2.ニートと「コミュニケーション(?)」
ひとくちに「ニート」とか、ひきこもり型ニートと言ってもさまざまなケースがあり、一概にコミュニケーションについて論じることは、はっきり言えば荒唐無稽であろうし、あまり意味がないのかもしれない。
無論、ニートは、他人と交わることを避けているという意味で
「社会的ひきこもり」と似たところがあるとも既に言われている(玄田, 2004)。
斎藤環による「社会的ひきこもり」の定義は
「@6ヶ月以上、自宅にひきこもって社会参加しない状態が持続しており、
A統合失調症などの精神病ではないと考えられるもの」(斎藤, 2005)
であり、ニートの状態の人に「社会的ひきこもり」は当然含まれるが、
そうでない人、就労・就学をしない状態が半年以内の人や、
病気のために就学・就労が困難な人なども含まれている。
一方、「社会的ひきこもり」は最近になって急に増えたとはされないが、
ニートについては急速な拡大が言われている(玄田, 2004)。
このことからも、ニートの問題は(それを問題とするならば)、「社会的ひきこもり」の問題以上に、
個人個人の精神的な問題やコミュニケーション力などのコトバを引き合いに出すまでもなく、
社会、具体的な言い方をするならば、
雇用の形態や、学校から社会への「スムーズな移行」の変化が
要因の一部となっていることの根拠をして挙げることができる。
他に、ニートのコミュニケーションについて興味深い記述を見つけたので示しておく。
玄田は対談において、ニートあるいはフリーターについて大人の人と話しに行くと
必ず彼らの「コミュニケーション能力」を嘆く話になり、
多少いらつきながら「それでそのコミュニケーション能力って何ですか」というと
明確な答えは返ってこないという主旨の発言をしている。
その後、「コミュニケーション能力」についての具体的な定義づけのようなものは試みられていないが、
「社会が求めている能力という意味で」の「コミュニケーション能力」が、
昔に比べ今の若者が低いかはよく分からないが、
「確かに、対人関係が苦手だという意識はものすごく強い」と続けている。
このページで取り上げようとしている問題の核心はここにあると言ってもよいだろう。
先述の小杉の4分類のうち、@ヤンキー型「以外の」ニートは、まさに、
対人関係の問題を抱えてニート状態になっていると解釈可能である。
斎藤も「非行系のニート」という@ヤンキー型のニートと同じものを指すといってよい言葉を使って、
彼らはひきこもりとは分けて考えなくてはならないとしており、逆に言えば、非行系でないニートは 、ひきこもりと関連付けて考えうるとしている。
なお、「社会的ひきこもり」については、この用語のもととなった斎藤環が多くの著書を出している。
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