Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

大上真礼 博士論文要旨(2019年)

高齢者の「むなしさ」とは何か―その生起・維持プロセスと向き合い方に関する研究―


第1部 問題と目的(第1~3章)

 人は生きていく中で多くの感情を体験するが,むなしさもその一つである。むなしさは現代日本人に感じられるネガティブな感情と位置づけられて一部の精神障害の特徴や要因とされる一方で,むなしさを理解することがむなしさを感じる当人にも心理援助に関わる者にも有用だとする文献もある。また,これまでの国内外での先行研究には,むなしさを心理社会的な背景から生じるとして調査・検討したものもある。そして,現在の日本の人口の3割近くを占める高齢者は喪失や変化の体験からむなしさを感じやすいと考えられるが,彼らを対象としたむなしさの研究は寡少である。
 高齢者の適応に関しては,Eriksonのライフサイクル論,Tornstamによる老年的超越,機能低下に対応するような補償を伴う選択的最適化の理論などが唱えられてきた。実際に高齢者たちはむなしさを抱えたり,抱えながらも適応を保って日々を過ごしたりすると考えられる。しかし高齢者への心理援助に関しては,成果の見えづらさや,文献の多くがEriksonの理論を用いた事例の理解にとどまっているという問題があり,現代の高齢者の主観に沿う形での心理的な困難の理解のための知見の集積が求められている。
 そこで本論文では高齢期にある人がどのようにむなしさを感じているのか(第2部),どのようにむなしさと向き合うのか(第3部),そして向き合い方は精神的健康度とどのように関連するのか(第4部)について明らかにすることを目的として研究を行った。続く第5部では,本論文で行った7つの研究について整理した上で,これまでの高齢者の適応に関する先行研究の中での本研究の位置づけと,むなしさを手掛かりにした心理援助についての考察を述べ,課題と展望を整理した。

第2部 高齢者のむなしさとは(第4~6章)

 第2部では,研究1,2において高齢者たちがむなしさをどのようなものととらえ,感じているのかを,テキスト分析およびインタビューデータの分析で明らかにした。加えて研究3では,他の年代(20代男女)にもインタビューを行うことにより,高齢者のむなしさの特徴を探索・整理した。

 研究1では高齢者が抱くむなしさについての概念および彼らがむなしさを感じる状況を探った。60~79歳の男女500名へのインターネット調査で得られた自由記述のデータをテキストマイニングで分析した。その結果,60歳代では行動などがネガティブな結果に“なる”ことを,70歳代はポジティブなことが“ない”または“失われる”ことをむなしさととらえる傾向などが示唆された。
 研究2では62~78歳の男女14名に半構造化インタビューを行い,グラウンデッド・セオリー・アプローチを援用した分析で高齢者におけるむなしさの生起・維持プロセスを明らかにした。むなしさが感じられる代表的な場面として【生きがいの探索】【親子関係の変化】【社会・制度の中で立ち回る】の3つが導き出された。それぞれの場面において高齢者らは,ライフイベントや老いの実感をきっかけとして自身の行動についての主導権のなさや周囲との関係や活動の中での役立てなさを感じ,むなしさを抱く。そしてむなしさを解消するような試みを行うが奏功しないことが多く,再びむなしさを感じる,というプロセスが詳述された。
 研究3では高齢者との比較を目的に青年期の「むなしさ」を探った。高齢期と比較すると,青年期ではむなしい場面について自身の主導権を取り戻そうとする試みやむなしさから抜け出そうとする取り組みはカテゴリー化に至らなかった。これは,高齢期においては喪失を多く経験するために,一つ一つの場面の中で自身が影響力やコントロール感(主導権)を持ち続けられるかが重大となるからであると考えることができた。

 第2部において,高齢者のむなしさは自身が望むか否かに関わらず起こる外的な変化に伴って感じられ,お金や物が無いといった即物的なテーマの中で語られることは少ないという特徴が整理された。また,高齢者におけるむなしさは,空虚感,無力感,孤独感やhelplessnessなど近しい感情の要素の一部を含むものの,完全に重なりはしない独自の感情であるといえた。しかし,研究の調査時点で「最近2,3年の間にむなしいと感じることがあった」と回答した高齢者も,精神的健康を大きく害することなく日常生活を送っていた。高齢者たちは,感じるむなしさとどのように向き合っているのだろうか,つまり,どのように考えたり折り合いをつけたりしているのだろうか,という疑問が残った。

第3部 高齢者はむなしさとどう向き合うか1―質的研究による探索―(第7~8章)

 第2部の課題を受け,第3部では高齢者におけるむなしさとの向き合い方についてインタビューにより探った。

 研究4では,高齢者たちがむなしさとどのように向き合っているのかを明らかにするため,研究2のインタビューデータの再分析を行った。62~78歳の男女13名のうち,むなしさとの向き合い方について語っていた10名を「むなしさのプロセスに現在入っていない5例」「むなしさのプロセスに入り,否定的な言葉でそれを語った2例」「感じるむなしさについて,否定的な表現以外でも語っていた3例」の3群に分け,向き合い方をカテゴリー化した。むなしさを否定的にとらえる高齢者は自身でむなしさに対処したいと思うことや,むなしさについて肯定的な表現も用いて語っていた者はむなしさにとらわれすぎず希望する生き方・死に方についての思いを持っていることが示唆された。
 研究5では研究2および4でのインタビュー協力者のうち3名を対象に再インタビューを行い,4年半の経過でむなしさやむなしさとの向き合い方の変容があったのかを探索した。事例の検討から,ライフイベントや自然な加齢・時間の経過によってむなしさや関連する人生全般についての認識が変化したり,新しく出て来たりする場合が認められた。

 研究4および研究5をふまえると,多くの高齢者においてむなしさは永遠にではなく「一時期に」感じられるものであるといえそうである。また,むなしさの有無や関連する生活環境が変わっていく可能性については高齢者自身も理解あるいは予想していた。第3部の課題として,少人数のデータの検討であるため,日本の高齢者がどのようなむなしさとの向き合い方をとるのか,そしてそれらは性別や年代といった属性により異なるのか,精神的健康と関わるかの検証が不十分であることが挙げられた。

第4部 高齢者はむなしさとどう向き合うか2―量的研究による検証―(第9~10章)

 第4部では,第3部でむなしさとの向き合い方について,量的調査を行って検証した。研究6,研究7共に,インターネット調査への協力が得られた60~79歳の男女のうち「最近2,3年の間にむなしさを感じたことがある」と回答した281名のデータを分析した。

 研究6では高齢者におけるむなしさとの向き合い方尺度を作成した。その結果,むなしさとの向き合い方は「むなしさ対処への態度・心持ち(以下,「態度・心持ち」)」,「むなしさへの積極的な認知・行動的対処(以下,「認知・行動的対処」)」,「むなしいことからの離脱(以下,「離脱」)」の3因子構造であった。因子間相関はいずれも.4以上の値を示し,むなしさを感じる高齢者たちは同時に複数の向き合い方をとる可能性が示唆された。「認知・行動的対処」がK-Ⅰ式(生きがい感尺度)やGDS(老人用うつ尺度)の高さと関連する一方で,「離脱」はK-Ⅰ式・GDSとの相関は有意ではなく,各々の向き合い方とほかの尺度・指標についてさらなる検証を行う必要性が考えられた。
 これに続き研究7では,むなしさとの向き合い方が精神的健康にどのように影響を及ぼすかを明らかにすることを目的とした。精神的健康の指標としてGDS,むなしさや精神的健康に関連する尺度としてK-Ⅰ式を用いた。共分散構造分析により,「態度・心持ち」は他の2つの向き合い方と有意な共分散の値を示すものの,GDSとK-Ⅰ式のいずれにも直接は影響していないことが示唆された。「認知・行動的対処」はK-Ⅰ式とGDSの両方に有意なパスを示し,「離脱」はK-Ⅰ式のみに負の影響を及ぼしていた。また多母集団同時分析からは,同じように「認知・行動的対処」や「離脱」のような向き合い方をとっていたとしても,性別によって生きがい感や精神的健康度を維持あるいは向上できるかが異なることが示された。

 第4部ではむなしさおよびむなしさとの向き合い方に関して量的な調査により検討したが,“高齢者”という一括りで彼らの状況を理解する難しさと,さらなる影響要因や精神的健康度の指標との関連について探る必要性が課題として挙がった。

第5部 総括(第11章)

 第5部では研究1から研究7までの知見をまとめ,本研究の理論的意義,臨床的意義,課題および展望について述べた。

 本研究の理論的な意義として,統合や超越といったある種の発達の「完成形」や,「達成」したというポジティブな状態に固定されない現代日本の高齢者像を報告・呈示した点が挙げられる。これは質的研究により高齢者たちの主観的なむなしさを探ったために得られた知見だといえる。また臨床的意義については,特に精神障害に罹患していない高齢者たちへの心理支援の潜在的なニーズについて考慮する必要性や,従来の理論からの理解のみで高齢者ケース支援について読みとくことの限界を指摘した。
 本研究の主な課題には主観的体験を質的・量的方法の双方で探ろうとしたことの限界,高齢者の心理に影響する外的要因を考慮する必要性が挙げられた。そして,これらを克服するさらなる調査・検討の可能性についても記した。