1.はじめに 〜管理教育と学校建築〜


ミシェル・フーコーは、『監獄の誕生〜監視と処罰〜』のなかで、近代の管理システムの起源をパノプティコンに見い出した。パノプティコン(panopticon)とは、イギリスの思想家ジェレミー・ベンサム(1748〜1832)が、刑務所の改善案を考えてゆくうちに考えついた円形の刑務所施設のことである。フーコーはその仕組みを次のように説明している。



ミッシェル・フーコー

原理はこうです。周辺には環状の建物、中心には塔。塔にはいくつかの大きな窓がうがたれていて、それが環の内側に向かって開いています。周辺の建物は独房に分けられ、独房のおのおのは建物の内側から外側までぶっとおしにになっています。独房には窓が二つ、一つは内側に開かれて塔の窓と対応し、いま一つは外側に面して独房の隅々まで光を入らせます。そこで、中央の塔には監視者を一人おき、おのおのの独房に狂人、病人、受刑者、労働者あるいは生徒を一人入れればいいのです。逆光の効果により、周辺の独房に閉じ込められた小さなシルエットが光の中に浮きあがっているのを塔からとらえることができます。(伊藤晃訳「権力の眼」)


この施設においては、囚人は他の囚人とたちきられ、常に監視者に姿をさらしているが、自分の方から監視する人間を確認できないようにされている。フーコーは、拘留されている者が<見られている>ことを永続的に自覚する状態をつくりだすところにこのパノプティコンの特徴を見いだしている。このように、監視されていることを内面化させることによって、囚人たちの服従はつくりだされる。

そして、このパノプティコンの「権力の自動化」と呼ばれるシステムが近代の学校にも適用される、とフーコーは述べている。近代の学校システムは、「規律・訓練」という概念によって子どもたちを秩序のなかにはめ込み、学校という一種の権力に自発的に服従する主体をつくりだしてきた、というのである。 もともと、パノプティコンという監獄施設を設計する上で「権力の自動化」システムが考え出されたわけだから、近代学校における「権力の自動化」システムも、その学校建築自体に表れているのではないだろうか。

確かに、わたしたちが小学校、中学校、そして高校と過ごしてきたなかで、学校という建物は、いつもどこか堅苦しくて威圧的であったように思う。画一化された教室設計、整然と並べられた机、閉鎖的な職員室などがその原因となっているようだ。学校建築が、秩序や規律といったものを無意識的に子どもたちに植え付けてしまっているのではないのか。




こうした疑問を抱いたわたしたちは、オープンスクールと呼ばれる、従来の学校とは異なる設計をしている学校建築(詳しくは「3. 日本の学校建築」で述べることにする)の特質を長所・短所も含めてを論じながら、また海外の学校建築事例を紹介しながら、それと対比する形で、日本の学校建築の持つ問題点を浮き彫りにすると同時に、今後の教育との関連を考察していきたい。


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