Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

羽澄恵 博士論文要旨(2016年)

睡眠障害に伴う社会生活場面の認知に関する臨床心理学的研究 

―薬物療法を受ける睡眠障害患者の心理社会的援助に向けて―


第1部 問題と目的

睡眠とは,生物の内部的必要性により発生する必ず覚醒可能な一時的意識低下現象と定義される。睡眠は心身の機能の維持にかかわる活動であり,生物的要因,環境的要因の両方が複合して発生する。特に,心理社会的問題は,多くの疾患において症状や治療に伴い生じることや,治療や症状改善の妨害要因の1つとなりうることが指摘されている。そのため,多くの疾患において,心理社会的問題の改善を目的とした介入プロトコルの構築がなされている。睡眠医療においても,近年は症状だけでなく生活の質(以下,QOL)の改善を目的とした治療の提供が重要視されてきている。慢性不眠症や概日リズム障害,睡眠時無呼吸症候群を初めとした様々な睡眠障害において,治療開始後にも心理社会的問題を抱えている場合があるとの指摘があり,睡眠障害の種類によっては,心理社会的問題への介入が開発されている。

一方で,睡眠障害のひとつである,情動脱力発作を伴うナルコレプシーについては,症状や治療に伴い生じる心理社会的問題への対応が十分検討されていないと考えられる。情動脱力発作を伴うナルコレプシーとは,夜間の十分な睡眠にもかかわらず,日中に耐えがたい眠気が繰り返し生じる睡眠障害であり,眠気の継続時間が短いことと,強い感情の出現に伴い身体の力が抜ける情動脱力発作という症状を抱えていることが特徴である。情動脱力発作を伴うナルコレプシーにおいては,対症療法としての薬物治療が中心であり,眠気,情動脱力発作ともに症状が軽減することが指摘されている。一方で,眠気については,薬物治療開始後も健常者に比べて強いこと,対人関係上の困難が生じやすいことや勉強・仕事で成果を挙げにくいことが指摘されている。また,薬物治療開始後もQOLが健常者に比べて低く抑うつ感が強いこと,特有の行動様式の傾向が形成されることが指摘されている。これらから,情動脱力発作を伴うナルコレプシーにおいては,薬物治療開始後も心理社会的問題を抱えながら生活せざるを得ない可能性が推察される。しかし,現行では,情動脱力発作の伴うナルコレプシーに対する心理社会的問題への援助が少ない。その理由の1つとして,薬物治療中の情動脱力発作を伴うナルコレプシーにおいて,心理社会的問題が生じる機序や詳細が十分に検討されていないことが考えられる。よって,本研究では,情動脱力発作の伴うナルコレプシーにおける心理社会的問題が生じる機序について明らかにすることを目的とした。 

第2部 薬物治療中の眠れないことを主訴とする患者が直面する心理社会的問題に関する補助的研究

第2部では,補助的に,薬物治療中の眠れないことを主訴とする患者を対象として、心理社会的問題の検討を行った。反対の症状でありながら,情動脱力発作を伴うナルコレプシー同様に治療開始後も心理社会的問題を抱えることが指摘されている。第2部の研究を行うことで,情動脱力発作を伴うナルコレプシー特有の体験をより明確化するとともに,睡眠障害全般に共通する心理社会的問題についての示唆を得られると考えられた。

研究1では,眠れないことを主訴とする患者における薬物療法長期化にともなう心理的葛藤の形成過程を明らかにすることを目的とした。まず,焦点を当てるべき場面を特定するために,予備調査として睡眠専門外来に勤務する医師3名を対象としたインタビューデータをKJ法で分析した。その結果,診察場面で患者が医師の治療方針に納得しないことで長期化する場合があることが示唆された。そこで,診察場面に焦点を当て,“納得のしなさ”と捉えられるような医師と患者の対立構造が形成されるプロセスを明らかにすることを目的とした。眠れないことを主訴として薬物治療を半年以上行っている患者13名(平均年齢53.3±19歳;平均服薬年数6.0±8.1年)を対象に半構造化面接によりインタビューデータを収集し,グラン・デッドセオリー・アプローチ(以下,GTA)による分析を行った。その結果,治療が長期化することで一生治らない懸念を抱えるようになる中で,薬の効果を絶対視することで薬が効かないことへの不信感が生じる,あるいは医師の処方の意図が分からないことで,治療が毎回同じに感じられ治療に不信感が生じるという仮説モデルが生成された。

研究2では,研究1で抽出された“薬が効かないことへの不信感”の形成にかかわる心理的体験を明らかにするため,服薬時の認知構造を探索的に明らかにすることとした。研究1と同一の対象者への半構造化面接のデータを用いて,GTAによる分析を行った。その結果,眠れないことを主訴とする患者は,普段から服薬しても十分に眠れない,または波があると感じている場合,服薬時に心理的葛藤や効果への懸念が生じるとともに,入眠困難時に薬が効かないことへの納得いかなさが生じ怒りや混乱が生じるという仮説モデルが生成された。 

研究3では,研究2で生成された仮説である服薬に対する否定的認知と睡眠状態の悪化の関連性を明らかにすることを目的とした。不眠症状を訴える患者10名(平均年齢64±12.5歳)を対象に,同意取得時に普段の服薬に対する認知への確信度および不眠症状に関する質問紙への記入を,PSG実施夜の服薬時に服薬に対する認知への確信度を問う質問紙への記入を求めた。状況ごとの服薬に対する認知の強さと睡眠状態についてSpearmanの順位相関分析を行った。その結果,服薬に対する否定的認知のなかでも,服薬時に生じる「効くのか懸念」が入眠潜時と正の相関傾向を(r=0.70, p‹0.10)を示した。普段から生じている「本来同じように効く」が睡眠効率の高さと正の相関傾向(r=-0.72,p‹0.10),総中途覚醒時間の長さと負の相関傾向(r=-0.70,p‹0.10)を示した。「自分に合っている」が睡眠効率の高さと有意な正の相関(r=0.74,p‹0.05),入眠潜時と有意な負の相関(r=-0.87,p‹0.01),総中途覚醒時間と負の相関傾向(r=-0.68,p‹0.10)を示した。「飲めば眠れると思う」が入眠潜時と有意な負の相関(r=-0.88,p‹0.01)を示した。これらから,服薬時の薬の効果に対する懸念が入眠潜時の延長と関連することが示唆された。また,普段から抱えている,睡眠薬の効果に対する肯定的評価が入眠潜時の短縮や睡眠効率の高さにも関連すると推測された。

第3部 薬物治療中のナルコレプシー患者が直面する心理社会的問題に関する研究

第2部では,現在支援を受けている家族を対象として,支援に対する認識について調査を行った。そして,エンパワーメントモデルに基づく家族支援は家族の生活満足度に影響与えること,母親のストレングス視点は,母親の育児負担感を軽減することが明らかになり,早期に適切な支援につながることが重要であると考えられた。しかし,現状では,支援につながるまでに時間がかかること,支援につながらない場合もある。そのため,第3部では,現在は支援を受けていない家族に対しても支援を提供するために,すでに支援機関につながった家族を対象として,支援につながるまでの心理的プロセスを明らかにすることを目的として調査を行った。

第2部の補助研究から,眠れないことを訴える薬物治療中の患者は,治療開始後の睡眠状態に不満感を感じることを契機として心理的苦痛が生じると推測された。情動脱力発作を伴うナルコレプシーにおいては治療開始後も眠気が残存することが指摘されていることから,眠気の残存が心理社会的問題に関わる可能性が考えられた。よって,第3部では,情動脱力発作を伴うナルコレプシーにおける薬物治療中の心理的問題について、残存する眠気症状に焦点を当てながら検討することとした。

研究4では,治療開始後の眠気の出現頻度が,心理社会的要因である眠気に伴う失敗体験の出現を媒介して,行動様式の傾向に影響を与えるという仮説を検討した。横断研究として,情動脱力発作を伴うナルコレプシー患者324名(平均年齢61.0±13.9歳)から回収した質問紙データを分析した。行動様式の自己評価傾向と日中の眠気に伴う失敗体験に関する質問項目についてそれぞれ因子分析を行った。そのうえで,服薬時および非服薬時の眠気の出現頻度と情動脱力発作の出現頻度が直接,あるいは眠気に伴う失敗体験5因子を介して行動様式の自己評価の傾向を示す3因子を説明するモデルについて共分散構造分析を行った。その結果,服薬時に生じる日中の眠気頻度が,失敗体験「注意集中の困難」を介して行動様式の自己評価傾向「大雑把さ」を予測するとともに(推定値=0.33,p‹.001;推定値=0.32,p‹05),失敗体験「対人関係の疎遠」を介して行動様式の自己評価傾向「非積極性」を予測していた(推定値=0.29,p‹.001;推定値=0.20,p‹.05)。また,服薬時の日中の眠気頻度は,全ての眠気に伴う失敗体験を予測していた。これらから,服薬時にも生じる眠気に伴い注意集中の困難の強さに生じて自分の行動様式を大雑把と評価する傾向が強まること,対人関係が疎遠になり自分の行動様式を非積極的と評価する傾向が強まることが推測された。

研究4での眠気と対人関係の疎遠化の関連性の連続性が不明なことから,研究5では,日中の眠気が治療開始後に残存する眠気が対人関係疎遠化に影響を与える過程の詳細を明らかにすることを目的とした。①情動脱力発作を伴うナルコレプシーの診断を受けている,②薬物治療を開始している,③青年期から成人期前期発症している,の条件に合致する患者10名(平均年齢49.6±17.0歳;平均発症年齢14.7±3.0歳)を対象に半構造化面接を行い,GTAによる分析を行った。その結果,居眠りに対する悪印象を抱えていると,周囲は自分の居眠りに注目し悪く思っていると考え意図的に人を避けて人間関係が形成されない一方で,周囲は思うほど自分に注目していないと気づくことで,対人関係に引け目なく人とかかわるようになるという仮説モデルが示された。

研究6は,研究4で示された服薬時の日中の眠気頻度と勉強や仕事における業務遂行の失敗体験の関連に関する体験的連続性を明らかにすることを目的とした。研究5と同一の対象者に対する構造化面接のデータをもとに,GTAによる分析を行った。その結果,情動脱力発作を伴うナルコレプシー患者は,居眠りで仕事や勉強をこなせず自責感を抱える体験を繰り返す中で,居眠りへの抵抗の無力感から人並みにこなせないと考えて次第に否定的な自己評価を獲得するに至る場合と,覚醒していられる時間を意識して積極的に活動することで物事をこなせる自信を獲得するに至る場合があるとの仮説モデルが生成された。

第4部 総括:今後の睡眠医療に必要な心理援助とは

第4部では,本研究で得られた知見を総括したうえで,本研究の示唆に基づき,睡眠医療における本研究の知見の総合考察と臨床への応用可能性について検討するとともに,本研究の課題と今後の展望について述べた。

情動脱力発作を伴うナルコレプシー患者においては,治療開始後も眠気が残存することで,眠気に伴う失敗体験が生じやすく,対人関係や業務遂行においてネガティブな出来事が生じるという予測が生じるようになると考えられた。そして,そのような予測が実際に生じるかもしれない場面を回避するための行動をとるようになり,最終的に心理的苦痛が生じるに至る場合があると考えられた。眠れない症状を主訴と比較したとき,両方とも,治療開始後の症状の残存が治療中に抱える心理社会的問題の背景要因として機能しうること,症状に関連する苦痛感を回避するための行動をとることで苦痛感が悪化する可能性があると考えられた。一方で,情動脱力発作を伴うナルコレプシーの心理的苦痛は社会生活上の困難であるのに対し,眠れないことを主訴とする場合は治療への不満感に至ることから,心理的苦痛の内容は異なると考えられた。 臨床的応用として,薬物治療を行った上で,回避行動の減少と機能的行動の増加を目的とした暴露療法などの心理介入を提案した。

限界点および今後の展望として,サンプル数の少なさや対象者が合併症を有していることなどについて論じられるとともに,サンプル数の増加や選択基準の精緻化による更なる検討や,仮説検討を目的とした新たな研究の実施が述べられた。