現在の日本の道徳教育 |
§0 はじめに §1 学習指導要領に見る日本の道徳教育 §2 道徳教育の現状 §3 道徳教育副教材「心のノート」について |
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§0 はじめにいま、青少年の社会性の低下が声高に叫ばれ、そしてその対策として学校の道徳教育に対する関心、そして期待が高まっている。現在の道徳教育は何を目指し、どのように進められているのだろうか?また、それに問題は無いのだろうか?学習指導要領や、道徳教育の精神を象徴的に示しているといえる副読本、「心のノート」とそれをとりまく問題に触れながら考察したい。 |
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§1 学習指導要領に見る日本の道徳教育1 目標0) 道徳教育の基本方針文部科学省は小・中学校の指導要領(平成10年12月14日)、第1章総則第1の2及び第3章「道徳」において、道徳教育について以下のように定めている。
1) 1) 道徳の時間の位置づけ 道徳の時間は、教科としては取り扱わず、教科外の領域と考える。 2) 道徳の時間の年間授業数 小学校第1学年は34単位時間、第2学年から中学校までは35単位時間。(*1単位時間は 小学校45分、中学校50分。) 2 内容
3 指導方法の作成と内容の取り扱い
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§2 道徳教育の現状文部科学省の調査結果と評価 (平成15年度 道徳教育推進状況調査の結果http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/11/04110503.htmより) ⇒《概要》 ・学校側の道徳教育に対する姿勢は概ね満足できるものである。 ・生徒の多くが満足していると答えた学校が5年前より増えている(3割→4割)。 ・保護者や地域の協力はまだ得られていない。(3,4割程度)。 ・教材としては心のノートや映像などが使われている。 ・現在の道徳教育を行う中、多くの生徒が道徳的に満足できる状態にある。 ・体験学習も多くの学校で行われている。 |
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§3 道徳教育副教材「心のノート」について1 心のノートとは?文部科学省が2002年4月から、国公立・私立を問わず全ての小・中学生に、道徳の副教材として、一冊のノートを配布した。小学校低・中・高学年用と中学生用に4種類あり、パステル調の色合いで写真や絵を用いて、非常に見やすく興味を持ちやすいつくりになっていて、全体に道徳的な文章がちりばめられている。また、この副読本が、「ノート」と称されているように、冒頭の「この本は、あなたがつくる、あなた自身の心の記録です。自分の心と語り合うかけ橋となるこのノートに、あなただけの名前をつけましょう。」という文をはじめとして、随所に生徒が自分自身のことを書き込む欄が作られ、能動的に取り組めるようにできている。内容的には、4章で構成されており、1章ごとに、学習指導要領に書き込まれた4つの柱、「自分自身に関すること」「他の人とのかかわりに関すること」「自然や崇高なものとのかかわりに関すること」「集団や社会とのかかわりに関すること」について触れられている。 中学生用を使って具体的に見ていくと、1章では、「自分を見つめ伸ばして」として、健全な心身と向上心を持ち、自律し、努力のできる人間になるよう語りかけている。 2章では、「思いやる心を」として、思いやりを持ち礼儀をわきまえ、友情を育み、お互いに認め合っていくよう教えている。3章は「この地球に生まれて」として、自然、命と大切さを伝えている。そして4章では、「社会に生きる一員として」として、集団や社会の中で決まりを守り、人のために生き、家族、故郷、日本の文化を大切にするよう諭している。 (参照:心のノート(中学生):http://cebc.jp/data/education/gov/jp/konote/cyu/) 2 文部科学省による趣旨
(出典:文部科学省初等中等教育局長が各都道府県教育委員会教育長にあてた文書 http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2002.6.22/monbushou.html) 3 「心のノート」の問題点文部科学省は7億3000万円の予算を割きこの「心のノート」を作成し、国公立・私立を問わず全国一律の小中学生に配布した。国がこのようなことするのは戦後はじめてのことであり、その採用方法や内容に対して様々な批判があるのも事実である。著者名や発行元の連絡先もなく「文部科学省」と書かれているだけで、教科書検定も経て自治体で採択するという、教科書の原則を踏襲せずに直接配布した。このような配布の仕方から、「国定教科書」に当たるのではないかといわれている。また、「副読本」としているのにもかかわらず、ノートを使用して授業を行うような趣旨の指導書を各教育委員会に送っている上に、使用状況を調べており、強制であるかのような印象を与えている。 また、内容については、一定の価値観を押し付けているのではないか、ノートというかたちで内心を露にするよう促すのは自由の侵害なのではないかと言う意見が出ている。現在は、教育が心に偏重しているが、心の教育など可能なのか、教師はどこまで踏み込んでよいものかという教育現場の戸惑いも見られる。さらに、最も多くのページが割かれている4章では、集団意識の延長として郷土を愛する心についても触れられており、これが、愛国心の教育つながるのではないかという批判も、一部から出ている。 更に道徳教育全てに関わる問題であるが、教育現場を離れた社会は題目のような理想的世界が広がっているわけではなく、大きなものでは戦争や環境破壊、身近なところでもさまざまな格差や不平等がまかり通っている中で、ノートに書かれた内容がどれだけ生徒の心に伝わるのかという疑問も生じる。 総じて、その効果如何以前に「心のノート」という方法そのものに議論の余地がありそうである。 |
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