Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

藤尾未由希 博士論文要旨(2019年)

トゥレット症候群における衝動的行動に関する研究


第Ⅰ部 序論

 トゥレット症候群とは,複数の運動チックと1種類以上の音声チックを1年以上にわたって有する,慢性のチック障害である。トゥレット症候群を有する人々は,チック症状だけでなく,怒り発作や自傷行動をはじめとする衝動的な行動がしばしば問題となり,時に主症状であるチック症状以上に社会的な困難を生じると言われている。
 先行研究では,トゥレット症候群を有する人々がなぜ衝動的行動を示すかについて,個人の特性である「衝動性(impulsivity)」から説明が試みられてきたが,既存の衝動性モデル(例.運動衝動性,注意衝動性,非計画的衝動性;rapid-response impulsivity, reward-discounting impulsivity)では,これまで一貫した結果が得られていない。その背景として,トゥレット症候群は強迫スペクトラムのひとつに位置付けられ,衝動性と強迫性をあわせもつという特徴が挙げられる。また,衝動的行動の生起に,心理的要因のみならず,トゥレット症候群を有する人々をとりまく環境など,社会的要因が影響を与えている可能性が考えられる。こうした可能性を検討するために,まず,当事者が衝動的行動をどのように体験しているか明らかにすることが必要と考えられる。
 以上の背景に基づき,本論文では,トゥレット症候群を有する人々とその保護者を対象に8つの研究を行った。これらの研究を通じて,当事者の体験過程にもとづいた衝動的行動のプロセスについて理解を得ること,支援に関する示唆を得ることを本論文の目的とした。

第Ⅱ部 トゥレット症候群を有する人々の衝動的行動の体験プロセス

 第Ⅱ部では、トゥレット症候群を有する人々が,衝動的行動をどのように体験しているかに関する質的研究を行った。第4章(研究1)では,衝動的行動の生起プロセスに強迫性がどのように影響しているかについて検討を行った。また,第5章(研究2)では,怒り発作に焦点を当て,怒り発作が保護者に対して高率に起きる背景を検討することで,個人と環境との相互作用の中で衝動的行動が生じるプロセスについて検討した。
 第4章(研究1)の分析の結果,衝動的行動の生起過程における強迫性のあらわれ方として,衝動を「抑えなければならない」と認識する完全主義的認知と,その結果,「衝動にとらわれる」という侵入思考的体験(反芻)が確認された。この体験過程を通して,衝動が形を変えながら増幅し衝動的行動に至ること,衝動が増幅するプロセス自体がトゥレット症候群を有する人々にとっては大きな苦痛を生じるものであることが示唆された。
 また,第5章(研究2)の分析の結果,第4章(研究1)で示唆された,衝動が増幅するプロセスによって生じる苦痛のやり場がなく、身近な保護者にその苦しさを「分かってほしい」と思う中で攻撃衝動が募り,些細なきっかけによって爆発するというプロセスが見いだされた。しかしながら,爆発によってすっきりしているわけではなく,「むなしさ」や「分かってもらえない」といった保護者との心理的距離感をさらに強めるという悪循環が生じている可能性が示唆された。

第Ⅲ部 トゥレット症候群を有する人々の衝動の特徴

 第Ⅲ部では,第Ⅱ部で得られた「トゥレット症候群を有する人々は,健常対象者に比べて強い衝動を感じており,それ自体に苦痛を感じている」,「強迫性が強い人ほど強い衝動を感じる傾向がある」という仮説をはじめとした,トゥレット症候群を有する人々の衝動の特徴について,量的研究によって検証をおこなった。
 これまで当事者が主観的に感じている衝動の強さや頻度を測定する尺度が存在しなかったため,第6章(研究3)ではまず主観的な衝動の強さを測定する尺度を作成し,主観的衝動を構成する因子の妥当性の確認,尺度の構成概念妥当性,内的整合性の確認を行った。その結果,主観的衝動は「新奇刺激希求への衝動」,「他者やものに対する攻撃衝動」,「身体感覚を伴う衝動」の3つの下位尺度から構成されることが示された。また,作成された尺度は既存の衝動性尺度であるBIS-11と中程度の関連が見られ,構成概念妥当性が確認された。
 第7章(研究4)では,健常領域の大学生/大学院生を対象に,チック症状の既往歴の有無による主観的衝動の強さの差異や,主観的衝動が心理状態に与える影響について検討を行った。その結果,チック症状の既往歴がある人の方が概して主観的衝動が強いこと,主観的衝動が心理状態に与える影響が大きいことが示唆された。
 第8章(研究5)では,トゥレット症候群を有する人々と健常領域の人々を対象に調査研究を行い,トゥレット症候群を有する人々の主観的衝動の特徴について検証した。その結果,「新奇刺激希求への衝動」は,チック症状を有するものの健常領域にいる人々と,トゥレット症候群を有し,臨床領域にいる人々の差異を反映している可能性があると考えられた。また,「他者やものに対する攻撃衝動」は抑うつ感と,「身体感覚を伴う衝動」は,注意衝動性と関連が強いことが明らかになり,主観的衝動の各下位尺度が,トゥレット症候群において特有の側面を有していることが示された。一方,主観的衝動と強迫性の関連については,本研究では確認できなかった。

第Ⅳ部 当事者が衝動を理解し付き合っていくプロセス

 第Ⅳ部では、第Ⅱ部および第Ⅲ部で明らかになった特徴を有する衝動と,トゥレット症候群を有する人々とその保護者がどのように付き合い,対処しているかについて質的研究によって検討した。
 まず,第9章(研究6)では,トゥレット症候群を有する人々本人が,衝動とどのように付き合い,対処しているかについて検討した。その結果,トゥレット症候群を有する人々は,①衝動の表出を当たり前と捉えている段階,②衝動を感じることを不快に思い,その表出に対しても主観的苦痛を感じている段階,③衝動をある程度コントロールできるようになり,衝動を感じたり,衝動を抑えられないことに関して“仕方ない”と思えるようになる段階の3つの時期があることが示唆された。その過程の中で,“抑えなければならない”という強迫的な抑制意図から,主体性をもった抑制意図に至るという変化が見られた。また,その変化の土台として,[夢中になれるものの発見],[周囲の支え],[衝動の変化]が重要な要因となり得ることが示唆された。
 次に,第10章(研究7)では,トゥレット症候群を有する人々の保護者が衝動とどのように付き合い,対処しているかについて検討した。その結果,【受容に関連する体験】,【恐怖心を伴う体験】,【保護者が抱く子ども像】,【衝動的行動の意味づけ】,【変化を促進する要因】からなる保護者の心理過程モデルが生成された。衝動的行動が発達のある時点で急激に生じたと感じている保護者は,それまで子どもに対して抱いていた子ども像が衝動的行動という現象によって崩されるという心理的体験をしていた。こうした心理的体験から得体のしれない恐怖に襲われ,子どもにうまく対応できない時期を経験するものの,怒り発作の背景にチックによる心身の疲れがあることなど,衝動的行動の全体像を理解することを通して,子どもと衝動的行動の間のギャップを埋めていくことが見いだされた。
 第10章(研究7)の結果,衝動的行動の問題が見られるトゥレット症候群の子どもの保護者が,経過の中で【恐怖心を伴う体験】をたどるか否かに,幼少期に衝動的行動に関連する小さな違和感を抱いているか否かが関わっている可能性が示唆され,幼少期に着目することが重要と考えられた。そこで,第11章(研究8)では,幼少期における,チック症状と発達障害特性の関連について検討した。その結果,幼少期においてチック症状がみられる子どもは先行研究同様20%前後であり,幼少期にチックが頻回になっていたり,慢性化している子どもが少なくない可能性が示唆された。また,幼少期にチック症状が見られる子どもは,全体として発達障害傾向が強かったものの,ADHD傾向がほとんど見られない子どもも相当数いることが分かった。幼少期にチック症状が見られる子どもで,ADHD傾向が低い子どもすべてが経過の中で衝動的行動が悪化するわけではないが,衝動的行動が悪化した場合には,幼少期から形成されていた子どもに対するイメージと衝動的行動のギャップを強く感じることが予想される。そこで,幼少期にチック症状が見られた子どもに対して,チック症状を入り口にしたサポートを行うことで,子ども像と衝動的行動のギャップが生じにくくなり,結果的に保護者が【恐怖心を伴う体験】に至ることに予防的に関われる可能性が考えられた。

第Ⅴ部 総合考察

 第Ⅴ部では,第Ⅱ部から第Ⅳ部までの研究結果を踏まえて,トゥレット症候群を有する人々とその保護者の主観的な体験にもとづく,衝動的行動に関するモデルを提示し,支援に関する示唆について述べた。本研究の結果,一見突発的に見える行動の背景に,チック症状や強迫的な認知スタイルの影響,保護者への思いがあるということが示された。こうした理解を前提にしながら,トゥレット症候群を有する人々本人に対しては,衝動以外に意識を向けられるように促すことが特に重要であると考えられた。また,保護者に対しては,チック症状を入り口にしたサポートを幼少期から行い,子ども像と衝動的行動のギャップを拡げないようにすること,ギャップが拡がってしまった場合には,主症状であるチック症状と衝動的行動の関連について心理教育することで,子どもの全体像が崩れないようにサポートすることが重要と考えられた。最後に,研究方法や研究参加者の観点から本論文の限界を述べ,今後の課題についてまとめた。