朝読書

今、多くの学校にて朝の読書というものが実施されている。その実施状況を踏まえつつ、その効能というものを論議したい。

 

目次

 

1、「朝の読書」の実施状況

まずは統計上の数字から朝読書を分析してみよう。平成18年度62日現在における朝の読書推進協議会のデータを引用させていただく。

 

 

【校】

【%】

 

1)全国実施校数 

22,038

156.7

(内 訳)

小学校

14,151

62.2

 

中学校

6,374

58.2

 

高等学校

1,513

29.3

 

2)実施規模

全校一斉

19,535

88.6

 

学年実施

1,595

7.2

 

学級実施

808

3.7

 

授業実施

100

0.5

 

3)実施時間

5分間

204

0.9

 

10分間

11,564

52.5

 

15分間

7,595

34.5

 

20分間

2,092

9.5

 

その他

583

2.6

 

4)実施回数

毎 日

7,137

32.4

 

週4日

1,532

7.0

 

週3日

1,851

8.4

 

週2日

2,915

13.2

 

週1日

4,717

21.4

 

期間限定

1,967

8.9

 

不 明

1,919

8.7

 

5)読む本の対象は?

イ.書籍のみ

86.8

 

ロ.書籍と雑誌も認めている

3.5

 

ハ.書籍とマンガも認めている

6.5

 

ニ.書籍・雑誌・マンガを認めている

2.3

 

ホ.その他

0.3

 

ヘ.不明

0.6

 

6)感想文について

イ.書かせない

73.0

 

ロ.書かせることもある

24.1

 

ハ.定期的に書かせる

2.0

 

ニ.その他

0.2

 

ホ.不明

0.8

 

7)先生方の朝の読書の状況

イ.一緒に読んでいる

66.9

 

ロ.読んでいない

16.6

 

ハ.その他

16.0

 

ニ.不明

0.5

 

ちなみに最新のデータでは総実施校数が22236校、小学校では14262校、中学校では6430校、高校では1544校と微増しており、これからも朝読書の実施の流れは続いていく様に思われる。

 

2、「朝の読書」の特徴

データから言えることは小中学校にて絶大な普及率を誇っている点である。時間は10分程度で毎日実施、コミックに関しては認めず、先生も一緒に読書に参加することで雰囲気形成を促進しようとしている。これらは朝読書の先駆校である船橋学園女子高等学校のやり方を基本的にほぼそのまま受け継ぐものであるといえる。

 

 実施校の約30%が「感想文を書かせている」ことについて、朝の読書推進協議会事務局は「『朝の読書』は感想文を求めない自由さが子どもたちにすんなりと受け入れられた最大の要因。学校の事情もあると思うが、評価や競争が介在してくると子どもたちには苦痛となり、継続にも問題が出てくる。みんなでやる、毎日やる、好きな本でよい、ただ読むだけの4原則に準じた実践への配慮が大事」とし、今日の運動の広がりの背景については、「1995年に運動をスタ−トさせた時点では10校程度の実践であったが、3年後に500校に達した頃から急激に導入校数が伸び始めた。年間平均3,000校程度の増え方になったが、この急増した要因は、90年代後半から学校ではいじめや不登校、少年犯罪の増加や学級崩壊などが深刻になった世相が影響した」と分析している。さらに「1万校への到達には8年を要したが、その後の累計2万校に3年で達する勢いをみても、『朝の読書』がいかに学校教育に浸透したかが推し量れる。高校では大学受験などの事情で実施率は依然低迷しているが、徐々に導入校は増えている。特に義務教育課程全学校への普及は早い時期に実現するのでは」と推測している。4原則さえ守れば、全国一円どの学校でも一様の効果が上げられる、という強い自負心が伺える。

実際に、『朝の読書』が定着した学校では、「本を読まなかった子が読書好きになった」「読書をすることで子どもたちに落ち着きが出てきた」「読解力がついた」「語彙が豊かになった」「遅刻やいじめが少なくなった」「他人をおもいやる気持ちが出てきた」などの様々な効果が報告されている。多くの学校は朝読書をHRの前の時間を捻出(朝のHRの時間は削減)することで確保しているが、その結果遅刻自体の絶対数が減り、HRの事務連絡もスムーズに行えるというのは興味深い現象である。

 当然のことながら、朝読書が国語教育に与える可能性も高いものが期待される。活字文化に対する苦手意識を取り払うという効果だ。例えば平成17年度に学校評議会から出された、とある学校の図書館利用に関するデータを見ると面白いことがいえる。

 

平成15年度

平成16年度

平成17年度

総貸出数延べ

786

5665

3120

総入館者数延べ

2104

20702

10506

開館日数

204

190

109

1日平均貸出数

3.8

30

29

1日平均入館者数

10

109

95

(平成17年は1027日までのデータ)

 勿論、朝読書を導入したのは平成16年度からであり、朝読書が図書館を利用することの良いモチベーションになっていることが伺える。読書をすることが国語力を伸ばす事に直結する、などということは困難ではあるが、少なくとも文学的作品に対する親近感を持つ契機を与えてくれるものではあることに異論は無いはずだ。読解力や語彙力の向上を訴える人が多いがこれらは国語教育で主眼とされるものであり、その点で多分に国語教育への可能性を開かせるものだといえそうだ。

 

3、「朝の読書」の抱える問題点

しかしながら一方、「学校図書館には読む本が少なく、ある本は古いものばかりで子どもたちのニ−ズに対応できない」「本が少ないから継続するのが困難」という環境面の問題や、「『朝の読書』は子どもたちだけの実践で、教師はその時間に会議をしている」学校が25%超存在する事も重要だろう。これらに対し「学校図書館の蔵書不足はかなり深刻な問題。その不足分を補填する学校図書館図書整備5カ年計画も、予算化する自治体は毎年25%程度と、学校の図書環境は一向に改善されていない。NHKの調査によると、小学校、中学校において国の規定の蔵書数を満たす図書館を持っている学校数は調査対象の学校の内のそれぞれ、38%、32%に低迷している。国からは毎年130億円ほど交付金が朝読書のために交付されているのだが、別の目的に投資している学校が多い。1校平均で朝読書に対して捻出された資金を比較した場合、最多の山梨と最小の青森とで比較した場合、3.6倍も開いたという試算が出ている。地域ごとの事情もあるだろうが、朝読書にかける意気込みが地域ごとに違っているというのも問題点として挙げられるポイントである。

もう一つの問題は、先生方も教室で一緒に読むことが鉄則で、そうしないと継続と成果に結びつかず、むしろ形骸化する可能性が高い」と、今後の運動方針の課題を示している。

また担任教師の負担増加についての問題は他にも考えられる。担任教師の負担として他に考えられるのは、書物を持ってこない生徒に対する指導であろう。この点については、あらかじめ、担任教師が書物を用意しておくことで、解決できよう。その書物の提供を、図書課と国語科で行うとしてはどうだろうか。書物と言っても、新刊のハードバックである必要は全くなく、文庫の古書でも構わないために、紛失などの管理の問題もそう神経質になる必要はないと思われる。要するに学級文庫の導入だ。現に始めに導入した学校ではそれを導入しており、その結果として全員が取り組むようになっていたという。

また、生徒が読まないのではないか、私語に走ってしまうのではないかという根本的な不安がある。しかしながらあくまで読ませる「機会を与える」だけでよいのか、確認作業をする必要はないかという考え方も成り立つ。

結論から言えば、現行の考えは確認する必要はなく、読みっぱなしでよいとなっている。読書によって培われる知識の蓄積、判断力の向上などは、確認しづらいものである。しかしながら、読書を継続することで、確実に知識などは向上してゆくことは、ほぼ確実だと思われる。読書習慣を形勢することだけでよいのではないかと考える。むしろ、感想文や小論文の提出や、競争原理を取り入れた冊数競争などは、読書に対する抵抗心を助長するものだとして、排除する方向で考えてゆきたい。

指導上の問題は大体解決が可能なのだが、最大のネックになるのは時間面だ。昼の時間がそもそも望ましいとはされているが、それが出来ず窮余の策として朝に設けられた読書の時間だが、それでも問題は起こる。そもそもこの時間はHRの時間を削減して設けられたものであるため、HRで伝えられるべき伝達情報が多岐にわたる場合、伝達が不十分になるケースが散見される。そこでの対応はまちまちだが、往々にして朝読書の時間を無くしたり、減らしたりするケースが見受けられる。そうなると意味を持たなくなってしまう。朝読書は習慣づけることが一つの重要事項だからである。このポイントはまだまだ議論を要するところである。

 

4、「朝の読書」のこれからと国語教育への可能性

 この様に、朝読書は指導面や環境面などで問題を内包しており、運営がなかなか難しいという問題がある。全国規模で実施されてからまだ日が浅く、その効用がいかほどのものなのか結論付けることは難しく、まだ議論を要すると言わざるを得ない。「朝の短時間で効果が挙がるのか」という疑念に対して「継続は力なり」と反論するのも机上の空論の感が強く、たまたま先駆けて実施した学校で成功しただけなのでは、という疑念もまだ残ってしまう(他にも色々成功例は紹介されてはいるが、失敗例を叫ぶ学校もいないだろうし)。

また、「読書」というものは、国語における読解とは似て非なるものである。特に重要なのは「読書」は往々にして、文章に書かれたものをそのまま受け入れてしまう、という問題である。読解においては書かれたものに対して懐疑的に思考する「批判的思考力」というのがしばしばポイントになる。これらは自分ひとりでは容易には養成できるものではなく、教師などとの文章論議の中で初めて可能になるものである。この辺りに国語教育における、朝読書の限界性も垣間見える感じはする。

しかしながら、朝読書の目的はあくまで国語力の要請という局所的な視野に立つものではない、ということにここでは注目する必要がある。語彙力や読解力の向上など、国語力で目指される力の要請に寄与しているのも事実だが、それだけが目的とされているわけではない。

部活動が体育科の問題のみではないように、読書も、国語科、図書課のみの問題ではない。知育、徳育、体育といわれるが、読書という行為は、高度にさまざまな教科に連関し、また、学生生活において大きな意味合いを持ちうるのだ。

実際、朝読書の成功談において紹介される声として学校生活の改善が改善した、というものが多く挙がる。「活字に抵抗無く接するようになった」というのも多いが、生活の改善を訴えるものも多い。近年、国語力というのを生活の基盤とする考えが広まりつつあるが、その流れに沿うものだと言えよう。問題点となるものも運営を巡る混乱の要素が多く、時間を経れば解決可能なものが多いため、朝読書がさらに注目されるようになれば運営側の意識もさらに好転するように思われる。

読書は自分との対話である。現在,まだ充分な取り組みができていない生徒も,今後継続して取り組みを続ける中で,読書を通した自分との対話を経験するだろう。それは生徒の生活のあらゆる場面に様々な有益な影響を及ぼすはずである。その意味でも,今後の継続した粘り強い取り組みが必要である。

この様に生活の改善など朝読書に期待される要素は大きく、まさしく「新しい国語教育のあり方」に指針を示すものだと言えよう。しかしながら、国語力の養成を朝読書すべてに押し付けることは無理だといわざるを得ない。

 

参考

朝の読書推進協議会公式ホームページhttp://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0032.html

「朝の読書」が学校を変える[立ち読みコーナー]http://www.koubunken.co.jp/0275/0265sr.html

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