Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

信吉真璃奈 博士論文要旨(2018年)

自閉スペクトラム症の感覚ゲートに関する研究

―共感覚・感覚過敏を手がかりとして―


第1部 ASDの感覚の特徴への注目.―認知中心から感覚へ―

第1部では,これまでの先行研究を概観し,本研究の目的を述べる。

第1部は2つの章によって構成されている。

第1章において,神経発達障害である自閉スペクトラム症 (Autism Spectrum Disorders: 以下,ASDとする) に関して,ASD概念の歴史的な広がりを追いながら,中核的な症状及び併存しやすい二次的な精神症状を概観する。その上で,これまで試みられてきた認知的な説明理論として心の理論の障害,実行機能の障害,中枢性統合の弱さに着目する。これらの理論によっていわゆる三つ組みの障害などASD症状に関して一定の理解が進んできたという成果がある一方,未だ不十分な説明にとどまっている点がある限界を述べる。ASD支援においては現在,認知的なアプローチが中心であるが,認知行動療法が奏効しにくい強迫症状の背景に感覚による影響があることを述べ,認知中心で理解されてきたASDに関して感覚ゲートをはじめとする感覚に着目することの有用性を提案する。感覚が認知に影響を与える例として「身体化された認知」を取り上げ,そのような認知と関連の深い共感覚という感覚現象に着目する意義を述べる。

第2章では,第1章における議論を受けて,本研究全体の目的と構成について述べる。

第2部 感覚が生活に及ぼす影響 ―感覚ゲートへの着目―

第2部では,ASDの感覚の特徴として,感覚過敏と感覚ゲートに焦点をあて,ASD者が感覚体験によってどのような影響を受けているのか質的に分析し明らかにすることを目的とする。また,その前提として,そもそも人の生活は感覚の特異性によってどのように影響を受けるのか検討するために,認知に影響を及ぼしやすく,ASD及び定型発達に共通して見られることがある「共感覚」という感覚の特徴に着目する。

第2部は3つの章によって構成されている。

第3章では研究1-1を行い,共感覚を持つ定型発達者に焦点をあて,共感覚によって当事者の生活がどのような影響を受けているか質的に検討する。その結果,共感覚は生活上の利便性や煩わしさ,生活の彩りに繋がる一方,人間関係にも影響を与えることが示唆された。

第4章では研究1-2を行い,共感覚を持つASD者に焦点をあて,研究1の結果と比較する形でASDへの感覚の影響の独自性を検討した。その結果,定型発達者と概ね体験は共通しているものの,煩わしさに繋がる割合が多かった。また,コミュニケーションの手がかりとしての活用がある一方,自分はおかしいという自己認知に繋がりやすく,人との隔たりを生じさせやすい傾向が見られた。

第5章では研究2を行い,研究1で得られた知見を参考に,ASDの感覚過敏,感覚ゲート異常によって生じる困り感や当事者による対処行動の体験を質的に検討した。その結果,ASDの二次障害として生じやすい不安やうつに関して,感覚過敏によってそのようなネガティブ感情が直接的かつ日常的に生じやすくなるなど,感覚面からもリスクが高まっている可能性が示された。身体面との関連に関しては,疲れや体調不良などによって困り感が左右されることが示唆された。また,自分のストレス,疲れ,感情の認知の困難に関してASD者によって段階性が示され,きめ細かいアセスメントの必要性が示されるとともに,感覚過敏だけでなく感覚ゲート異常が組み合わさることの影響も示唆され,生活全体に影響を及ぼしている可能性が見られたため,仮説として「ASDの感覚過敏及び感覚ゲート異常は,当事者の生活全体に影響する」,「ASDの感覚過敏及び感覚ゲート異常は,自分の感情の認識のしにくさに繋がる」を設定し,第4部にて検討を行った。

第3部 ASDの感覚ゲートに関する探索的検討

第3部では,第4部に先立ち,様々な精神疾患に関して報告されている感覚ゲート異常に関して,定型発達者,トゥレット症患者との比較を通して,ASD者に見られる特徴を探索的に検討する。また,そのために必要な感覚ゲート異常を測定できる質問紙の標準化も行う。

第3部は3つの章によって構成されている。

第6章では研究3を行い,これまで生理学的指標によって測定されてきた感覚ゲートの機能の程度を測定を測定できる日本語版尺度を作成し,原著にならって信頼性・妥当性の検討を行った。因子構造の検討においては,事前にアイテムパーセリングを行い,信頼性,妥当性ともに許容できる結果を得られた。

第7章では研究4を行い,研究3で標準化した日本語版感覚ゲート尺度をASD 者と定型発達者に実施することでカットオフポイントを算出し,臨床現場で容易に得点の解釈ができるようにした。また,感覚過敏を測定する感覚プロファイルに関して,Youden Indexを比較したところ,感覚ゲート尺度の方がよりよい値を示し,ASDと定型発達の感覚の差異を抽出するという点では,感覚ゲートの方が優れた側面を持つ可能性が示された。

第8章では研究5を行い,ASD者,定型発達者,トゥレット症患者に研究3で標準化した感覚ゲート尺度を実施し,ASDの感覚ゲート異常の特徴を検討した。その結果,概ねASD,トゥレット症,定型発達の順で感覚ゲートに異常が見られた一方,感覚情報への注意の転導性に関しては,ASDとトゥレット症であまり差が見られない結果となった。

第4部 ASDの感覚ゲートが生活・感情に与える影響

第4部では,第2部研究2で得られた仮説のうち,以下のふたつを検証する。すなわち「ASDの感覚ゲート異常は当事者の生活全体に影響を与える」,「ASDの感覚ゲート異常は自己の感情認知困難に影響を与える」である。

第4部は2つの章によって構成されている。

第9章では研究6を行い,ASD者,定型発達者,トゥレット症者に質問紙を実施し,ASD者のQOLに対して感覚ゲート異常がもたらす影響を量的に検討した。その結果,定型発達においてのみ仮説が部分的に支持され,ASD,トゥレット症では支持しない結果が得られた。ASDに関しては,自己の状態を認識する困難があるため,主観的尺度を採用したことで結果が得られなかった可能性がある。一方トゥレット症においては,チックなど疾患の主症状を変数に入れなかったため,今後さらなる検討が求められる。

第10章では研究7を行い,研究6と同様ASD者,定型発達者,トゥレット症者に質問紙を実施し,ASDにしばしば観察される「自分の感情が自分でよく分からない」という現象に関して,感覚ゲート異常が与える影響を量的に検討した。その結果,ASD,定型発達において,感覚ゲート異常が自己の感情同定困難というアレキシサイミア傾向の一部を強く予測することが明らかとなり,ASDの自己の感情認知に関しては,感覚過敏より感覚ゲートの影響の方が大きい可能性が示唆された。一方,トゥレット症においては仮説が支持されず,ASDと同様に感覚的な症状を持つ強迫スペクトラムの疾患であっても,知見をそのまま応用することには慎重になる必要があることが示された。

第5部 総合考察

総合考察では,研究1~8で得られた知見を総括し,ASDの感覚の特徴への注目の重要性を指摘するとともに,定型発達やトゥレット症と比較しながらこれまで知見の蓄積されて来なかったASDの感覚ゲートの特徴を述べている。同時に,ASDの症状と感覚の特徴との関連も考察している。

本研究は,感覚ゲートという感覚の特徴に関して,感覚過敏や共感覚も含めた考察を行うことでASD独自の体験の抽出を試みており,ASDに見られる情緒の問題に関して感覚から理解を行った点で,ASD研究としての学術的意義を有する。また,本研究は,他の精神疾患にも見られる感覚ゲートに着目している点で他の精神疾患との連続性を持つ感覚研究としての側面もありオリジナリティを有している。今後は,これまで行われてきた認知的支援に先立って,感覚面のアセスメントを行い,身体面から感覚を整えておくことで,より効果の高い実践に繋がる可能性があり,臨床面での発展可能性を有する。

一方で,本研究はいくつかの限界点がある。本研究は,疾患横断的な視点を持ちながらも,実際に研究の対象とすることができたのはASD,定型発達,トゥレット症のみであり,特にトゥレット症に関しては仮説を支持する結果を得られていない。「結果をそのまま適用できない」ということが示されたこと自体に一定の意義は認められるものの,本研究の応用可能性はあくまで可能性の段階を出ていないということであり,どの程度知見を適用できるか不明瞭である。また,本研究では,広く感覚が認知に与える影響に関して問題意識を持って研究を進めてきたが,実際に量的な検討ができたのはアレキシサイミアという自己の感情認知についてのみであった。特に,感覚と対人関係,こだわりとの関連については,考察の域を出ない状態であり,仮説生成の段階に留まっている。さらに,ASDの感覚の特徴として,感覚ゲート,感覚過敏,共感覚だけで十分かどうかに関しては,議論の余地がある。

今後は,本結果の適用可能性に関して他の精神疾患を対象として検証していき,診断横断的な視点の妥当性を検討する必要がある。またその際は,トゥレット症における結果を踏まえ,対象と疾患の重症度の尺度なども独立変数に入れることで,より精緻な分析が可能になると考えられる。また,感覚の問題とASDの症状との関連に着目した追加の質的分析や,ASD症状を測定できる尺度を用いた量的研究によって,仮説の精緻化を行っていく必要があると考えられる。さらに,ASDの感覚の独自性に関しては,より包括的にASD独自の感覚体験に焦点を当て,ASDの感覚の特徴をより深く精緻に検討していくことが求められる。