Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

松田なつみ 博士論文要旨(2013年)

トゥレット症候群のチックへの自己対処とその効果の実証的研究

前駆衝動と半随意性に着目して


第1部 序論

TS(Tourette Syndrome: TS)は,多様な運動チックと音声チックを比較的長期間有するチック障害の一つであり,前駆衝動と半随意性という特徴がある。脳神経系の異常が原因とされるチックは本人が随意的に行っているわけではないが,チックの前には前駆衝動という感覚が伴うため,チックを事前に察知し,ある程度コントロールできる。この半随意性により,TSを有する当事者は日常的にチックをコントロールする場合があることが臨床場面において観察されている。チックの経過や治療の限界等を考えると,チック症状への日常的な自己対処は重要である。しかし,自己対処を直接検討した研究は少なく,自己対処の具体的内容・効果について詳細は不明である。さらに,チックへの自己対処がチックを維持・悪化させるのではないかという懸念も存在する。

そのため,本研究で以下の4つの目的を設定した。

  • 目的1:肯定的な効果と否定的な影響の両面から自己対処の実態を把握する(第Ⅱ部)
  • 目的2:自己対処が効果的に働きうる文脈や背景を明らかにする(第Ⅲ部)
  • 目的3:「チックに伴う感覚の解消必要性」を検討すること(第Ⅳ部)
  • 目的4:「チックへの注目による悪化」を検討すること(第Ⅴ部)  目的3と4は,自己対処の前提となるチックの性質に対する信念を検討している。

第2部 チックへの自己対処はどのように行われているのか

第Ⅱ部では,肯定的な効果と否定的な影響の両面から自己対処の実態を把握するため,以下の研究を行った。

研究1

TSの当事者103名を対象とした質問紙調査を行い,当事者が比較的頻繁に抑制を行っていることが分かった。

しかし,抑制できる時間には多くの場合限界があり,多くの協力者がチックの抑制によって前駆衝動の増加や疲労感等の不快感を覚えていた。さらに,抑制による不快感がチック症状のリバウンド効果につながることが示唆された。一方で,チックへの自己対処の満足度が高いほど,生活の質が高いことも分かった。ここから,当事者にとって抑制を含む自己対処は日常的な行動であり,抑制に伴う否定的な影響もあるものの,自己対処への主観的な満足感が生活の質を向上させる効果も有していることが分かり,主観的な統制感の重要性が示唆された。

研究2

TSの当事者21名の自己対処についての語りを分類した結果,チックへの自己対処は,その意図によって6種に分類されることが分かった。意図の中でも,本人独自の2種のチックの性質の理解,すなわち,1. 解消必要性(チックや感覚は解消される必要があると捉えられること),2. 注目による悪化(症状が注目によって悪化すると捉えられること)は,自己対処と密接に関係していた。6つの自己対処は,①抑える,②感覚を解消する,③精神/身体の状態を整える,④他に注意を向ける,⑤意識が向かない工夫をする,⑥影響を和らげる,であり,②と③は解消必要性に対応し,③,④,⑤は注目による悪化に対応する自己対処であった。

第3部 対処の生じる文脈の影響 -自己対処の意味や捉え方への着目-

第Ⅱ部で主観的な統制感の重要性が示唆されたため,第Ⅲ部で主観的な統制感につながる自己対処の文脈を検討した。

研究3

TSの当事者16名を対象とした半構造化面接をGrounded Theory Approachによって分析した結果,チックへの自己対処を行う際,対処への圧力と対処の限界が常にせめぎあっており,部分的な対処がその間に折り合いをつける機能を担っていることが示唆された。その上で,自己対処が行われる文脈は,対処への圧力と対処の限界の両方が高く折り合いがつけられない状態(対処の悪循環)と,その両者の間に部分的な対処で折り合いをつけながら,統制感を得ていく状態(チックと上手くつき合う)の2種の文脈に分かれうることが示唆された。後者の文脈では,自己対処への主観的な満足感を得ていく過程が,部分的に対処可能であることによるチックの統制感の獲得と,完全にはコントロールできないという諦念を相補的に獲得していく過程であることが理解された。

研究4

チックへの日常的な対応やチックへの態度の実態とその影響を検討した(N=97)。17歳以下では「受容的態度」をとれることが,生活満足度や自己対処の満足度につながる傾向が見られた。一方,18歳以上では「チックの結果への過敏さ」が高いほど,生活の質(QOL)や自己対処の満足度が低下する傾向が見られ,「体調管理」を行うほど生活の質が向上することが示唆された。ここから,チックの結果への過敏さが成人のTSにおいて重要な役割を果たすこと,受容的態度の重要性が示唆された。

第4部 チック・前駆衝動の解消必要性の検討

研究2ではチックに伴う感覚は解消される必要があるというチックの性質理解が自己対処の前提として挙げられたため,第Ⅳ部では,感覚の解消必要性が実在するか検討した。

研究5

チックと前駆衝動の時間的な共起関係を検討することを目的とした。頻回かつ明確なチック症状を有するTSの当事者8名が,専用の母指圧計(前駆衝動計)を用いて前駆衝動の出現と強さを10分間報告し,その様子は録画され,チックの出現時刻を評価された。計668回分の運動チック生起前後15秒間の前駆衝動計及び皮膚電位計の増減のパターンが検討された。前駆衝動の分布はチックの生起時点もしくはその少し前に頂点を有する正規分布を描き,チックと前駆衝動は共起関係にあることが示唆された。歪度の分布から,チック後に前駆衝動が急速に減少するわけではないことが示唆された。また,強迫症状を有すると前駆衝動の感じ方が強くなり,チック生起前に皮膚電位水準が低下する傾向が見られた。ここから,強迫症状がチック生起時の緊張感につながり,前駆衝動の働きを強める可能性が示唆された。

研究6

TSの当事者10名を対象としたABAB法を応用した4条件の比較によって,チックの抑制によって前駆衝動が増加するか検討した。その結果,抑制によって前駆衝動の絶対値の大きさが上昇するわけでもなく,前駆衝動をより長く感じるわけでもないということが示唆された。ここから,チックによって前駆衝動が実際に減少するわけではなく,前駆衝動の大きさの落差による解消感や気逸らし等何らかの感覚が解消感として認識されている可能性が示唆された。

研究7

TSに特徴的な強迫症状がTSの認知機能,特に認知の切り替えの苦手さに与える影響を検討することを目的とした。33人のTSを有する協力者と18人の健常被験者に3種の神経心理学検査を実施し,次元ごとの強迫症状の重症度を測定した。その結果,年齢を統制した多重共分散分析により,攻撃性の強迫症状を持つTS被験者はそうでないTS被験者及び健常被験者と比べて,Wisconsin Card Sorting Taskの保続エラーの成績が有意に低下していた。ここから,TSに特徴的な対人的な強迫症状が,認知の柔軟性,つまり切り替えの苦手さと関連することが示唆された。

第5部 前駆衝動への注目の否定的/肯定的な影響

第Ⅴ部では,研究2で指摘された“注目による悪化”という仮説を検討するため,感覚やチックへの注目が,チック症状の悪化や生活の質の低下につながるか,それとも抑制に貢献するか検討した。

研究8

前駆衝動の影響を,個人差に着目した横断的な調査で検討した(N=82)。その結果,強迫性障害の診断が有る場合にのみ,前駆衝動が生活の質を下げることが示唆された。また,前駆衝動が強いほどチックの抑制の頻度が上がり,抑制による不快感がより強く現れるものの,前駆衝動と抑制できる時間の関連は見られなかった。ここから,前駆衝動をより強く明確に感じること自体が自己対処の成功に直接つながるわけではなく,むしろ前駆衝動を感じやすい人ほど対処による不快感をより強く感じやすいことが示唆された。また,前駆衝動の生活への影響は強迫性障害によって強められることが示唆された。

研究9

前駆衝動への注目がチック症状の悪化や抑制の効果に与える影響を検討した。TSの当事者10名に対して,ABAB法を応用し,①休憩条件,②前駆衝動報告条件(前駆衝動計を用いて前駆衝動に注目させる条件),③チック抑制条件,④前駆衝動報告+チック抑制条件の4種の条件間のチック頻度を比較した。全体では,前駆衝動に注目することによるチック症状の悪化は見られなかったが,強迫観念の重症度が高い場合には前駆衝動への注目がチック症状を悪化させることが示唆された。一方,抑制条件も前駆衝動報告+抑制条件も同様に,チック症状を減少させてことから,前駆衝動に注目すること自体によって抑制が難しくなることはないが,抑制がより効果的に行われることもないと示唆された。

第6部 総合考察 どのようにチックに対処していけばよいのか

本研究から,チックへの自己対処は辛さを伴うため悪循環に陥ることもあるが,対処が行われる文脈や行われ方によっては,統制感の獲得や生活の質の向上にもつながる重要な役割を果たしうることが分かった。

効果的な自己対処を行うためには,自己対処の機能分析を行い,当事者が現在行っている自己対処を尊重しながらも,必要に応じて自己対処の行われる文脈を少しずつ変化させていくような援助が望ましい。その際,当事者のチックへの受容的態度やチックに伴う感情,周囲の理解が重要であろう。

また,当事者のチックの性質理解の検討からは,1. チック及び前駆衝動に伴う緊張感や不安感が二次的に学習される可能性,2. 強迫症状が前駆衝動の影響を強める可能性が示唆された。特に長期化するチック症状に対して,チックや前駆衝動に伴う緊張感や不安感,強迫症状と前駆衝動の交互作用の検討が重要と考えられる。