の育成を教育施策の視点の中心に据えるような考え方は伺われません。むしろ、「転換」以前の教育改革の方針に沿ったもので、「ゆとり路線」への回帰であるといえます。「転換」に対しては、文部科学省の方針は揺れている、それによって学校現場の多忙化や混乱を招いているという批判がありました。この発表は、こうした批判に対して、文部科学省が進めてきた改革の方針に変化はなく一貫しているという表明であったと考えられます。前項の「建前」としての意味合いが強い対応から「本音」の表明への再転換ということもできるのではないでしょうか。


対応から見える「学力」観

上記のように文部科学省の対応の変遷を時系列的に見てくると、しばしば批判されるように、文部科学省の教育施策の方向性が「揺らいでいる」ことが分かります。この揺らぎは、文部科学省の「学力」観の揺らぎと捉えることができます。


すなわち、「学力低下」論争以前、文部省は、「学力」として「基礎学力」よりも「実践的な力」に圧倒的に比重を置いた「学力」観を伺わせる教育施策を遂行していました。1999年以降、社会全体を巻き込む形で「学力低下」が叫ばれるようになり、文部科学省は当初は従来の方針を維持したものの、2001年からは「基礎学力」重視への転換と受け取れる諸施策を打ち出しました。しかし、2003年に発表された文部科学大臣の「メッセージ」は、「実践的な力」重視への再転換。であるといえます。


このように、文部科学省の対応において重視されている「学力」は、「実践的な力」→「基礎学力」→「実践的な力」と変化してきているといえます。


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