Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

菅沼慎一郎 博士論文要旨(2014年)

「諦める」ことの心理学的機能

建設的側面の臨床的応用を目指して


第1部 「問題と目的」(第1~2章)

「諦める」ことは人生を生きていく上で誰しもが体験する出来事である。そして、精神的健康という観点から見ると、「諦める」ことは我々の人生におけるさまざまな場面で多様な働きをしている。「諦める」に関する先行研究からは「諦める」が精神的健康に対して少なくとも機能の2面性を有することが示唆される。しかし、これまでの研究において「諦める」は研究者それぞれの「諦める」観により解釈されており、定義や捉え方は一貫していない。

また、目標志向という観点から諦めることが否定的に捉えられてきたということもあり、「諦める」ことそのものに焦点を当てて、その機能や構造、プロセスについて実証的に研究したものはほとんどない。「諦める」という観点から臨床心理学的支援を行うにもエビデンスが不足していると考えられる。

そこで、第1部では「諦める」こと、特にその精神的健康に対する機能について詳細に検討するため、先行研究をレビューした上で問題点を指摘し、「精神健康上、建設的な「諦める」と非建設的な「諦める」の違いは何か?また「諦める」を建設的なものにするにはどのようにすればよいのか?」というリサーチクエスチョンを設定した。そして、それに基づき、本研究の目的を以下の2つに設定した。加えて、検討に際しては発達段階を考慮し、主に青年期を対象に研究を行うことを述べた。

  1. 「諦める」を定義した上で、体験プロセスと機能を明らかにすること。
  2. 建設的な「諦める」の促進・阻害要因を検討すること(第3部~4部)

以上の目的に基づき、本論文は、6つの研究からなる5つの部から構成されている。第5部では得られた知見を踏まえ、「諦める」に焦点を当てた臨床心理学的支援の可能性を検討すると共に、本研究全体の臨床心理学的示唆・臨床心理学的意義について述べた。

第2部 「諦めることはどのように体験されているか」(第3~4章)

第2部では青年期に焦点を当てて、諦めることがどのように体験されているかを明らかにした。

3章では研究1とし、諦めることの定義と構造を明らかにすることを目的とし、後青年期(22~30歳)の男女15名を対象に、過去の諦め体験に関して半構造化面接を行い、M-GTAを用いて分析した。その結果、青年期に特徴的な「諦める」として、目標に関する「諦める」を見出し、「諦めた内容」と「諦めたきっかけ」、「諦め方」という3つの構成要素から構成されていることを明らかにした。

分析を元に青年期に特徴的な「諦める」を「自らの望み、もしくはそれを具体化した目標の達成が困難、または実現が不可能であるとの認識をきっかけとしたもので、その目標を放棄すること。」と定義した。加えて、同じ「諦める」であっても核となる「諦め方」により機能が異なる可能性が見出され、諦めた時点での精神的健康だけでなく、「諦める」前後のプロセス的な側面に着目する必要があることが示唆された。

4章では研究2とし、諦めることが体験されるプロセスを明らかにすることを目的とし、M-GTAを用いて4章と同じデータの再分析を行った。分析の結果、諦めるプロセスを、諦める前にも後にも【実現欲求低下】が生じない未練型、諦めた後に【実現欲求低下】が生じる割り切り型、諦める前に【実現欲求低下】が生じる再選択型に分類し、各々の型の詳細のプロセスを明らかにした。

諦めることの機能に関しては、割り切り型と再選択型は諦めることが建設的に働き、未練型は非建設的に働くこと、諦めることが建設的に働く場合に関して割り切り型と再選択型という異なったプロセスがみられることが示唆された。

第2部を通して、割り切り型と再選択型という2つの建設的な「諦める」のプロセスが存在すること、それら2つのプロセスにおいて「諦める」と関連した認知的変化が生じていることが明らかになった。そこから、「諦めることに対する一般的認知」と「過去の特定の諦め体験に対する意味づけ」が建設的な「諦める」の促進・阻害要因になっているとの仮説を得た。

第3部 「諦めることに対する一般的認知と精神的健康との関連」(第5~6章)

第3部では青年期における諦めることに対する一般的認知に焦点を当て、精神的健康との関連を明らかにした。

5章では研究3とし、諦めることに対する一般的認知尺度の作成を目的とし、大学生434名(男性171名、女性263名:平均年齢20.26歳(SD=1.09))を対象に質問紙調査を行った。その結果、諦めることに対する認知が、適応的な「有意味性認知」と非適応的な「挫折認知」からなることが示された。また、重回帰分析を行った結果、「挫折認知」が精神的健康に負の影響を及ぼすこと、「有意味性認知」は男性では精神的健康とほぼ無関係であったのに対し、女性では精神的健康に正の影響を及ぼしており、多母集団の同時分析により男女間で有意に差があることが示された。

6章では研究4とし、諦めることに対する一般的認知と人生満足度、自己肯定感、時間的展望との関連の検討を目的とし、インターネット調査会社の大学生600名(男性300名、女性300名:平均年齢21.15歳(SD=1.51))へオンラインでの質問紙調査を実施した。その結果、第3部で見られた諦めることに対する一般的認知の機能の性差が安定して見られ、その一部は時間的展望を媒介して精神的健康に影響を及ぼしていることを確認した。また、男女に群分けをした上で下位尺度による分類を行うことで、男女いずれにおいても「有意味性認知」高「挫折認知」低群の精神的健康度が高いことが分散分析の結果から示唆された。

第3部を通して、諦めることに対する一般的認知尺度を作成し、一般的認知の内容とその意味を実証的に明らかにした。一般的認知と精神的健康の関連が見られたことは、一般的認知が建設的な「諦める」の促進・阻害要因になっているという仮説は一定程度支持されたものと考えられる。また、一般的認知の機能を性差という形でより具体的に明らかにすることができ、性別により支援が異なる可能性について論じた。

第4部 「特定の諦め体験に対する意味づけと精神的健康との関連」(第7~8章)

第4部では、過去の特定の諦めたことをどのように意味づけているかに焦点を当て、青年期と成人期前期において精神的健康との関連を明らかにした。

7章では研究5とし、青年期を対象に過去の特定の諦めたことに対する意味づけとその精神的健康に対する機能の検討を目的とした。インターネット調査会社の大学生のうち、「人生を振り返って自分にとって重要な諦め体験がある」と答えた大学生600名(男性300名、女性300名:平均年齢20.81歳(SD=1.28))にオンラインでの質問紙調査を実施した。

その結果、「有意味性認知」「逃げ認知」「挫折認知」の3つの認知構造を有していることが明らかになり、過去の諦め体験に対する意味づけ尺度の信頼性と妥当性が確かめられた。また、t検定によってそれらが様々な体験によって変動すること、共分散構造分析によって直接あるいは時間的展望を媒介して精神的健康に影響を及ぼしていること明らかにした。

8章では研究6とし、成人期前期を対象に過去の特定の諦めることに対する意味づけとその精神的健康に対する機能の検討を目的とし、インターネット調査会社の「人生を振り返って自分にとって重要な諦め体験がある」と答えた成人期前期の600名(男性300名、女性300名:平均年齢30.82歳(SD=4.31))へオンラインでの質問紙調査を実施した。その結果、成人期前期においても過去の諦め体験に対する意味づけ尺度の信頼性・妥当性が確かめられた。

また、t検定によってそれらが様々な体験によって変動すること、共分散構造分析によって青年期と同じく直接あるいは時間的展望を媒介して精神的健康に影響を及ぼしていること、多母集団の同時分析によりその影響の度合いには性差が存在し、成人前期において女性における有意味性認知の重要性が低くなっていることが明らかになった。

第4部を通して、青年期と成人期前期における過去の諦め体験に対する意味づけが精神的健康と大きく関連していることが明らかになった。これにより、過去の特定の諦め体験に対する意味づけが建設的な「諦める」の促進・阻害要因になっているという仮説は一定程度支持されたものと考えられる。また、過去の諦め体験の意味づけに関連した体験や精神的健康との媒介要因としての時間的展望を明らかにすることで支援の方向性が示された。

第5部 「総合考察:「諦める」という観点からの臨床心理学的介入とは」(第9章)

第5部では、総合考察として本研究から得られた知見を統括し、臨床心理学的支援の検討、臨床心理学的観点からの示唆、意義、および今後の課題と展望について述べている。9章では、これまでの研究で得られた知見から建設的な「諦める」に必要な要素と臨床的応用可能性について検討した後、ソーシャルICTを活用した「諦め」アプリケーションを開発し、「諦める」に焦点を当てた臨床心理学的支援の1つの方向性を提案した。

本研究の意義としては、6つの研究で得られた臨床心理学的示唆の他、心理学用語としての「諦める」の確立、欲求の観点から見た心理学用語としての概念の有用性、実証的知見に基づいた「諦める」の臨床的応用例の提示をあげた。また、理論的意義として第3世代の認知行動療法と森田療法を繋ぐ鍵概念としての「諦める」という概念の有用性について論じた。

課題と展望に関しては、発達段階に関する一般化可能性、臨床群への応用可能性、諦めることに対する一般的認知・過去の特定の諦め体験への意味づけの変化可能性の観点から論じた。