参 考 文 献



本文で紹介した文献

浅沼茂 「『学力』はほんとうに下がったか?−国際比較調査から」 『世界』 2000年5月号 岩波書店

初期の「学力低下」論に対して、「学力低下」論者が根拠としているデータにはサンプリングや解釈の問題があり、「学力低下」を証明する客観的な証拠はないと反論しています。そして、総合的学習の効果を具体例から示し、総合的学習が「学力低下」論によって否定されることを危惧しています。

市川伸一 『学力低下論争』 ちくま新書 2002

学力低下論争の各論者の主張をその背景も含めて紹介し、論争の構造を明らかにしています。また、知識の役割に重きを置く一方で学習スキルの習得や知識を実践に生かすことを重視し、著者独自の立場から「『ゆとり』より『みのり』ある教育」を提唱しています。

大野晋・上野健爾 『学力があぶない』 岩波新書 2001

新学習指導要領実施の危険性、学力低下の実情、いま教師や親がなしうることを平易な言葉で語っています。近年の学生・生徒の基礎学力の低下は、授業時間や教える内容を削減する文部省の「ゆとりの教育」政策が原因であると述べています。

岡部常治・戸瀬信之・西村和雄(編著) 『分数ができない大学生−21世紀の日本が危ない』 東洋経済新報社 1999

独自の学力調査に基づく具体的なデータから「大学生の計算力が低い」としています。そして、大学生の学力低下をもたらしたのは少数科目入試であり、「数学の勉強時間、練習量を多くすることによってしか解決しない」と主張しています。始めて学力低下を実証したものとして話題になりました。

加藤幸次・高浦勝義(編著) 『学力低下論批判』 黎明書房 2001

「学力低下を示す正確なデータはない」とした上で、国際調査などの具体的なデータを示しながら「学力は下がっていない」と主張し、さらに一人一人に学力をつける方法論も提示して、安易な学力低下論を批判しています。

苅谷剛彦 『教育改革の幻想』 ちくま新書 2002

「新しい学力観」にひそむ「子ども中心主義」に疑問を呈し、現在の教育方針は階層間格差の拡大をもたらすとして、具体的なデータや引用を多数用いながら、教育改革の仕切り直しを提言しています。

菊地栄治 『ホリスティックな教育改革の実践と構造に関する総合的研究(中間報告集・資料集)』 2003年3月 日本学術振興会科学研究費 平成13-15年度 基盤研究B(2) 研究課題番号13410091


くもん子ども研究所 『からざレポート2002 vol.2 学ぶ意欲』


小堀桂一郎(編著) 『「ゆとり教育」が国を滅ぼす』 小学館 2002

教科別に各専門家が学習内容の変容を検証しています。編著者は、新学習指導要領に基づく「ゆとり教育」の実態は「ゆるみ教育」であるとして、子どもを怠惰へと誘惑し、出る杭を打とうとする歪んだ“平等主義”が根底に潜んでいると批判しています。

佐藤学 『「学び」から逃走する子どもたち』 岩波ブックレット 2000

具体的なデータや現場の状況の報告に基づいて、「学力低下」問題で問われているのは子どもの学習意欲を支えていた社会そのものの変容だとしています。子どもが生きている現実を直視する必要を訴え、教育内容の質の改善および学びの意味と魅力の復権が必要であると主張しています。

「中央公論」 2000年8月号


西村和雄(編)『ゆとりを奪った「ゆとり教育」』 日本経済新聞社 2001

ゆとり教育を多角的に検証した上で、ゆとり教育は勉強を否定する風潮を生み出し、教師のレベルも下げ、子どもから基礎学力を奪ったとして、詰め込み教育への批判に反論しています。

西村和雄(編著) 『学力低下と新指導要領』 岩波ブックレット 2001

2000年3月に、インターネットによる「新指導要領の実施中止を求める署名運動」が始まりました。本書は、この署名運動の代表幹事5人が、新学習指導要領とその危険性について解説した『週刊教育PRO』の連載をもとに編集し直し、加筆したものです。

無藤隆(編著) 『「学力低下論」への挑戦』 ぎょうせい 2002

「新教育課程での学校・家庭・地域の在り方を探る」という副題のとおり、学力を広くとらえ、家庭・地域・学校が協力して子どもを教育するという立場から学力の向上を論じています。

森口朗 『偏差値は子どもを救う』 草思社 1999

「なんでも平等主義」による画一的授業と偏差値追放・到達度評価導入の結果、公立校のレベルが低下し落ちこぼれが増えているとして、偏差値の必要性と活用法ついて独自の主張をしています。

和田秀樹 『学力崩壊−「ゆとり教育」が子どもをダメにする』 PHP研究所 1999

受験勉強に関する多くの著書を持つ著者が、精神分析の立場から、少子化と「ゆとり学習」で日本の学生はますます勉強しなくなるとして、受験勉強の意義を説いています。