入院児への教育的援助
近年の小児医療においては,治癒率の上昇から社会・学校への復帰を念頭においた治療体制が望まれるようになり,平成6年の文部省通知「病気療養児の教育について」を追い風に,入院児を対象とする学校教育導入が急速に進みつつある。同時に,“教師”の存在意義も,単なる“入院中でも勉強を教えてくれる存在”というだけではなく,“援助者”としても認識されるようになってきている。
では,“教師”として入院児童をどのように援助していくことが望ましいのだろうか。また,現状では実際どのような援助が提供されているのだろうか。病弱・身体虚弱教育そのものは歴史の浅いものではないにもかかわらず,プライバシーの問題もあってか,関連する先行研究は極めて少なく,教育的援助の指針となるような援助モデルも見当たらない。現場の教師たちは,「どう援助したらよいのかわからない」という迷いの中で,日々の教育的援助を展開している。本研究は,ある院内学級において収集されたフィールド・データの検討から,教育的援助のモデルを提示することを目的とするものである。
問題と目的(第1部:第1章-第2章)
第1章においては,病弱教育の制度的位置づけと歴史的変遷を整理することで,問題の背景を確認した。現在かかえる課題としては,1)実態に即した制度の整備,2)教育内容・方法の改善を目指した研究の充実,3)教員の専門性向上,4)多方面との連携の確保があげられている。これらは,実践上の課題であると同時に,研究が病弱教育領域にどのように貢献すべきかを示すものとも言える。第2章においては,先行研究の概観から本研究の目的を明示した。関連する研究は数少ないが,その稀少な先行研究も,健常児との比較による入院児のネガティブな側面の指摘や,入院児への教育機会の保障状況調査であることが多く,院内学級における教育実践の意味や機能を検討したものは見当たらない。そこで,教育の援助としての機能に着目し,院内学級において日常的に繰り広げられる教育の現実を見つめ,「どのような教育活動が展開しているのか」という現実のありようから教育実践の隠れた意味を問い直し,入院児への教育的援助モデルを生成することを本研究の目的とした。
入院児の心理と研究方法の再考(第2部:第3章-第4章)
第3章においては,教育の受け手である入院児の心理状態の理解をめざし,入院児の不安について検討した。養護学校教員・入院児への面接,及び入院児の作文の内容分析の結果に基づき全42項目(5段階評定)の「入院児の不安」尺度を作成し,病弱養護学校在籍中の入院児童・生徒163名(小学校4年~高校3年生:病種/筋ジス・腎疾患他)を対象に質問紙調査を行った。結果として,入院児の不安が,「将来への不安」「孤独感」「治療恐怖「入院生活不適応感」「取り残される焦り」の5つの下位不安から成り立っていることが見出され,個人要因の関連の分析から,男子より女子の方が「孤独感」が高く,「将来への不安」「入院生活不適応感」は高校生が中学生・小学生よりも高いことが見出された。またクラスター分析の結果得られた3つの不安の類型から,入院児の不安についての示唆を得ることができた。しかし,第3章の研究の課題として,質問紙の精錬のほかに,“通常学級とは異なる心理状態にある子どもたちに対して院内学級の教師たちはどのような援助を提供しているのだろうか”という新たな問題への取り組み,そして,病弱教育における研究方法再考の必要性が残った。そこで,続く第4章では,病弱教育研究における研究方法を再検討し,近年心理学においても注目を集めているエスノグラフィック・リサーチ(箕浦,1999)の有効性を主張した。
院内学級における教育的援助:院内学級のエスノグラフィー(第3部:第5章-第8章)
第3部は,あるひとつの院内学級をフィールドとするエスノグラフィック・リサーチの結果である。第5章において,フィールドの概要およびフィールドワークの詳細な手続きを述べ,データ収集および分析の手続きについて明記した。データは,計3年間にわたる参与観察,21名の教師対象のインフォーマルインタビュー及び半構造化面接および文書資料の収集を具体的方法として収集された。
第6章では,院内学級における教育がどのような特徴を有しているのかを検討した。分析は,Grounded Theory Approachに則って行われた。結果として,院内学級における教育が,学校教育としての基本構造をもちつつも,通常の教育の枠を超えた多様な援助実践の特徴を備えていることが見出された。従来は,他の障害児教育に比べ,教育としての目立った特徴を見出しにくいとされてきた院内学級における教育だが,何か一つのきわだった特徴を備えているというよりも,上述したような多様な援助実践の要素を複合的に備えていることがその特徴であることが確認された。その特徴要素を明らかにすることで,院内学級教師の専門性を捉える新しい視点を提示でき,同時に研修プログラムの構成等への示唆を得ることができた。
第7章においては,前章で見出されたような特徴を有する教育実践がどのような機能をもっているのかについて検討した。結果として,7つの教育実践カテゴリーを抽出し,さらに,「Z院内学級における教育活動は,入院児の生活世界において“関係性をつなぐ”役割を果たしているのではないか」との暫定仮説のもと,8つの<つなぎ>から成る<つなぎ援助>カテゴリーを生成した。この<つなぎ援助>は,子どもを囲む援助資源のサポート・ネットワーク形成を援助しているのではないかという仮説を構築し,モデル図に示した。
第8章では,第7章で得られた<つなぎ援助>モデルの枠組みを援用して,院内学級における援助のプロセスモデルを呈示した。“入院期間の見通し”を鍵概念として仮説検証的にデータを見直し,その結果,短期入院の場合と長期入院の場合で援助の重点が大きく異なり,さらに長期入院の場合には,入院当初,中期,退院時という時間的流れの中で援助のありようが変化することが明らかになった。また,入院期間の長短にかかわらず,地域の学校との<つなぎ>が院内学級の担うべき重要な<つなぎ>であることが示唆された。併せて,児童精神科に入院中の不登校児を対象とする院内学級の知見と比較し,本研究の知見の適用範囲についても考察した。こうした<つなぎ援助>プロセスをモデルとして提示することで,漠然と捉えられていた院内学級における教育的援助過程の理解が促されると同時に,実践を組み立てる際の参照枠として活用しうると考えられる。
総合考察:入院児の教育への提言(第4部:第9章)
第4部では,本論の全体を概観し,研究知見の意味を総合的に考察した上で,実践的提案を行い,本研究で得られた知見の意義と限界,今後の課題について検討した。
まず,従来の<つなぎ>にかかわる概念との共通点・相違点を検討することで,本研究で見出された<つなぎ>概念の意味を考察し,チーム援助や特別支援教育コーディネーターにかかわる援助理論の中での<つなぎ援助>の位置づけを確認した。また,病弱教育という固有の領域の中での<つなぎ援助>概念の有効性として,本論において見出された「教育活動を<つなぎ援助>と捉える視点」は,今まで振り返られることのなかった院内学級における教育実践を体系的に把握する為のひとつの概念的枠組みであること,これにより多様なシステムの機能がバラバラに交錯する院内学級という場における実践の理解が容易になり,教師自身も自らの実践の意味を確認することが可能になることを主張した。より実用的には,入院児に対する援助方針決定のひとつの枠組みとして利用可能であることを指摘し,2種類のアセスメント・シートを提案した。
本研究の意義としては,次の4点を確認した。1)入院児への教育の制度的・歴史的背景という一般にはほとんど知られていない情報を提供していること。2)本研究で見出された<つなぎ援助>モデルは,院内学級における教育的援助の新しい理論的解釈枠組みであり,実践の理解を深めることに貢献できること。また,より広くは,近年の子どもの心的エネルギー低下という現状を鑑み,エコロジカルな視点から子どもの援助資源を探し,子どもと援助資源や援助資源同士をつないでいくという<つなぎ援助>の原理は,院内学級のみならず一般学級の教師による子ども援助原理としての活用可能性も示唆されること。3) <つなぎ援助>の視点は,入院児への援助計画をたてる際のアセスメントの観点として実践的に活用可能であること。4)質的分析から得られたひとつのモデルを次の分析ステップで発展的に継承して新たな知見を提示しているという点において,稀少な質的心理学研究例であること。
最後に,今後の課題として,本研究で得られた知見はひとつのフィールドにおいて得られたものであり,知見の適用範囲には厳しい制限がある。知見の適用範囲を明確にするための他フィールドにおける事例研究の積み重ねが必要である。また,<つなぎ>アセスメントを用いた実践研究を現場との協働で行うことも大きな課題として残されている。