Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

シュレンペル レナ 博士論文要旨(2018年)

うつ病の専門的な援助要請を促すICTアクセス促進システムに関する研究

―「治療効果の認識」に着目して―


第Ⅰ部 問題と目的

第Ⅰ部では,うつ病をめぐるサービス・ギャップの問題と先行研究を概観し,先行研究および従来の対策の限界を述べ,今後の課題として援助要請の促進要因を検討し,有効な介入プログラムを開発する必要性を指摘した。

本邦では2008年以降,気分障害の患者数が100万人前後で推移しており,うつ病の患者数は増加の一途を辿っている。ところが,過去12ヶ月でうつ病の診断を満たす者のうち,専門機関を受療する者はわずか25.2%と報告されている。このように問題を抱えた個人が,専門的な治療や援助が必要とされる状況に置かれているにも関わらず,そのサービスが提供されている専門機関を受療しない現象はサービス・ギャップと呼ばれ,早急に解決すべき社会的問題である。サービス・ギャップの対策に向けて,先行研究では他者に援助要請する行動や意図に着目し,それらに関連する阻害・促進要因が検討されてきた。うつ病に関しては,主に「症状理解」の乏しさと,うつ病に関する「スティグマ」の2つの阻害要因が援助要請の低さに関連していることが明らかにされてきているが,促進要因を検討している研究は少ない。さらに,近年はウェブサイトといったICTを活用した介入アプローチが増加しているが,症状理解の向上とスティグマの低減に焦点を当てた普及・啓発活動による援助要請の促進効果は低く,サービス・ギャップの対策は奏功していない。そこで本研究の目的は,うつ病罹患者が専門機関に繋がらないサービス・ギャップの問題の対策を検討するために,援助要請の促進要因を明らかにした上で,援助要請を促進する介入プログラムを開発することとした。研究全体の構造は,以下の図1の通りである。

図1 本研究の構成

第Ⅱ部 専門的な援助要請の促進要因に関する検討

第Ⅱ部(研究1・研究2)では,専門的な援助要請の促進要因を検討し,サービス・ギャップの対策に向けた介入ターゲットを確認することを目的とした。

研究1では,うつ病事例を認識している調査協力者の中でも,専門機関への援助要請意図がある者とない者が存在することが示された。阻害要因として指摘されてきたスティグマは,援助要請意図の有無による認識の違いは見られない可能性が示唆された。一方,治療効果に関する認識には違いが見られ,意図がある者は専門的な治療や援助の効果を認識している可能性が示唆されたことから,「治療効果の認識」は従来の援助要請研究では焦点が当てられることが少なかった促進要因となりうることが考えられた。研究2では,医療機関に対する援助要請意図に着目し,うつ病及び医療機関に対する援助要請意図とその関連要因「症状理解」,「スティグマ」,「治療効果の認識」を取り上げ,これらが援助要請意図の促進要因であるかについて検討した。その結果,「治療効果の認識」は医療機関に対する援助要請意図と関連することが示され,治療効果の認識が高いほど,医療機関に援助要請する意図を有する可能性が示唆された。

第Ⅲ部 「治療効果の認識」と専門的な援助要請を促進するICTの活用可能性の検討

第Ⅲ部(研究3・研究4)では,第Ⅱ部で確認された促進要因に焦点を当て,ICTを活用 した介入プログラムの内容と介入アプローチを検討した。

研究3では,世界的にその効果が実証されているCBTに焦点を当て,CBTによる認知・行動・感情/情動・身体的/生理機能に関する治療効果を概観し,治療効果の認識を高める情報提供の内容を検討した。研究4では介入アプローチとして,インターネットを介した情報提供の活用可能性を検討した。うつ病における専門機関への援助要請に焦点を当てた研究を概観し,課題として,1)男性を含めた介入効果の検討が必要であること,2)一定の追跡調査の実施が望まれること,3)情報提供による効果の変化を検討するために,内容を分けたり,ログデータを活用する工夫が必要であること,4)介入ターゲットとして促進要因を含めた情報提供の効果を検証していくこと,の4点が挙げられた。本邦における今後の応用と研究の発展可能性としては,日本人のリテラシーや動機づけの高め方を考慮し,1)治療効果に関する悲観的な認識の変容をもたらす情報を発信していくこと,2)他者との相互交流が感じられるような文章表現及びフィードバックの回数を増やす等のインテラクティブな機能を充実させること,3) 人工知能技術を活用したガイド役を設置すること,4)本邦におけるうつ病に関する情報提供サイトの援助要請促進効果に関する知見を蓄積していく必要があること,の4点が挙げられた。上記から,治療効果の認識を高める介入プログラムの内容と,有効な介入アプローチとしてインターネットを介した情報提供が援助要請の促進に活用できる可能性が考えられた。

第Ⅳ部 うつ病の専門的な援助要請を促すICTアクセス促進システム

第Ⅳ部(研究5・研究6)では,ICTを活用し,促進要因「治療効果の認識」に焦点を当てた介入プログラムを開発し,援助要請の促進効果を検証することを目的とした。

研究5では,上述の先行研究の課題を踏まえ,治療効果の認識を高める情報提供サイトを開発し,症状理解とスティグマだけでなく,治療効果に関する情報提供が専門的な援助要請が促進するかを検討するためにRCTを実施した。その結果,症状理解とスティグマに焦点を当てた情報提供サイトと,治療効果の情報を加えた情報提供サイトのいずれも,援助要請行動,援助要請意図,援助要請態度の促進効果は得られなかった。その理由としては,1)介入期間が短く,治療効果に関する理解を深めるには不十分であったこと,2)ウェブサイトを閲覧していない者が含まれていた可能性があり,ログデータを活用して基準を満たさない対象者を除外する手続きをおこなうこと,3) ウェブサイトは文章による情報提示の割合が多かったことから,今後はフィードバック機能を追加する等の工夫が必要であること,4)精神的健康度の低い者を介入対象としていることから,ガイド役を付けたサポートが必要であること,の4点が挙げられた。

上述の限界を踏まえ,研究6では,よりインテラクティブなフィードバック機能を加えた情報提供サイトと,人工知能を掲載したガイド役の設置を通して治療の疑似体験を提供する治療体験サイトを開発し,これらの利用を通して援助要請が促進されるかを検討した。介入の結果,情報提供サイトと治療体験サイトの利用はいずれも,援助要請行動,援助要請意図,援助要請態度の促進効果に寄与しないことが示された。また,これらのサイトを利用することは,治療効果の認識,薬物療法の認識,精神的健康度の変化を及ぼす効果は見られなかった。一方,うつ病に関するリテラシーの向上,セルフ・スティグマの低減,CBTの治療効果を含むクイズ得点の向上に対する介入効果は見られた。このように治療効果の認識を高めることを目的に開発したウェブサイトが援助要請を促すには不十分であった理由としては,(1) 介入ターゲットとして,治療効果を認識への着目及びうつ病に限定した情報提供では不十分であること,(2) 介入アプローチとして,フィードバック機能の追加やガイド役の設置等の間接的サポートでは限界があること,(3) 調査協力の援助要請に対するコスト意識を考慮できていないこと, (4) 介入後の追跡調査の設定の短さや統制群の中に努力の最小限化をしていた者を除外する手続きが不足していた研究デザインの課題が挙げられた。

第Ⅴ部 総合考察:実践応用に向けて

第Ⅴ部では,総合考察として,サービス・ギャップの対策に対して本研究の結果から得られる示唆を述べた。また,本研究の知見の位置づけと意義を述べ,全体の課題と展望を論じた。

本研究の結果から,精神健康度の低い者の援助要請行動を促進する上で,「治療効果の認識」の向上を目指した情報提供では不十分であることが示唆された。本研究の課題として,1)治療効果に対する悲観的な認識の変容をもたらす介入アプローチの検討,2)非専門的な治療法に対する志向性を考慮した対策の検討,3)日本文化を考慮した治療効果に関する情報提供の実施,をしていくこと等が挙げられた。介入アプローチの課題としては,間接的サポートよりも直接的サポートのあるiCBTサービスが有効である可能性があり,本研究の限界を踏まえて今後も有効な介入アプローチを検討していく必要があることが述べられた。

本研究の学術的意義としては,1)専門機関への援助要請の促進要因を検討したこと,2)実際に専門的な援助のニーズがあるコミュニティに対して介入の効果を検証したこと,3)インターネットを介した情報提供だけでなく,人工知能技術の応用可能性を検討した点が挙げられた。また,臨床的意義として,援助要請者(来談者)に関する理解の促進や,来談者が専門機関に辿り着く前に実施可能な予防と地域援助の臨床実践に役立つ点が考察された。

最後に,本研究全体の課題として,1)援助要請に影響を及ぼしうるコスト意識に関する検討,2)年齢や属性に合った援助要請の促進要因や介入アプローチの検討,3)援助要請者の要因だけでなく,社会システム及び提供者要因を改善していくことが挙げられた。