バーンアウト概念の
臨床心理学的視点からの捉え直し
対人援助職の特性に焦点をあてて
第1部 問題意識
第1章は問題意識と本論の構成を示した。少子高齢化や核家族化を背景として,今後ますます対人援助(Human Services,以下HS)職へのニーズが高まると予想される中,良質なサービスが安定的に提供されることは重要である。本論は,HS職に固有の職業的危険であるバーンアウトに着目し,その発生要因とメカニズムをHS職の特性に焦点を当てて検討する。またそれを通じ,バーンアウト概念を臨床心理学的な視点から捉え直すことを試みる。
第2部 対人援助職の特性とバーンアウトに関する理論的研究
第2章は,HSが登場した社会的背景を述べるとともに,“対人援助職”という職業的概念の定義を行った。社会の近代化に伴い,伝統的共同体が担っていた機能が低下したことで,対面的接触を通じて援助を行うサービスへの要請が高まったこと,またその重要性がますます高まっていることが指摘された。そして安定したサービスの提供を維持する必要性から,HS職従事者の健康問題に注目が集まっていることがわかった。
第3章では,バーンアウト研究の変遷を辿り,バーンアウトがいかに概念化され検討されてきたかを展望した。当初,HS職に固有の問題として見出されたバーンアウトは,現在までに労働者一般へと拡大適用されるようになり,“人を相手とする仕事”がもたらす職業的危険への関心が薄らいでいることが明らかになった。そして現状の方向性のままでは,バーンアウト研究がHS職に資するものとはなりにくいため,クライエント(Client,以下Cl)との関係に注目していた初期の問題意識に立ち返る必要性が指摘された。
第4章では,HS職に資するバーンアウト研究の方向性を探るため,Clとの関係性という視点から改めてバーンアウトを考察した。その結果,家事やケアといった仕事が家族から外部化されHS職が成立した際,仕事だけでなく家族のような親密な関係も求められたことで,未知の負担が生じたという仮説が得られた。よって本論の最初の課題として,家族によるケアと職業的援助との間にいかなる差異があり,それがいかにしてHS職の困難と結びついているかを明確にするという課題が提示された(課題その1)。
続いて,HS職のバーンアウトをClとの関係性から検討するにあたり,従来の研究では臨床心理学の視点と知見が活用されていない現状が指摘された。Clとの関係構築において,心理臨床の実践者や研究者から重視され,常識となっているような技法や知識が,他のHS職には十分理解されておらず,それがバーンアウトの背景となっている可能性が見出された。ここから,Clとの関わり方についての技法や知識の違いが,援助者側の疲労にいかなる影響をもたらすのかを検証するという課題が提示された(課題その2)。
第3部 援助関係の維持とバーンアウト–対人援助の原点としての家族に注目して
第5章では第2部で導かれた課題その1を検討するため,ワーク・ファミリー・コンフリクト(Work Family Conflict,以下WFC)の問題を取り上げ,家族関係の中で援助が維持されるメカニズムを明らかにした。具体的には,子どもを持つフルタイムの正規従業員の共働き夫婦にWFCが生じた際,どのようにして家族内ケアの時間を調整しようとするのかを,発話思考法を用いて明らかにした。その結果,WFC状況の調整に際して,ケアの担い手の代替可能性を重視して判断が決定されていることが示された。
ここから,家族内援助の外部化において,親密な関係性の提供は必ずしも重視されておらず,HS職は代替可能な作業の担い手として認識されていることが示唆された。職業的に提供される援助関係と愛情を基盤とする家族の関係とでは,援助の受け手に対して非常に異なる関係を構築する必要があると考えられる。また,WFCの判断過程において親密性や情緒的関係が重視されていなかった一方で,代替可能性がない状況では明確に家庭を優先することが示された。これは家庭内援助の維持メカニズムの背景に,愛情や精神的安定の場である家庭を確保しようとする動機の存在を示唆するものである。
第6章では,課題その1についての議論をさらに進めるため,難病(筋ジストロフィー)患者の家族介護者のバーンアウトを調査した。その結果,難病患者の家族介護においてはバーンアウトの構造が特異なものとなり,介護に対する否定的な感情が生じにくいメカニズムの存在が示唆された。この結果からも,家族内の援助関係が職業的援助関係とは異質なものであり,援助の担い手を外部化することの複雑さが示されていた。
以上の結果を元に,家族内の援助が単に機能的なものではなく,家族関係全体の中の一部として成立しているのに対し,HS職が構築する職業的援助関係は機能的,部分的な関係であるため,Clとの相互作用の中で生じる感情を扱うための専門的技法や知識が重要となる可能性が論じられた。そして,そのような技法や知識の欠如あるいは不足が,HS職に固有の問題としてバーンアウトを引き起こしている可能性があるならば,援助関係を構築する技法とバーンアウトとの関係を明確にしていく必要があるとの展望が得られた。
第4部 対人援助職に固有のバーンアウトリスク–受容と共感が及ぼす影響
第3部までの議論と実証研究の結果を踏まえ,第7章では,専門的援助関係を構築するための技法とバーンアウトとの関係を探索するため仮説生成的な研究を行った。援助関係の構築に関する臨床心理学の知見を最も活用しているのは臨床心理士であると考え,臨床心理士が仕事の中で感じる疲労の要因を分析し,バーンアウトとの関連性を考察した。ここで得られた要因を,他のHS職にも敷衍するための手がかりとした。
調査の結果,臨床心理士の援助活動が組織的な枠組みと面接の枠組みという2重の枠組みによって支えられ,その枠組みの動揺が疲労感の発生につながっていること,疲労の原因が組織の場合とClの場合で疲れ方が異なると感じられているなどが示された。これらの結果のうち,Clとの関係がもたらす疲労は,HS職に共通する問題が反映されていると思われた。そしてClとの関係がもたらす疲労には,援助の受け手の感情に対するHS職側の感情的反応性,つまり共感が背景として関与している可能性が推測された。また,Clから向けられる攻撃性という特定の感情がHS職にとって大きな負担となることも推測された。よって以降の研究では,バーンアウトの危険因子として,HS職の関係構築の能動的側面である共感と,受動的側面であるClからの攻撃性の受容の2つを取り上げることにした。
第8章では第7章で示されたHS職に負担をもたらす要因のうち,共感に着目した。そして,Cl理解を促すとされる共感の側面と,Cl理解を阻害するとされる共感の側面がバーンアウトに対していかなる影響をもたらすのかということと,バーンアウトに対し,共感と不利な労働環境が交互作用を示すのかを明らかにすることを目的に,看護師へ質問紙調査を行った。その結果,Cl理解を促さない共感は,HS職のメンタルヘルスという観点からも不良な共感であること,共感と不良な労働環境は交互作用を示さないことが判明した。これらの結果から,HS職の教育課程や現場に対する具体的な提言を行った。
第9章では第7章で明らかになったHS職に負担をもたらす要因のうち,Clの攻撃性の受容が,HS職のバーンアウトにいかなる影響を及ぼすのかを解明した。そのため,大学生を対象に心理相談室における電話受付のシミュレーション実験を実施した。従属変数は情緒的消耗感と記憶課題成績によるパフォーマンス,生理的指標,独立変数は,Clとの接触の有無,攻撃性の有無,共感(個人的苦痛)であった。その結果,情緒的消耗感では攻撃性の主効果が見いだされた。この結果は,Clの否定的感情に曝されることがHS職の疲弊をもたらすという7章の知見とも一致した。また,HS職の教育や現場に対する提言をもたらしたと同時に,質問紙調査研究中心のバーンアウト研究に対し,実験的手法を用いたバーンアウト研究の可能性を示した。
第5部 結論
課題1,2の解明を通し,バーンアウトの発生には,職業的援助関係の構築に伴う感情の問題と,それを扱う技法や知識の問題が重要であることが明らかになった。それを受けて第10章では,バーンアウト概念を臨床心理学的視点で捉え直す具体的な試みとして,バーンアウトのアディクションモデルを提唱した。このモデルは,HS職のバーンアウトを,Clとの嗜癖的な援助関係の結果として説明するモデルである。職業的援助関係においては,Clとの心理的距離や情緒的関係を適切に管理または制御することが必要であるが,HS職がこれに失敗することがある。特に,Clとの親密性が報酬的に働いてHS職側の心理的欲求を満たすと,援助関係は本来の目的から逸脱し,嗜癖化する可能性がある。嗜癖化した援助関係は,援助の有効性を評価するためのClの成長や回復という目標を失うため,消耗的な働き方を自ら制御できなくなり,バーンアウトに至ることがあると考えられる。
以上を踏まえ,第10章の後半ではバーンアウト研究史をアディクションモデルから捉え直した。バーンアウトという言葉が元々薬物中毒者の末期状態を形容する俗語であったということが示唆する通り,バーンアウトが注目された当初から,HS職とClの嗜癖的な関係のあり方に対する関心が浸透しつつあったにもかかわらず,バーンアウト研究は,HS職の相互関与性とそこに潜在する嗜癖性を研究に取り込むとができなかったということである。
最後に,今後,関係的視点から見た新たなバーンアウト像を明確化することや,バーンアウトのアディクションモデルを用いた予防や介入を実施する必要性を論じた。