Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

野村晴夫 博士論文要旨(2006年)

自己語りの構造と機能に関する心理学的研究


近年、心理学領域においては、自己概念や自我同一性といった基本概念や心理療法といった方法を、物語(ナラティヴ)論の観点から再構成する試みが注目されている。この動向は、新たな観点として発展が期待される反面、依拠する立場によって論点が異なるといった理論的混乱もみられる。本論文は、このような混乱を整理すべく、心理学における物語論を幅広くレビューして問題点を明らかにした上で、臨床事例および高齢者を対象とした研究を通して自己語りの機能と構造についての枠組みを提示する。論文は、4部8章から成り、段階的に自己語りの機能と構造を明らかにする構成となっている。

第1部第1章で自己語りに関するレビューを行い、第2章で先行研究において概念使用の混乱、検証作業の立ち遅れ、心理学の知見との希薄な結びつきといった問題を指摘する。そして、語りの構造の観点から自己語りの機能を検討するという本論文の目的を示す。

第2部では臨床事例に基づき、自己語りの機能を例示し、語りの構造という観点を提案する。まず第3章において発達遅滞児である息子のことで来談した49歳女性が、臨床心理面接における自己語りを通して、息子を初めとする家族の混乱という不可解な事象を理解していく過程を詳述する。次に第4章では、臨床心理面接に関する語りの理論を概観した上で、経験の組織化という「自己語りの機能」が具現化される様相として、面接過程を解釈できることを示す。また、その語りの構造を5カテゴリーとして抽出することによって、語りの構造が自己語りの機能性を検討するのに有効な枠組みとなり得ることを示唆する。

高齢者の自己語りは、自らの人生を意味づける機能をもつ。そこで、第3部では、自己語りの機能と構造の関連性の検討を目的として、高齢者の生活史面接を取り上げる。第5章では、老年期の自己語りに関する先行研究を、老いの意味づけ、自我同一性、記憶、社会文化の観点からレビューし、その生涯発達的意義を明らかにする。次に第6章では、83歳女性の生活史面接を題材とし、老年期の自己語りの構造を分析する枠組みとして「一貫性」の概念を提示する。人生の転機に関する語りから、時間的、因果的、主題的、状況的の一貫性が語りの構造を把握する分析カテゴリーを見出すとともに、高齢者の語りの構造に基づき、人生を意味づける自己語りの機能が具現化される様相を推測する方途を示唆する。さらに第7章では、性格特性語を過去経験によって例証する課題を用いた面接法を、在宅健常高齢者30名に実施し、高齢者の語りと自我同一性との関連性を検討する。その結果、情報性と関連性の2次元で語りの構造的特質が自我同一性達成度によって異なることを明らかにし、語りの構造的特質が自我同一性の様態と関連することを見出す。

本論文は、語りの構造という観点による自己語りの機能への接近の有効性を質的研究法および量的研究法によって実証的に示したものであり、老年期における自己語りの機能を明確化し、自己語りの構造と機能を多面的に示した点で、特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。