Shimoyama laboratory, Department. of Clinical Psychology, Graduate School of Education, The University of Tokyo, Japan

エッセイ「暗闇」

下山晴彦


先日、田舎の叔父が亡くなり、通夜に参列した。84歳であった。叔父は、小さい頃から優秀であったので、その地域では珍しく大学に進学した。しかし、学徒出陣で出征となり、幸い無事帰国したものの、その後に結核を患ったこともあり、ずっと田舎で農業を営みながら生活していた。50歳を過ぎた頃より、その地域の歴史や先祖の由来を調べ始め、それを縁起として冊子にまとめ、知人に配っていた。その冊子を読ませてもらいながら、老いを迎えて何をするのかを学ばせてもらっていた。

東京から車をとばして田舎に着いたのが、通夜の始まる直前の午後6時であった。10月で、しかも雨が降っていたので、既に一帯は闇に包まれていた。外灯がほとんどない山間の村落であるので車から降りると、足元がおぼつかなかった。地元の人が懐中電灯で誘導してくれたので、それに従って田圃の中の一本道を歩いて通夜が営まれる叔父の家に向った。そこで叔母や従兄妹と久し振りに再会した。子どもの頃一緒に山や川で遊んだ思い出が甦って来た。通夜が終わり、妹と一緒に車を止めてあった農道まで歩いた。歩きながら昔話をした。

私の家は、その叔父の村落よりもさらに山間部にあった。叔父の家の近くまでは、一日に4本しかないものの、バスが来ていた。叔父の家の近くが終点であった。私の家は、バス停でバスを降りてから、さらに1キロの山道を歩かなければならなかった。中学校では運動部に所属していたので、帰宅は最終バスで、バス停に着くのは夜の7時過ぎであった。そのため、日の長い夏季は除いて、いつも懐中電灯をもって学校に通っていた。月夜でなく、しかも懐中電灯を忘れた日など、バスを降りてまず暗闇に目を慣らすまで時間がかかった。そして、目が漆黒に慣れてきた時点で道を探すのである。

道には、雑草が生えていた。その草の間から、時々小さく光るものがあった。それは、猫かマムシの目であると聞いていた。それで、光るものがあるときには、様子を伺いつつ時機を見て一目散に駆け抜けるしかなかった。「そのときは怖かった」という話になったとき、妹は、さらに怖い体験をしたことがあると言った。猪に出会ったときと、それから川の向こう岸にある村落の墓地で人魂と思しき光が浮遊していたのを見たときも怖かったという。それは、先日亡くなった叔父の母親が亡くなった日の夜のことだった。その妹の話を聴いて「あのお婆さんは、近い親戚である我が家のお墓に挨拶に来たのではないか」という話を、家族でしたことを思い出した。

最近、「何故、自分は心理療法に関わるようになったのか」と考えることがある。どうもこのような暗闇の体験が関係しているようである。東京で生活していても、何故か暗闇にいると落ち着くからである。