強迫症状に至る心理的メカニズムの検討
―日中青年の比較を通して―
近年、強迫スペクトラムと呼ばれるように強迫性障害は、独立した診断分類ではなく、こだわりや完璧主義なども含む強迫傾向が症状化したものとして理解されるようになってきている。それにともない発症後の治療だけでなく、発症前の強迫傾向への予防的介入の意義が注目されつつある。そこで本論文は、強迫症状に至る心理的メカニズムを検討し、予防的介入に役立つ知見を得ることを目的とした。論文は、研究の展望を示す第1部、親の教育態度が強迫傾向に与える影響を分析した第2部、強迫的観念と強迫傾向の関連を日中比較によって分析した第3部、総合モデルを提案する第4部、結論の第5部から成る。
第1部第1章でまず予防的観点の重要性という問題意識を述べ、次に先行研究に基づき第2、第3章で強迫症状のリスクファクターとして家族要因(親の養育態度)と認知的要因(強迫的信念)に着目し、さらに日中比較により文化的影響も検討するという研究目的を示した。第4章では研究方法として実証的方法を用いることを述べた。第2部第5章では5下位尺度から成る中国版強迫傾向尺度を作成し、第6章で尺度を中国大学生に実施した。その結果、親の教育態度は、男性では下位尺度「正確」「確認」「疑惑・制御」と関連が見られ、女性では下位尺度「優柔不断」「洗浄」との関連が見られ、男女差が示された。
日中比較のためには両国語間で同質の尺度が必要となるので、第3部ではまず第7章で中国語版強迫的信念尺度と日本語版強迫傾向尺度を作成した。次に第8章で尺度を日本と中国の大学生に実施し、多母集団同時分析を用いて強迫傾向と強迫的信念の因子構造の比較を行った。その結果、両国間で測定された構成概念は両者ともに同質であることが確かめられたので、平均構造モデルの分析を行ったところ、モデルに含まれる構成概念の平均に日中で違いがあることが明らかとなった。そこで、第9章で強迫傾向と強迫的信念との関連性について、日中での共通点と相違点を明らかにすることを目的に多母集団同時分析を行った。
その結果、共通点として「脅威の過大評価」の信念が強迫傾向の全ての側面と関連していること、相違点として中国では「思考の意味」「完全主義」「脅威の過大評価」が強迫傾向と関連しているのに対して日本では「脅威の過大評価」と「責任の過大評価」のみが関連していることを明らかにした。以上の結果を受けて第4部第10章で強迫的信念が媒介となって親の養育態度と強迫傾向が関連するとのモデルを提案し、第11章で時間的要因を組み入れた縦断的研究によって最も適合度の高いモデルを見出した。最後に第5部第12章で得られた知見をまとめ、第13章で今後の課題と研究の発展を述べた。
本論文は、強迫傾向と強迫的信念の因子構造および強迫傾向と強迫的信念の関連について日中比較を行い、文化的要因の関与とともに文化を超える強迫傾向の一般的特徴を明らかにした点、多母集団同時分析や平均構造モデル分析などの実証的方法を用いた点、縦断的データを用いて時間的変化を考慮した統合モデルを提案した点などで特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。