青年期における死の多面的理解
死生観の育成支援に向けて
今日,若者の殺傷事件,自殺等が取りざたされ,死に関する問題が大きな社会的関心事となっている。さらに2011年,我が国を東日本大震災が襲い,高齢化や核家族化が進む中でこれまで死とは無縁で生きてきた多くの若者も自分,そして大切な人の死とは身近にあり,人間の死期というものは誰にも予測ができないものであると改めて知ることとなった。
このような背景から,現状として,我が国の若者は死についてどのように捉えているのか,彼らの死生観の構造を明らかにすること,そして,自分や大切な人の死生に向き合い,死における当事者性を高めることを促すような若い世代に向けての死生観の育成を支援するプログラムを開発し,その効果に関する実証的な研究を行うことは,今後,急務を要する課題であるといえるだろう。
そこで,本研究では,第2部において青年期に属する若い世代におけるの死について多面的に理解すること,そして,第3部においてはそれを踏まえた上で,青年期における死生観の育成支援の有効性を検討することをテーマとし研究を進めることとした。
まず,第2部,第4章においては,「死のイメージ調査」として,青年期を対象に,想定する死の対象別に(自分,大切な人,他人)死からイメージするキーワードを挙げてもらうという自由記述式質問紙調査を行い,その結果から死に関する認知面に焦点を当てた「死に関する多面的認知尺度」を作成,その尺度構成を通して,青年期における死生観の構造モデルの検討を行った。
その結果,青年期にある彼らの死に関する心理の特徴は想定する死の対象により異なるということが改めて明らかとなった。青年期にある若者は「自分の死」については,ある程度距離を取り,客観的に捉えられるものの,「大切な人の死」については感情面においてはネガティブに捉える傾向が強く,「死」を想起すること自体が回避される傾向がある。
一方で,自分や大切な人の死といった当事者性のある死に比べ,「他人の死」については認知面においても,ポジティブ,ネガティブな評価が少ない代わりに,“公平”,“未知”,“不可避性”といったニュートラルなものに特化して反応数が多かったことから,青年期の若者にとって他人の死は,客観化され縁遠いものとして位置づけられていることがうかがえた。
さらに,本研究の結果,自分や大切な人の死を意識させることは,ネガティブな感情だけでなく,特に認知面においてはポジティブな反応をも喚起させるということも示唆されたことから,青年期にある若者は当事者性のある死を意識させること,ポジティブな認知的反応の変化を期待できると考えられた。このような結果から,今後彼らの死生観を探る上で,また死生観の育成支援を行う上では,誰を対象とした死をテーマとして扱っていくかについて,実践者が意識し,それを受講者に対しても明示していく必要性が示唆されたと言える。
次に第5章では,特に死に関する認知に焦点を当て,死生観教育をこれまで受けてこなかったと考えられる,青年期にある一般学生の死に関する認知の特徴を把握することを明らかにすることを目的とし,第4章において作成した「死に関する多面的認知尺度」を用い,一般学生群の死に関する認知と,看護師,看護学生といった専門集団の死に関する認知の比較を行った。
その結果,死に関する認知への大きな影響要因として,死生観教育と繰り返す死別体験が考えられた。まず,第一に,死生観教育を受けている看護学生群とこのような教育をこれまで受けて来なかった一般学生群の死に関する認知の比較により,死生観教育には,特に,自分や,大切な人の死といった当事者性のある死に対し,生と結びつけ,死に対し,人生を輝かせるもの,その人の生き様を表すものというポジティブな意味づけを行う傾向,そして,死を存在の終わりとするのではなく,故人の存在の永続性を認める傾向を促進するという可能性が示唆された。
第二に,繰り返す職業的な死別体験を持つ看護師群とこのような経験が多くはない看護学生群,及び,こうした経験は持たない一般学生群の死に関する認知の比較を行った結果から,繰り返す職業的な死別体験は死に対するポジティブな認知を抑制する傾向があることが明らかとなった。このような結果から,死生観の育成支援は認知面におけるポジティブな変容が期待されるが,死に対する直面化を行う際には,慎重かつ,入念な準備と工夫が必要であることが示唆されたといえる。
そして,第6章では認知的側面と感情や態度的側面の関連を検討することで青年期における死生観の構造を多面的に把握することを目的とした研究を行った。
その結果,死に対する感情的側面を示す,「死への恐怖・不安」は,死に関するネガティブな認知的側面を示す「消滅としての死」,「未完をもたらす死」との間だけでなく,死に関するポジティブな認知「輝かせるものとしての死」,「目標地点としての死」,「死後の関係」を含む全ての下位尺度との間に弱いながらも正の相関が見られた。このことからも,若い彼らの死についての恐怖・不安は,生きることへの積極性からくる,適応的なものも含まれていることが明らかとなり,若い世代における死に対するネガティブな感情の健康的側面が示唆されたといえる。
さらに,研究2の結果から,青年期にある若者にとって,死別体験は,ネガティブな心理的影響をもたらすだけではなく,死を人生のゴール,集大成という重要なものとして意味づける可能性が,また故人との絆の永続性を信じること,死への関心が深まることへと繋がっているということが示唆され,死別体験には,ポジティブな心理的変化を促すという側面もあることが明らかとなった。
第2部最後の第7章では,死生観と人生に対する満足度,充実度との関係を探り,青年期における死生観が,彼らの人生における充実度,満足度とどのように関与しているかについて検討した。
その結果,まず,これまでの人生に対する充実度,満足度が高い者ほど死を生につなげ死に対し,肯定的な捉え方をする傾向があるという可能性が示唆された一方で,死に対し,不安,恐怖感情を抱き,死を回避するという,仮説とは異なる結果となった。このことから,青年期における死に対する恐怖・不安といったネガティブな感情や死を回避しようと態度はむしろ適応的で健康的な心理示しているのではないかと考えられる。
次に,第3部,第8章では,青年期前期に属する中学生を対象に死生観育の育成支援を目的としたミニプログラムを実践し,第9章以降に行う本格的な実践プログラムの開発に向けて,その効果,影響要因を探るべく予備調査を行った。
感想文に関する,量的内容分析の結果,授業についての肯定的な反応は全体のおよそ8割を占め,授業内容については肯定的反応が9割を占めていた。この結果から,中学生を対象とした死生観の育成支援は,生徒からの受容があるということが示唆された。また,感想文の質的内容分析の結果からは,授業を通して死に対する恐怖,悲しい気分といったネガティブな感情的反応を示した生徒もいたが,その多くは, 『命の有限性,大切さの認識』,『生きていることへの感謝』等,授業内容における肯定的反応も同時に示していることが明らかとなったことから,死に対するネガティブな感情は死生観の深まりにおけるポジティブな側面があるのではないかと考えられた。
第9章では,第2部,第8章の結果得られた知見に基づき,開発したプログラムを実践し,その中で表出される受講生徒の死に対する感情的反応に焦点を当てて検討を行った。その結果,死生観の育成支援による受講生徒の感情的反応として,《第三者への共感》,《課題への感情移入》,《死の当事者性の実感》という3つのカテゴリーが抽出され,それぞれの感情は,自分,大切な人の死に対する当事者性,リアリティ感の深まりにおいて重要な意味を持つと考えられた。また,死の当事者性,リアリティ感は死に対する認知的反応と相互に影響し合いながら深まっていくということが明らかとなった。
そして第10章では,これまでの知見を受け,死生観の育成支援において,死の当事者性を深め,そのプロセスで表出する感情を他者,特に大切な人と共有する場を提供する上で効果的と思われた,ドナーカードをテーマとし,家族での対話を課題として導入した経験型プログラムに焦点をあて,その有効性の検討を行った。
分析の結果,本プログラムを受講することにより,生徒は「レシピエントの家族の視点」,「ドナーの視点」,「脳死判定された子どもの家族の視点」,「自分の家族の視点」と,【死生に纏わる様々な視点の獲得】を果たし,それが本プログラムの効果として定義した,自分や大切な人の死に対する実感,つまり【死の当事者性の高まり】に影響しているということが明らかとなった。
このように本研究は,これまで曖昧であった青年期における死に対し様々な点から検討し整理を行い,その知見をもとに彼らの死生観の育成支援において効果的であると思われるプログラムの実践とその有効性の検討を行った。その結果,彼らの死生観を把握する上では,その死の想定する対象を絞った上で行う必要性が示され,彼らの死への恐怖,不安等のネガティブな感情の適応的,健康な側面が垣間見られた。そしてこれらの知見を踏まえた上で,専門職ではなく,一般の若い世代を対象とした死生観の育成支援プログラムの一例を示したということ,また,その一定の効果を実証的に示した数少ない研究であることにおいて本研究の意義があると考えられる。