中学生の感情調整における認知的再評価の役割
―調査研究及び実践研究からのアプローチ―
第1部 問題と目的(第1~2章)
昨今,子どもの不適応は多層化しており,その予防は急務である。特に中学生においては,
情緒面と対人面の困難は密接に関わり合う。本稿では,多層化する不適応に見られる背景因
子として感情調整(emotion regulation)に着目した。
感情調整とは,個人の感情の体験のし
かたに影響を与えるプロセスを指す。なかでも,「考え方を変えて体験する感情を変容させ
る」という認知的再評価(cognitive reappraisal)は最も有用な方略の1つと言われている。
ところが,子どもを対象とした先行研究では,認知的再評価の有用性に関する見解が分かれ
ており,本邦では心理的問題と関連を見出していない例もある。また,感情調整の神経科学
的基盤については徐々に検討が進んでいるものの,その促進要因は明らかになっておらず,
感情に関わる心理教育プログラムは研究知見と必ずしも関連づけられていない。
そこで,本
稿では,中学生における有用な感情調整に焦点を当て,心理教育実践を再考することに意義
があると考え,以下の3つの研究課題を掲げて研究知見と実践の統合を進めることを目的
とした。
1. 中学生における感情調整方略の有用性を,対人的側面に着目して検討すること(研究1)
2. 中学生における適応的な感情調整の促進要因を検討すること(研究2〜4)
3. 感情調整能力の向上をめざす心理教育の再考と実践を通して,その作用機序を検討する
こと(研究5〜6)
第2部 中学生における感情調整の有用性と促進要因の検討(第3~6章)
第2部では,中学生における認知的再評価の役割とその使用の促進要因を検討する4つ
の調査研究を行った。
研究1(第3章) 中学生の感情調整と学校適応の関連について,対人要因(ソーシャル・
サポート)を媒介変数として検討することを目的に,女子中高一貫校(N = 270)とインタ
ーネットモニター(N = 569)の中学生を対象に質問紙調査を実施した。共分散構造分析の
結果,認知的再評価の使用は,友人からのソーシャル・サポートを介して,学校適応感との
間に正の間接効果を示した。一方,抑制の使用については性差が認められ,女子において,
抑制の使用は友人からのソーシャル・サポートを介して学校適応感との間に負の間接効果
を示した。以上から,中学生男女において,認知的再評価を行いやすいほど,友人からのサ
ポートを知覚しやすく,学校適応感が高いことが示唆された。
研究2(第4章) 認知的再評価の促進要因の検討に先立ち,「自他の感情を同定・言語化
する能力」である感情への気づきを評価するシナリオベース尺度の日本語版(Japanese
version of the Levels of Emotional Awareness Scale for Children:J-LEAS-C)を作成した。国立
中高一貫校の中学生を対象にJ-LEAS-Cと妥当性検討のための尺度を実施した(N = 299)。
日本語及び中学生特有の感情表現の採点基準を定めたうえで,信頼性を検討したところ,因
子構造,内的整合性,評定者内信頼性に関して十分な値が得られた。また,感情への気づき
と共感性との間に正の関連,アレキシサイミア特性の「外的志向」との間に負の関連が認め
られ,妥当性が支持された。加えて,女子において得点が高いという諸外国の研究結果も再
現された。以上から,LEAS-Cが日本でも使用可能な尺度であることが示された。
研究3(第5章) 研究2のデータを用いて,感情への気づきと認知的再評価の使用傾向の
関連を検討した(N = 280)。階層的重回帰分析の結果,アレキシサイミア特性の「感情の
同定困難」と「感情の伝達困難」は認知的再評価と関連を示さず,感情への気づきと認知的
再評価との間に正の関連が示された。したがって,認知発達や介入によって変化が見込まれ
る感情への気づきを高めることで,認知的再評価の使用を促せる可能性が示唆された。ただ
し,両者の関連は小さく,関連の強さを調整する他の要因についても考察された。
研究4(第6章) 研究3の課題を踏まえ,認知的再評価に実行機能が関与することから,
感情への気づきに加え,ワーキングメモリの個人差に注目して,認知的再評価の使用傾向の
差を検討した。ワーキングメモリは,目標の保持や情報の同時処理を担う実行機能の中核的
要素である。研究3の参加者から半無作為に抽出したN = 30に対し,N-back課題を実施し,
J-LEAS-C得点(感情への気づきの指標)及びN-back課題成績(ワーキングメモリ容量の指
標)を各高群・低群に分けた4群を設定して,二要因分散分析によって認知的再評価の使用
傾向を比較した。その結果,感情への気づきとワーキングメモリ容量がともに高い群におい
て,一方が高い群よりも,認知的再評価の使用傾向が有意に高かった。すなわち,認知的再
評価を頻繁に行う者は,感情を明確に言語化できる力と,情報を目的に沿って処理する力の
両方を比較的高い水準で備えていることが示唆された。
第3部 中学生の感情調整を促進する心理教育実践の試み(第7~9章)
第3部では,ワーキングメモリに対する介入の臨床的妥当性が不確実であること,現場へ
の導入の障壁が多いことから,感情への気づきに焦点化した効果的な心理教育を検討する
ための実践研究を行った。まず,感情の言語化をめざす国内の心理教育の文献レビューを行
い,既存のプログラムの効果や方法論に関する課題を提示した。そして,コンセプトの精緻
化を経て,心理教育プログラム開発を行い,量的及び質的方法から効果を検討した。
論考(第7章) 過去10年間(2009年〜2019年)に実施された感情の言語化を目標とする
国内のプログラムを取り上げ,効果・方法論・発展可能性を抽出した。効果に関しては,小
学校高学年以上において比較的効果が現れる一方,感情語彙が増えたとしても感情を調整
する(またはできる)という主観的態度に変化がないものが見られた。このことから,知識
教育に加え,個人の体験に還元する教育内容の必要性が示唆された。方法論に関しては,感
情心理学の理論モデルを教材に活用した例が散見された。しかし,感情の言語化や調整に関
わる個人要因はプログラム内で扱われにくいことから,変容可能な個人要因に着目する意
義が論じられた。最後に,主観指標を用いた効果研究が主流であるため,客観指標を含む多
角的な効果検討の必要性が指摘された。
研究5(第8章) 以上の考察を踏まえ,学習や経験による変容が見込まれる「感情への評
価」の観点を取り入れた心理教育プログラム開発と効果検証を行った。感情への評価とは,
感情に対する肯定・否定の認知的な価値づけであり,感情の言語化や調整のあり方に影響す
る。本プログラムでは,人間の適応に資する感情の機能に関する知識教育を含むことで,感
情への否定的評価を和らげ,感情の言語化と調整を図ることをめざした。教材開発にあたっ
ては,基本感情説(Ekman, 1999)や感情の輪(Plutchik, 2001)を活用した。プログラムは全
2回から成り,第1回では,基本感情と怒りの機能の理解,第2回では基本感情が混合して
生じる感情の機能の理解を目標とした。研究5では,中学2年生に第1回を実施し,実施
前後における効果指標を比較した(N = 110)。その結果,プログラム後において,怒りに
対する否定的評価(以下,怒り否定)が有意に下がり,認知的再評価の使用は有意傾向で向
上した。また,怒り否定が下がった群では,感情への気づきが高まるほど,心理的苦痛が減
少していた。以上の結果から,感情の機能に注目させることで,プログラムで扱った感情
(怒り)への否定的評価が和らぐとともに,感情への否定的評価が和らぐと,感情の自覚に
よる心理的負担が軽減するという作用機序が示唆された。
研究6(第9章) 研究5の参加者のうち有志3名に第2回を実施し,少数事例の発話の
解釈を通した質的検討を行った。録音記録を逐語化し,特徴的な発話からワークと到達目
標との適合性や感情に対する認知の変容に寄与する相互作用や実践要素を考察した。その
4
結果,個人のエピソードの表出に続き,混合感情の機能を解釈する様子や,反射や明確化
などの心理専門職の技能を交えた応答や教材の色彩デザインが内省や発想が促す様子が
観察された。また,個人による感情の機能の捉え方の偏りについても示唆を得た。本実践
を踏まえて,到達目標を焦点化した全3回のプログラム改修案を示したほか,教授者の即
興的応答や発展的活動などのプログラム運用における留意点を提示した。
第4部 総合考察(第10章)
本稿は,調査研究と実践研究により,認知的再評価に着目した心理教育プログラムの発
展に向けた知見を得るものであった。
本稿の学術的意義としては,実証研究が寡少な中学
生を対象とし,⑴認知的再評価による対人適応や対人認知の観点から学校適応上の意義を
示した点,⑵感情への気づきの客観評価尺度を標準化し,⑶認知課題と併用することで,
認知的再評価の促進要因について心理学的構成概念から議論した点が挙げられる。
臨床的
意義としては,幅広い層に向けた予防的心理教育の実践を念頭に,介入可能な要素を整理
し,感情への評価の観点を取り込んだプログラム開発を行った。そして,調査研究で着目
した個人内での認知的再評価だけでなく,他者との相互作用によって生じる認知的再評価
に関して示唆を得た。従来の認知行動モデルにおける認知的再評価は,感情を引き起こす
出来事に対するものだったが,本稿で介入の焦点としたのは,感情そのものに対する認知
的な評価である。感情の機能に関する理論の教育的活用は,ネガティブ感情に対する価値
づけの変容を図るために有効であり,感情の表出や,感情体験の新たな解釈の探索,ひい
ては子どもの精神的健康・学校適応に寄与するアプローチとなりうることが考察された。
今後は,心理教育プログラムの頑健な効果研究が望まれるとともに,本稿で課題となった
個人のワーキングメモリの影響も加味し,効果の汎用性や実践上の工夫を検討することが
期待される。