博物館の歴史 |
1、古代から中世までの博物館
Museumの語源はMouseion=芸術と学問を司るミューズの神がみに捧げられた神殿に由来します。ギリシャ・ローマ時代には、貴族の邸宅や神殿に設けられた空間に、絵画や彫像、書物、異国からの戦利品などを収集し、展示されるようになります。特定の物品に独自の価値を認め、コレクションするようになったこと、美術品などを王侯貴族や国家、都市が公共の財産として保護するようになったこと、からこれが博物館の起源と考えられます。
中世になると、ルネサンスの文化が起こるが、その中で巨万の富によりフィレンツェを支配したメディチ家は多くの芸術家を保護し、そのコレクションは現在、フィレンツェのウフィツィ美術館などに残されています。
15世紀の活版印刷術、貿易での繁栄を基礎にした科学の発展、大航海時代の到来によるアジア・アフリカなどからもたらされた物品は王侯貴族だけに限らず、裕福な商人、学者など多くのコレクターを生むことになる。そしてこれらのコレクターによる物品の数々は陳列され、博物館の様式を整えていきました。
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2、近代の博物館
ヨーロッパの近代博物館の発展を考えるには、そのもととなるコレクションの存在を忘れることはできません。
世界で最も有名といえる大英博物館の場合を見てみましょう。
イギリス王室の侍医をつとめたハンス・スローン卿は動植物・鉱物の標本(8万点)や多くの蔵書を収集する熱心なコレクターでもありました。
彼の死後、資料は遺言により国家が管理することとなり、1753年大英博物館法が制定されました。
また、ルーブル美術館は、ルネサンス時代からフランス王室が積極的に芸術家を保護した結果残された作品が今のルーブル美術館のコレクションの基礎をなしています。
もうひとつ、近代博物館の発展のためになくてはならなかったものがあります。それは博覧会です。
1851年にロンドンで開催された万国博覧会をはじめとして、それ以降多くの博覧会が開催されるようになりますが、博覧会は博物館に大きく2つの影響を与えました。
まずひとつは博覧会のあと、国家規模の博物館が設置されたことです。万博で集められた多くの資料がその博物館の基礎資料となったのです。
もうひとつは博覧会で好評を博した展示方法が博物館にも導入されたことである。これにより博物館の有効な展示方法の研究も進むことになります。
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3、日本の博物館の発展
さて、最後に日本の博物館の発展について簡単に見て行きましょう。
日本において、博物館のようなコレクションをもつ施設は古くから存在していました。それは、寺社の宝物殿や絵馬堂などであり、最も有名なものに聖武天皇の日用品をおさめた東大寺の正倉院があります。近代になると、寺社の絵馬堂や宝物殿などが開帳に合わせて公開されるようになり、大変にぎわったといわれています。
寺社の宝物殿のほかにも日本にも古来からコレクションをする文化があり、古くは平安時代、貴族が工芸品を集め、その美しさや技巧を鑑賞したといわれています。
近世になると、薬草や化石・剥製などを集める本草学や物産学といわれる愛好者の団体ができ、庶民の間でも、自由に見学できる物産会などの催しが開かれるようになります。
そして、この物産学などは明治時代以降も発展し、博物学になります。
さて日本でも明治時代になると国家レベルの博物館が誕生してきます。
明治5年(1872年)に湯島聖堂に文部省による観覧場が設けられ、「文部省博物館」となります。
明治6年にはウイーン万博に出品するため、太政官内に博覧会事務局が設置され、文部省博物館なども併合され、名古屋の鯱、サンショウウオ、肖像画などあらゆる分野の資料が集められました。
博覧会も多く開催され、明治10年には上野で初めての内国勧業博覧会が開催され、明治40年には文部省美術展覧会(文展)が開催されました。
このような政府主導による博覧会の開催、収集・調査政策が現在の東京国立博物館、京都国立博物館、国立科学博物館の基礎となっていきました。
明治・大正時代の博物館は国家主導で設立されていきましたが、一般にはあまりその存在が理解されていませんでした。そうしたイメージが変化するのが、第2次世界大戦後のことです。
昭和26年(1951年)には博物館法が制定され、体系的に博物館が法体系のなかに位置づけられました。
1960年代になると経済の高度成長に支えられ、公立の博物館の設置が相次ぎます。また、1980年代終わりからもやはりバブル経済に支えられる形で、博物館の設置が進みました。この間、日本の博物館は私立博物館なども急激に増加し、現在に至っています。
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