Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

鈴木拓朗 博士論文要旨(2020年)

「うらみ」の臨床心理学研究
―多角的アプローチによる概念理解―


第Ⅰ部 問題と目的(第1~2章)

 「うらみ」とは,日本で古くから用いられてきた,人間の心理的状態を表す言葉である。 「うらみ」は何らかの紛争や犯罪,不適応の原因となりして浮かび上がり,人の心の健全さ をも破綻させると指摘されていることから,心理臨床においても扱われる必要がある重要 な心理的要因であると考えられる。このような「うらみ」が関わるさまざまな問題に取り組 むうえで,「うらみ」を理解することは重要な課題であると考えられる。
 先行文献において,「うらみ」の心理学的特徴を理解する手がかりは多く得られるものの, データに基づいて「うらみ」の心理学的特徴を検討した研究が乏しく,統一的見解が得られ ていない状況である。そこで,本論文では,データに基づいて「うらみ」の心理学的特徴を 明らかにすることを大きな目的とした。本論文では,「うらみ」の心理学的特徴をデータに 基づいて捉えるために,以下の3つの視点を採用した。
 1つ目の視点は,「うらみ」の心理的構造を検討することである。ここでは実際の「うら み」体験をインタビュー調査し,「うらみ」の質的構造を検討することを第一の目的とした (研究1)。次に,研究1の知見をもとに「うらみ」を体験しやすい傾向(「うらみ」特性) を測定する質問紙尺度を作成し,その因子構造から「うらみ」の量的構造を検討することを 第二の目的とした(研究2)。
 2つ目の視点は,「うらみ」と他の心理的要因との関連性を検討することである。ここで は,「うらみ」特性とBig Fiveの関連性を検討し,「うらみ」の一般的特徴を探索的に捉えることを第三の目的とした(研究3)。また,研究1と研究3の結果から,「うらみ」が反芻に 発展する可能性があることが示唆されたが,これらの関連性は直接的に検討されていなか った。そこで,「うらみ」特性と反芻傾向の関連性を検討することを第四の目的とした(研 究4)。
 3つ目の視点は,「うらみ」の機能や意味を検討することである。「うらみ」の機能や意味 を捉えるうえで,何らかの行動を動機づける「うらみ」に注目することは有用であると思わ れる。本研究では,「うらみ」が動機づける行動の一つであるストーキングに注目し,これ らの関連性から「うらみ」に内包される機能的側面の特徴を捉えることを目指した(研究5)。

第Ⅱ部 「うらみ」の心理的構造(第3〜4章)

  研究1においては,実際に「うらみ」を体験したことがある青年期以降の男女14名を対 象として半構造化面接を実施し,その体験について調査を行なった。そして,得られた語り データを修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて分析し,「うらみ」の質的 構造を検討した。その結果,ある不快な状況をもたらした他者の言動に対して,外向的反応 (許せなさと不公正感)を示しながらも,その状況を改善させられないというどうしようも なさを有するときに「うらみ」が体験されることが示された。さらに,本研究において,感 情制御の困難さによって,「うらみ」は持続する傾向があることが示された。「うらみ」が持 続することによって,「うらみ」の体験について考える機会が増え,反芻に発展する可能性 もあると考えられる。
 研究2においては,研究1で示された「うらみ」の3要因構造(許せなさ,不公正感,ど うしようもなさ)をもとに,「うらみ」やすさを測定する尺度(「うらみ」特性尺度)を作成 し,学生328名を調査対象として尺度の標準化を行なった(研究2-1)。その結果,全16項 目,3因子構造で,十分な信頼性と妥当性が示された。次に,学生376名を対象として,「う らみ」特性尺度の得点と,主観的に自覚された「うらみ」経験の回数を調査し,これらの関 連性から尺度の妥当性を検討した(研究2-2)。その結果,尺度得点と「うらみ」経験数は正 の関連を示し,本尺度の一定程度の妥当性が示された。第Ⅱ部を通して,「うらみ」とは, 許せなさと不公正感という外向的反応が強く現れ,一方で,諦めや無力感といったどうしよ うもなさをわずかに感じるような心理的状態である可能性が推察された。

第Ⅲ部 「うらみ」と心理学的要因の関連性(第5〜6章)

 研究3において,「うらみ」の特徴を捉えるために,全国の18歳から29歳の男女427名 を対象としたWeb調査を実施し,「うらみ」特性とBig Fiveの関連性を重回帰分析を用いて 検討した。その結果,男女ともに,情緒不安定性(神経質)が「うらみ」特性に正の影響を 与えることが示された。これは,「うらみ」が情緒的に不安定であったり,混乱していたり する状態であることを示すものであると考えられる。さらに,調和性が「うらみ」特性に負 の影響を与えることが示された。これは,他者への不信感や敵意が強いほど,「うらみ」を 抱きやすいことを示唆していると思われる。
 また,研究1において,感情制御が困難である場合に「うらみ」が反芻に発展する可能性 があることが示唆されている。さらに,「うらみ」特性と関連が示された神経質は反芻に影 響することが報告されている。これらを踏まえると,「うらみ」が反芻につながるという研 究1の知見は一定程度妥当なものであるように思われるが,これらは直接的に検討されて いない。そこで,次の研究4において,「うらみ」と反芻の関連性について実証的に検討し た。
 研究4においては,「うらみ」と反芻の関連性について,感情制御の影響を考慮して検討 することを目的とした。特に,感情制御として認知的再評価方略を採用し,「うらみ」が反 芻に与える影響を,再評価方略が調整するのかについて検討を行った。全国の18歳から29 歳の男女472名を対象としたWeb調査を実施し,「うらみ」特性と再評価方略との交互作用 項を独立変数,反芻傾向を従属変数とする階層的重回帰分析を男女別で行った。その結果, 男女ともに,「うらみ」特性が反芻傾向に有意な正の影響を与えており,「うらみ」やすいほ ど反芻をする傾向が高いことが実証的に示された。しかし,男女ともに,再評価方略の調整 効果は示されなかった。このことから,「うらみ」を抱いた時点で反芻が生じているため, 再評価方略を用いてもこれらの結びつきを弱めることが難しいのではないかと考えられる。

第Ⅳ部 ストーキングを動機づける「うらみ」の意味(第7〜9章)

  第Ⅳ部では,「うらみ」とストーキングの関連性を実証的に検討することを通して,「うら み」が有する機能や意味について理解することを目的とした。
 まず,研究5−1において,諸外国のストーキング研究を概観し,多様なストーキングの概 念を統合して,ストーキング関連行動(以下,SRB)という新たな概念を提唱した。そして, 先行研究をもとにSRBの頻度,多様性,持続性,およびSRBの動機づけ(「うらみ」と好 意)を測定する尺度(SRB尺度)を作成した。
 次に,研究5−2において,SRB尺度を用いて「うらみ」とストーキングの関連性を検討 した。また,「うらみ」がストーキングに与える影響の背景には,感情の切り替えの苦手さ が影響を与えていることが指摘されている。そこで,本研究では感情の切り替えとして認知 的再評価方略を採用し,「うらみ」がSRBに与える影響,およびそれに対する再評価方略の 調整効果について検討を行った。
 本研究では,「過去5年間に好意を抱いている相手や元交 際相手から接触を拒まれた経験がある」全国の18歳から39歳の男女388名を対象とした Web調査を実施した。まず,SRBの頻度に関する項目の因子分析を行ない,6因子を抽出し た(粗暴行為,物理的接近,デバイス接触行為,所有物侵害,物質送付,情報収集)。その 後,動機づけ(「うらみ」と好意)と再評価方略との交互作用項を独立変数,SRBの各変数 4 を従属変数とする階層的重回帰分析を行なった。
 その結果,男性は好意を向ける相手から拒 絶されたときに「うらみ」を抱いた場合,物理的に接近し,相手を傷つける行動をとる傾向 があり,男性が抱く「うらみ」とは攻撃的な特徴を強く帯びた心理的状態であることが示唆 された。また,男性において,「うらみ」と好意は異なるSRBに影響しており,両者の働き が異なる可能性があると考えられる。一方,女性は拒絶体験時の「うらみ」と好意が同様の SRBに影響を与えることが示された。このことから,女性においては,「うらみ」と好意が 混在した心理的状態がSRBを動機づける傾向があるのではないかと考えられる。

第Ⅴ部 総合考察(第10章)

 第Ⅴ部においては,研究1から研究5までの知見をまとめ,本研究の学術的意義,臨床的 意義,課題および展望について述べた。
 学術的意義としては,「うらみ」の3要因構造を実際の体験をもとに見出すことができ, 「うらみ」の多面性をデータに基づいて示すことができた点が挙げられる。また,3要因構 造に基づいて「うらみ」特性尺度を作成し,他の心理的要因との関連性を統計的に検討する ことを通して,「うらみ」の普遍的な特徴を検討することができた点は学術的に意義がある と考えられる。さらに,「うらみ」とSRBの関連性を検討することを通して,限定的な場面 ではあるものの,「うらみ」が持つ機能や意味に関する性差を示すことができた点は意義の ある試みであったと思われる。
 臨床的意義としては,本論文の知見から,「うらみ」が有する精神的健康への影響につい て示唆を得ることができた点が挙げられる。また,「うらみ」に伴う苦悩を軽減させる具体 的な心理療法についても議論し,今後の臨床実践において重要な提案につながったと考え られる。
 本研究の主な課題としては,要因間の因果関係を検証することができなかったこと,「う らみ」に有効な心理療法について示唆にとどまっていることが挙げられる。この点を克服す るための方法論や検討課題について言及した。