How are depressive symptomatology affected by others' facial expressions: Results from Psychological and Neurological studies
(抑うつ状態が他者の表情からどのような影響を受けるか:臨床心理学と神経科学の観点から)
第1章 背景
うつ病は社会問題の様相を呈し,その支援の質的向上は喫緊の課題である。抑うつ支援において,クライエントは週に一度,月に一度という単位で専門機関を訪れる。支援の中では,日々常に変動する気分に対して,少ない機会から正確に評価し,日常の状態に則した治療方針を立てることが大切となる。その中では,①正確さの向上(一回一回の評価の正確さを高めること),②気分変動の予測(少ない評価機会から日常の気分の変動を予測すること)の二つのアプローチによる支援の質の向上が目指される。そこで本稿では,①正確さの向上のため,抑うつ評価に標準的に使用される質問紙や面接法よりも客観性が高い脳機能的なバイオマーカーや,認知を用いたスクリーニングによる抑うつ評価の提案すること,加えて,②気分変動の予測のため,日常の中での変動を測定することで,常に変動する感情の動的な側面を理解し,一時点からの予測力を高めることを目指す。
近年,診断を持つ臨床群と診断を持たない非臨床群の抑うつ症状は連続的に理解できることが指摘される。抑うつ研究で臨床群が主な対象とされてきたことに対し,本稿は,抑うつのスペクトラム性を支持する立場に立つ。特に,非臨床群の抑うつ状態の早期発見・早期治療はより良い予後を予測することから,予防の観点からリスク群の抑うつ状態の理解は重要な課題である。
以上のような目標を達成するため,本稿では抑うつ状態の表情認知に着目する。表情認知は,他者の表情から気持ちや感情を理解することとされる。うつ病患者は表情認知にネガティブバイアスが見られることが知られ,うつ病者は悲しみ表情の判断において健常者よりも正確であること,中立的な表情を悲しいと判断する傾向が強いことなどが報告されている。他者の感情理解に関わる認知が阻害されることは,他者関係の満足感を低下させ,抑うつ状態を維持・悪化させるものである。同時に,うつ病者の感情理解の異常は皮質 辺縁系に活動異常とも繋がっている。表情認知は抑うつ状態の神経基盤から社会的な維持・悪化メカニズムまで関わっており,表情認知に着目することで抑うつ状態の多次元的理解を深めることができる。
先行研究の問題として,脳科学的研究では①主観的なネガティブバイアスが脳内でどのように表象されているかが不明であることがあげられる。そこで,研究1では主観的な表情の見え方に対応する脳の反応を明らかにし,抑うつ状態において他者表情をどのように体験し,どのように反応しているかを明らかにする。次に,認知心理学的観点から,②非臨床群の抑うつ状態がネガティブバイアスに影響するかは明らかになっていないため,研究2では,健常者における抑うつ状態の認知的特徴を検討する。研究1・2はそれぞれ抑うつスペクトラムの脳機能・認知の特徴を明らかにすることで,他者表情への反応をバイオマーカー・認知スクリーニングツールとして応用に貢献する知見となる。先行研究の問題として,③日常の中で他者表情が気分に与える影響が不明であることがある。研究3では非臨床群を対象として経験サンプリング法を適用することで,実験室データを用いて日常の気分変動の予測を目指すとともに,日常の中での抑うつ気分の維持・悪化メカニズムの理解を目指す。三つの研究を通して,神経学的・認知的・感情的側面から抑うつの多次元的理解を深めていく。
第2章 研究1:ネガティブバイアスの神経学的基盤
研究1では主観的な表情体験に対応する脳機能の解明を目指す。うつ病患者はネガティブな表情に対して皮質-辺縁系,特に扁桃体で活動異常があることが繰り返し指摘され,認知的なネガティブバイアスとの繋がりが示唆されてきた。しかし,ネガティブバイアスの認知データと脳活動を直接関連付けた研究は行われていない。そこで,本研究の目的の一つは,ネガティブバイアスに伴う行動と脳機能データを同時に測定し,その相関を検討することである。加えて,非臨床群と臨床群の双方を含む抑うつスペクトラムの立場から,他者表情に対する脳機能的な反応と抑うつ症状の強さの相関を見ることで,新たなバイオマーカーとしての提案の可能性を模索する。
うつ病患者と健常者を対象としてfMRI スキャン中に表情課題を実施した(N = 23)。結果として,まずうつ病患者の認知にはネガティブバイアスがあることが再現された。脳機能に関して,うつ病患者の扁桃体は,喜び表情よりも悲しみ表情により強く反応することが明らかになった。患者群と健常群を含めて相関分析を行った時に,行動におけるネガティブバイアスと,扁桃体における反応には強い相関が見られ,扁桃体における反応が認知のネガティブバイアスの神経基盤として大きな影響を持つことが示唆された。また同時に,患者群と健常群を含めて,表情に対する脳機能と抑うつ症状の強さが相関することが示された。本研究は,認知と脳機能の相関を見ることで認知のネガティブバイアスにおける扁桃体の影響を明らかにし,脳機能と症状の相関によって,非臨床群を含む抑うつスペクトラムのバイオマーカーとしての利用可能性を示した。限界点として,患者群のサンプルサイズが小さかったこと,患者群の抑うつ得点が比較的低かったことが,今後規模が大きく,より重篤な抑うつ状態の患者も含めた検討が大切となる。
第3章 研究2:非臨床群の表情認知の特徴
研究2では非臨床群における表情認知の特徴を明らかにする。うつ病患者が表情認知においてネガティブバイアスがあることは指摘されてきた。注意,記憶では非臨床群の抑うつにもバイアスのあることが指摘されている一方で,非臨床群の抑うつ状態における表情認知の特徴については解明されてきていない。同時に,表情認知のネガティブバイアスが継時的に非臨床群の抑うつ状態に与える影響は不明である。本研究では,健常者を対象として,抑うつ状態と関連する表情認知の特徴を明らかにするとともに,ネガティブバイアスがどのように将来時点の抑うつ状態を予測するかを検討する。
大学生・大学院生を対象として抑うつ状態の測定と表情認知課題を行い,3ヶ月後の時点で再度抑うつ状態の測定を行った(1時点目: N = 58, 2時点目: N = 39)。その結果,抑うつ得点が高い人の方が悲しみ表情への感受性が高いことが明らかになり,非臨床群においても抑うつ状態にネガティブバイアスがあることが示された。また,1時点目のネガティブバイアスは,主観的なストレスと併せて,3ヶ月後の抑うつ状態を予測した。本研究は,非臨床群のネガティブバイアスを示したことで,認知面にも臨床群と非臨床群に連続性が仮定できることを示したとともに,将来時点の症状の予測力を示したことで,表情認知を抑うつスクリーニングツールに応用するための知見となった。限界点としては,オンラインでのデータ収集を行ったため,データの妥当性は保証できないことが挙げられる。
第4章 研究3:日常の中で他者表情が気分に与える影響
研究3では,一時点の表情に対する反応から,日常の中での感情的な反応の予測を目指す。日常における抑うつ気分の変動に関して,対人交流は情動を予測する一つの因子である。しかし,これまでの研究ではマクロな対人交流のみが扱われ,対人交流のミクロな部分には焦点が当てられてこなかった。そこで,本研究では他者表情に触れることが情動に与える影響を検討する。日常の中で社会的な刺激に触れることが情動にどのように影響しているかは不明であることから,本研究では経験サンプリング法を用いて,実験室での情動的な反応から日常の中での情動を予測する。また,社会的な刺激への反応が継時的に抑うつ状態に与える影響は不明であるため,縦断的な検討により,症状への影響を明らかにする。研究1・2では顕在的な表情認知を扱ってきた一方で,日常の中でより潜在的に行われている可能性が高いことから,本研究では潜在的な表情認知課題を採用した。
58名の学生を対象として,1日目に実験室での表情認知と抑うつ状態の測定,2~15日目に情動と他者接触の測定(1日5回),16日目に二度目の抑うつ状態の測定を行った。実験室内で表情刺激によってネガティブ情動が喚起されやすい人は,日常においても社会刺激への接触によりポジティブ情動が下がり,ネガティブ情動が強まる傾向が見られた。この結果から,表情への接触が実験室内外において情動に影響を与えることが明らかになった。また,抑うつ状態が強い人は,社会的な刺激に触れることでネガティブ情動が低下する傾向があり,ネガティブ情動が強い時に社会的な刺激を回避する人ほど2週間後の抑うつ気分が強まっていることが示された。この研究から,対人刺激への接触はネガティブ気分を改善させる効果を持つ可能性が示唆された。一方で,抑うつ得点の分散が小さく,抑うつの効果の測定が難しかったこと,実験室の内外ともに,情動反応の測定方法が標準化されていないことは今後の課題となった。
第5章 総合考察
本稿は抑うつ状態における他者表情の影響を脳機能・認知・感情の多側面から検討したものである。研究1・研究2から,臨床群・非臨床群ともに,悲しい表情への扁桃体の過剰反応と,認知的な悲しみ表情への感受性の高さが抑うつ状態を特徴付けることが明らかになった。一方で,研究3では表情に触れることが情動にポジティブな影響を及ぼすことが示され,ネガティブバイアスから予測されるものとは逆の結果になったことから,情動反応にはより高次の情動メカニズムが影響している可能性が示された。本研究は抑うつスペクトラムの理解の深化に貢献したとともに,バイオマーカーや認知スクリーニングを用いたより客観的なアセスメント手法の提案,加えて,社会場面での抑うつ維持メカニズムの解明に貢献した点で臨床的にも意義が高いものである。