Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

袴田優子 博士論文要旨(2007年)

不安志向性気質 および 外傷後ストレス障害に関する遺伝子・脳神経画像研究

(Genetic and Neuroimaging Study of Anxiety-Oriented Temperament and Posttraumatic Stress Disorder)


外傷後ストレス障害(以下PTSD)は、強烈な恐怖、戦慄、無力感を伴う外傷的な出来事の後、1ヶ月以上にわたる「再体験」「回避/麻痺」「過覚醒」の3症状を主とする精神障害である。近年、治療に関しては、暴露法を中心とした心理療法の有効性が示されている。そこでは心理療法によるPTSDの神経生物学的基盤の回復の可能性が示唆されているが、PTSDの神経生物学的基盤自体が明らかでないため、その作用機序は未だ不明である。そこで本論文は、PTSDへの心理療法の作用機序解明に向けての第一歩として、PTSDの神経生物学的基盤を明らかにすることを目的としたものである。論文は、関連論文のレヴューによって研究課題を明らかにした第1章、健常者を対象とした2つのアナログ研究から成る第2章、PTSD患者を対象とした臨床研究である第3章、結論の第4章から構成されている。

第2章の研究I-Aでは、PTSDと密接に関連する不安志向性気質「損害回避」と遺伝子多型との関係を検討した。その結果、両者の間に有意な関連は見出されなかった。研究I-Aの結果と、著者が行った包括的なレヴューによって、「損害回避」は遺伝子多型よりは、脳の機能や形態によってより直接的な影響を受けていることが示唆された。

そこで、次に研究I-Bにおいて「損害回避」と脳の機能を反映する代表的な指標である脳糖代謝活動との関係を検討した。その結果、「損害回避」と前帯状皮質、内側前頭前皮質、および前頭眼窩皮質における糖代謝活動との間に有意な負の関連が見出された。また、著者が行った系統的レヴューにおいて上記脳領域の機能的活動は、「損害回避」を高く示すPTSD患者で減少していることも明らかにされた。したがって、内側前頭前皮質、前帯状皮質、および前頭眼窩皮質は、「損害回避」とともにPTSDにおいても、その神経生物学的基盤として重要な役割を果たしていることが示唆された。

そこで、第3章の研究IIでは、PTSD患者に脳の形態に変異が認められるかどうかを、上記脳領域に注目して検討した。その結果、前頭眼窩皮質において、脳の形態的変異、つまり灰白質体積がPTSD患者群では対照群と比較して有意に小さいことが見出された。また、前頭眼窩皮質の体積が小さいほど、外傷体験に対する再体験的反応が大きいことも見出された。健常者を対象とした近年の神経画像研究によって、前頭眼窩皮質の機能は、恐怖条件付けの消去学習および自伝的記憶の情動的再生に関与していることが徐々に明らかになってきている。したがって、上記結果は、PTSD患者における前頭眼窩皮質の形態的異常に関するファーストエビデンスを提示した点で特に意義あるものといえる。

本論文は、PTSDの精神病理において、前頭眼窩皮質がその神経生物学的基盤として重要な役割を果たしていることを実証的に示したものであり、PTSDに対する臨床心理学的介入の神経生物学的な作用機序の解明の端緒となる知見を提示したという点で、特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。