Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

高岡佑壮 博士論文要旨(2016年)

自閉症スペクトラム障害者の自己理解に関する研究


第1章 序論:自閉症スペクトラム障害者の自己理解について

本博士論文の目的は、自閉症スペクトラム障害(ASD)を持つ人々の自己理解の独特さの詳細について探索し、その自己理解を深める方法を提示することである。

第1章では、ASD者の自己理解に関する先行研究を概観し、先行研究の限界点を詳述した。具体的には、ASD者が他者の情動等の様々な情報を取り入れにくいという特徴を持ち、このため自身の行動傾向の把握に困難を持つことが先行研究から窺える一方、ASD者自身が自らの自己理解の在り方についてどう認識しているかについて分析した研究は乏しいということを指摘した。本論文ではこの限界点をふまえ、ASD者の「自身の行動傾向を把握・制御できる」という意味合いでの自己理解の特徴及びその深め方について、ASD者の語りの分析を起点として探索した。

第2章 研究1:自閉症スペクトラム障害者の自己理解が自身の行動に与える影響に関する質的研究――仕事を円滑に進める方法に着目して

第2章(研究1)では、ASD者の自己理解が自身の行動に与える影響に関する知見を見出すことを目的に、ASD者が就労上の間題に対処するためどのような自己理解の在り方を適用しているかについて、ASD者自身の語りに基づいて探索した。なお、自身の特徴等について語る能力を有したASD者を調査対象とするため、インフォーマントは成人のHFASD者とした。具体的には、HFASD者7名への半構造化インタビューにより言語データを収集し、グラウンデッド・セオリー・アプローチ(GTA)によって分析を行った。

分析の結果、「HFASD者は『何が間題であるのか』についての自覚や理解を深め、かつ自身に極端な意欲の高低差や得手不得手の偏りがあると理解することで、その特徴に応じた対処ができるようになる」と示唆された。つまり、「極端な意欲の高低差と得手不得手の偏りが自分の特徴である」という形での自己理解を獲得するからこそ、高い意欲を持てる分野や得意な分野に集中して取り組む、あるいは意欲の低さや苦手さを改善するための取り組みに着手する、といった形で自身の能力を発揮し、就労場面での困難を克服できるようになると考えられた。このように自分の特徴の「極端さ」を理解して自身の行動傾向を把握・制御していく点に、HFASD者の自己理解の独特さがあると考えられた。ただし研究1では、このような自己理解を深めていく具体的なプロセスが不明であるという限界点が残った。研究2ではこの限界点を補うため、自己理解を深めるプロセスの探索を行った。

第3章 研究2:自閉症スペクトラム障害者が自己理解を深めるプロセスに関する質的研究

第3章(研究2)の目的は、ASD者が自己理解を深めるプロセスを明らかにすることである。研究1で得られた知見を発展させるため、「ASD者の自己理解はどのようなプロセスを辿ることで深まるのか」という、研究1では見出せなかった部分に焦点を当てた探索を行った。具体的には、HFASD者25名に半構造化インタビューを行って言語データを収集し、GTAによって分析を行った。

分析の結果、HFASD者は他者を参照する能力を高め、他者の言動をモニタリングすることで自分の特徴を理解していく、という可能性が示唆された。この他者を参照する能力は、強い社交不安や抑うつ状態等によって他者との交流を避けていると向上しづらいが、他者との交流を積み重ねればHFASD者でもある程度向上させることができる、ということも示唆された。これにより、HFASD者の自己理解を促すための支援の方法として、社交不安等を軽減させて他者参照能力をのばす機会を作り出せば効果的である、と示唆された。

一方で、研究1及び研究2では、質的研究法という方法の関係上、一般化可能性については不明な仮説を生成するに留まった。加えて、ここまでの研究で生成された仮説はHFASD者の語りのみに依拠しており、第三者の意見を反映させられていない、という限界点もあった。これらの限界点をふまえ、研究3では研究2で生成された仮説の量的研究による検証を、研究4ではASD者の自己理解に関する支援者の語りに基づいた分析を行った。

第4章 研究3:自閉症スペクトラム障害者の自己理解に影響を与えるメンタルヘルスの間題に関する統計的分析

第4章(研究3)では、ASD者の自己理解の深まりを主に妨げるのは二次的な間題(抑うつ状態等)であり、生来の障害特性そのものが自己理解の停滞をもたらす側面はさほど強くない、という仮説を統計的分析によって検証した。具体的には、ASD者の特徴、具体的には自閉症傾向の強さが、他者との交流を阻害して自己理解を滞らせる「抑うつ傾向の強さ」にどの程度影響を与えるかを調査した。抑うつ傾向により直接的な影響を与えるのは自閉症傾向ではなく社交不安であるという予想のもとで、ASD者の自閉症傾向・社交不安・抑うつ傾向のそれぞれを特定の尺度によって測定し(n-46)、各々の関係性について重回帰分析で検討した。

分析の結果、自閉症傾向が抑うつ傾向へ影響する度合いは個人差がやや大きく、社交不安の方が直接的に抑うつ傾向を強めている、ということが窺えた一方で、自閉症傾向と抑うつ傾向の関係が擬似相関の関係にあることまでは示唆されず、自己理解促しの方法として抑うつ傾向や社交不安を集中的に軽減させる働きかけのみに拘泥することの危険性が見受けられた。このため、この働きかけ以外の自己理解促しの方法について探索することも不可欠と考えられ、この課題もふまえた上で次の研究4を行った。

第5章 研究4:支援者視点から捉えた自閉症スペクトラム障害者の自己理解に関する分析

第5章(研究4)の目的は、ASD者が自己理解を深めるプロセスはどのようなものかについて、支援者の認識に基づいて仮説を生成し、HFASD者の語りのみに基づく研究2で得られた知見を精緻化することである。8名の支援者(精神科医、臨床心理士等)に半構造化インタビューを行い、得られた言語データをGTAによって分析した。

分析の結果、ASD者は受け取った情報の全体像を把握しづらく、それらの情報を統合して「自分はこのような人間である」と自発的に推測するのは苦手だが、他者から「生活の枠付け」をしてもらえると自己理解を深めやすくなる、と示唆された。「生活の枠付け」をしてもらうということは、自身の行動傾向を把握・制御するための指針を与えてもらうことを意味する。ASD者はこの指針通りに行動し、成功体験を積み重ねることで、「自分はこのようにすれば上手くいく人間である」という形で自己理解を深めていく、と示唆された。本論文の研究2によって見出された「自己理解を深めるプロセス」は、「他者を参照する中で自分の特徴に気づいていく」という、ASD者の自発的な気づきに基づくプロセスに限られていた。研究4でも、このような形での自己理解が完全に不可能というわけではないと示唆されたが、一方で、器質的な障害の度合いが重いASD者ほどこれが苦手になること、

このため「生活の枠付け」の必要性が高いことが示唆された。

第6章 総合考察:ASD者の自己理解を効果的に促す方法について

第6章では、研究1から研究4の結果をふまえ、ASD者の自己理解の独特さと深まり方に関して総合的な考察を展開した。また、その自己理解の特徴をふまえた支援の在り方についても考察し、支援者がASD者と関わる際に留意すべき点、及びASD者を取り巻く社会状況に関する改善案について提示した。その詳細は、主に以下に挙げる通りであった。

  • ASD者は自己理解に必要な情報の取り入れに困難を抱えているため、その特徴をふまえた支援が重要である。具体的には、「生活上の間題に対処するための具体的な行動の指針をASD者に伝え(-生活の枠付けを行い)、その対処による成功体験を通して自分の特徴について理解していくよう促す」という支援が重要である。
  • ただしASD者は「自分は他者を参照枠とした自己理解ができる」という認識自体は可能であり、その認識が必ずしも間違っているとは限らないため、「ASD者がその時点で行っている自己理解」を尊重しながら接することも重要である。具体的には、その時点でのASD者の自己理解の在り方そのものを変えるよう指示するのではなく、あくまで行動を変化させることに焦点を当てた指示をしていくことが重要である。
  • 本邦においては、ASD者への支援の前提となる情報が様々な領域や機関の間で共有されにくいという間題点があると考えられる。このため、各々の領域・機関において安定した「生活の枠付け」を行うためには、「成功体験を増やすための行動の指針」を要約した文書を作成し、ASD者が新たな領域や機関に入る際に支援者がその文書を移行先に受け渡すことが重要と考えられる。この方法を上手く機能させるため、ASD者へのアセスメントを主な役割とする機関を全国に設立し、その機関が上記の文書作成と様々な他機関への文書の提供、及びそれらの他機関が円滑に支援を行うためのコンサルテーションに従事することが必要であると考えられる。

また、本論文を通しての限界点としては、研究1から研究4にかけて調査対象の属性を一貫させられなかった点(例えば、研究によっては調査対象となるASD者がHFASD者のみに限定されている点)や、当事者の個別性について検証の余地を大きく残している点等があると考えられた。今後、子どものASD者や知的障害を持つASD者が自己理解を深めるプロセスに関して行動観察によって探索する、また本論文で得られた知見が個別のケースにおいてどの程度活用できるかを検証するための事例研究を行う、といった形で、さらなる知見の精緻化を行う必要があると考えられた。