[大江戸隠密捜査網] 久場川淳(20034月〜5月連載,全6回)

 


 

(1)

花の大江戸、皐月の初頭。寒くなく暑くもない柔らかな風薫る宵。小唄のおさらいを終え、晩酌の仕度にとりかかる、おるみのもとに、実家の豆腐屋「石田屋」の手代源助が書状を手に飛び込んできた。「お嬢様一大事です」。どこにでもいる町娘の表情を引き締め書状を一読、源助に鋭い視線を向けたおるみは「ゲン、事件よ、いそがしくなるから」と書状の中味を説明した。書状は西国の伝書鳩屋(実は隠密)タキ彦から江戸の隠密同心・サキ彦を通じて送られた高速鳩通信文。西国の悪徳商人、飛脚屋「藤田屋」和兵衛が国籍不詳の酒商人ニャロメィ・チンと共謀した密貿易が発覚、その証拠を隠滅せんと奉行の暗殺をたくらんでいるという内容だった。しかも、藤田屋和兵衛はすでに、凄腕の刺客を送っているとのことである。

江戸の大店「石田屋」の娘おるみは仮の姿で、実は江戸の治安を裏で支える隠密剣士・疾風のおるみが正体。年齢不詳だがその瞬発力、口撃力、すばしっこさが忍者業界では一目も二目もおかれている。「ハジ〜!」とおるみが庭の闇の中に呼びかけると、「ここに」とがっちりした体格の男が現われた。ぶっとびハジ坊・・またの名を「平ハジ」、平家の末裔で、源氏の末裔である手代源助とは中がわるい。「ハジ、手はず通り皆を集めて」。「合点!」あっという間に闇に消えた。「さぁ、私達も出発だ」と源助に声をかけると、「お嬢様、そろそろ8時半ですので入浴の時間かと・・」その言葉が終わらないうちに、「あたしは留美かおるか!」と閃光とともにまわし蹴りが源助の腹に、源助の体は五間ほどふっとんだ。

 

そのころ、江戸の町を小走りで駆け抜ける目の鋭い3人組の姿がみられた。先頭を走るのは怪盗黒十字の首領大マダラの直次、冷酷無比な時速150キロの西洋小刀投げの名手。次に不思議な風呂敷包みを抱えている地獄の博識始末人ノブ蔵。後ろから追っているのは美形の後家殺しの久助、農具と楽器を改造した武器を背負っている。藤田屋和兵衛にやとわれた殺し屋集団。目指すは奉行屋敷だ。

 

さて、藤田屋一味の標的となる南風奉行・本郷赤門の守朝和は小石川の屋敷の居室で抜いた鼻毛を机に丁寧に並べていた。「これで5万本目か」と怪しげな笑いを浮かべ、確率と統計について思案中であった。己の身に迫る危機など知る由もなかった。

 


 

(2)

すべては闇の中で始まった。黒十字大マダラ直次ら最強の刺客三人組が白山通りの坂に差しかかったとき、「ちょっと待った!」博識始末人ノブ蔵が立ち止まり、なにやら辺りを探り始めた。「ここは昔、仲間と忍者修行で18日かけて諸国を旅したときの旅籠のあった場所だ」と得意の検証を始めた。ノブ蔵はこれで長年の確執相手、筆頭与力・フキ左衛門の鼻をあかせると、調べ始めると、突然「シュッ」と直次の西洋小刀が闇の向こうへ放たれた。的は外れたが、ムササビのように木から木、屋根から屋根へと飛び移る黒い影があった。偵察のぶっ飛びハジ坊だ。「赤坂の見附からつけられていた。」と舌打ちする直次。三人はそれぞれの武器を紐解き、臨戦態勢に入った。しばらく進むと殺気が満ちあふれる小さな森に入り、三人は武器を抜き放ち、すり足で敵の出現をまった。

 

 闇夜だった。おるみと源助は奉行本郷赤門の守屋敷近くの森でぶっ飛びハジ坊の帰りをまっていた。黒の鎖帷子と黒頭巾に身を固めた二人は、これまで数々の闇の難事件に関わってきたが、今日ほど恐ろしい敵を迎えたことはない。しばらくしてハジ坊が戻り、敵情報告を得た。それによると、首領はやせた冷酷そうな男、次に地獄から這い上がったような形相の男、三番目に、ちょっと渋いいい男の三人組だということだ。おるみは三番目の男の話に一瞬表情を変えたが、すぐにもとの冷静な態度に戻り、戦術を思案した。

 

 黒十字三人組が森に進むと、暗闇のなかから黒装束の三つの影が現われた。闇の中から「お待ち!これから先一歩も進めないからね。悪党ども」、メゾソプラノの声が響いた。黒十字三人組はそれぞれ打ち合わせどおりの「3対3」のフォーメーションに散って、戦闘に備えた。これまでで何百人も血祭りにあげている地獄の軍団。相手に不足はない。

 


 

(3)

 壮絶であった。闘いは双方の手裏剣と小刀、礫の応酬で始まった。ぶっ飛びハジ坊の手裏剣の雨を大マダラ直次はその柔軟な体でかわし、蝶のように舞いながら懐から出した西洋小刀セットを正確に、しかも速いピッチで射返した。タッタッタッ…たちまちハジ坊は木に貼り付けられ、身動きがとれなくなった。

 長脇差を逆手にかまえた地獄の始末人ノブ蔵と、小太刀の名手源助の死闘は漆黒の闇の中で繰りひろげられ、時折白刃からこぼれる火花と鋭い金属音だけが響きわたり、果てしなく続いている。

 一方、疾風のおるみは、荻(ウージ)刈りのカマで武装した後家ごろし久助を得意の蜘蛛の巣状の西洋鋼琴(ピアノ)の線でからめて追い詰めていた。しかし窮鼠猫を噛む、久助は隠し持っていた四角い物体を数個取り出すと、おるみに投げつけた。「あぁ」悲鳴をあげたのはおるみ。「ずぼらな私の弱みにつけこんでぇ…」その物体は弁当箱であった。おるみは弁当箱に弱い。その理由は不明だ。形勢逆転、久助は苦しむおるみに、更に弁当箱を浴びせながら、西洋三味線の太い弦を巻きつけ絞めにかかった。ニタニタと笑いを浮かべて。…・危うしおるみ!

 そのときであった。闇の中から現われたのは大きな影。「てめェ、いつからマジになったんのんじゃ」怪しげな訛りの意味不明なことばを叫びながら切り込んできたのは、備州岡山の素浪人・桃太郎吉武であった。身長178センチの大男で177センチの久助より1センチ高い。(忍の業界では1センチの差は大関と序の口ぐらいの差だ)たちまち円月殺法、燕返し、真空切りで弁当箱を叩き割り、久助を追い詰めた、久助はたまらず、退散。「ヨシタケ、助かった」おるみと吉武は再会を喜ぶ間もなく、次の敵と対峙しなくてはならない。

 次に向かってきたのは源助との戦いにかろうじて決着をつけた、始末人ノブ蔵だ。二人の前に立ちはだかったノブ蔵は大胆不敵な笑みをうかべ、おもむろにくだんの風呂敷包みに手を入れた。

 

 …・非情な死闘はまだまだ続く。

 


 

(4)

草木もねむる丑みつ時、八百八町が静寂に包まれる春の夜。ここ小石川の森では凄まじい闘争が続いていた。

 黒十字三人組の二番手に登場の地獄の始末人・博識ノブ蔵は、疾風のおるみと桃太郎吉武に向かうと、やおら手にした風呂敷包みから手垢にまみれた古い書を取り出した。「貴様らこれがわかるかぁ」。地の底から這うような冷たい声に、二人は思わず身を引いた。それをみてノブ蔵は畳み込むように、矢継ぎ早に「問いかけ」を繰り出した。その質問は、身辺雑記、二十年ぐらい前の出来事や音曲、芝居などの、どうでもいい問題だけだ。向学心旺盛な吉武、すぐに乗りやすいおるみは、問いに応えているうちに深みにはまってしまった。体が凍結して動かなくなったのだ。これこそノブ蔵が長年かけて編み出し、得意とする恐るべき忍法「‘六十年代」だ。

 

(脚注2:これは、たとえば些細なことを、どうしても思い出せなくて=喉のそこまできているんだけど…と、イライラしたり、一晩中悶々としたなどの経験が読者の皆さんにもおありでしょう。その状態が深くなって二人はフリーズしちゃったのです)

 

 「あぁ、思い出せない…」と頭を抱えるおるみ、「うぅぅ・・リセット、プログラム強制終了、CTRALTDELETEキィーを…」意味不明な言葉を発して泡を吹く吉武に、ノブ蔵は残忍な薄笑いを浮かべて、ゆっくりと二人の始末にとりかかった。

 そのとき5メートル10センチの木の上を、竹竿をテコに飛び越えてきた人影があった。「待たれよ」と着地したのは、小柄ながらも全身スプリングのような筋肉で覆われた武士だ。やっと登場した、日立の国の剣術指南、中原ト伝だ。突然の闖入にノブ蔵は、驚いたが、すぐにト伝に忍法を施した。「こんげなもん、拙者に通用せんだっぺー」・・ト伝には全く効かなかい。「オィ、今日は木曜日だぜ、オら、オら!」と、ト伝は懐から硬式の西洋手毬を取り出し、ゆっくりと振りかぶった。この忍術「‘六十年代」に最大の自信をもっていたノブ蔵はあせった。ノブ蔵がうかつだったのは、この術は酒気を帯びた人間には効かないことだ。中原ト伝は道場の休みの木曜日は早朝から飲んでいたのだ。

 ト伝は手毬を150キロのスピードでノブ蔵めがけて投げ込んだ。1球目、2球目とノブ蔵は持参した厚手の皮手袋で捕球したが、全身が痺れるほどの衝撃を受けた。しかし運命の3球目、ど真ん中だが手前でストンと落ちる変化球。ノブ蔵の前でワンバウンドした硬式毬はノブ蔵の「下のほう」を直撃。「ギャオーッ」白目を剥いてのけぞるノブ蔵。それを見たおるみ、顔をしかめ思わず「痛そお〜。」と敵ながら同情の念を禁じえなかった。

 

 これで2人を失った黒十字組、残るはエースオオゴマダラ直次。闇の中で子分二人の戦いを眺めていた直次の鋭い目が光った。

 

最大の山場をむかえた闘いはもう少し続く。また掲示板を騒然とさせる意外な展開が…・

 


 

(5)

地獄の刺客軍団・黒十字三人組の首領直次は武士の出。武芸全般にたけ蘭学に通じている。忍びの総元締め柳生一族の絶世の美女みなみ姫と恋仲に陥ち忍者業界に入ったが、たちまち頭角をあらわした。目前の敵、中原ト伝孝和は武芸修業時代の知己であり、お互い相手の力は熟知している。直次は闇の中からノブ蔵の敗北をじっと観察していた。そして隙のない、この史上最強の敵の攻略法に、ある秘策がひらめいた。

 

 血の決闘は始まった。直次は右手に西洋小刀、左に鉗子、中原ト伝は右手にグラインダー、左にやっとこの武器を構えた。凄まじい戦闘であった。ト伝が鋭くバッシ、バッシ、抜歯、と打ち込むと、直次は柔軟に交わしながらバッシ、バッシ、抜糸と応酬、硬と軟、シャープとフレキシブル・・両者相譲らず、超高速の動きに、観ているものには何が起こっているのか分からない。

 突然、直次が2メートル8センチの木立をオーバーロールで飛び越えた。ト伝は追ってベリーロールで飛び越えた。直次はその瞬間を逃さなかった。ベリーロールの頂点で体をはすに横たえたとき、斜め後方にに針の穴ほどの「隙」ができる。直次はすかさず矢のように西洋小刀を放った。小刀はト伝の右腕を見事貫通。「ウッ」低いうめき声をあげたト伝、黄金の右腕はもう使えない。しかし態勢を戻したト伝、懐から大き目の西洋毬を取り出して足元に据えた。それを見た直次、恐怖にかられた。「炎の襲屠だ」武芸全般免許皆伝の直次だが、ト伝が西洋蹴毬の天才であったことをすっかり忘れていた。冷たく据わった目を目標にさだめ、ト伝の右足から雷のような炎球が放たれた。「これまで」直次は覚悟を決め目を閉じた。

 そのとき、なんと横から大きな物体が現われ、炎の球を弾き返した。「なんだこれは!」

それは、大柄な男だった。「ふっふっふっ・・」「ナカ、長崎国民武芸大会で大活躍した鉄のキーパーの俺をわすれたか」…・髭の肥満体、悪の黒幕・藤田屋和兵衛の残忍な顔が現われた。この男にはどんな球も通用しない。中原ト伝は戦意を喪失した。

 

 しかし闘いはこれでは決着しない。これまで勝負を静観していた、おるみの登場だ。「やい、悪党藤田屋、なにが鉄のキーパーだ、お前は只のキーマーじゃろうが」となぎなたで和兵衛の毛脛をしたたか払い、吹っ飛ばした。そして返すスイングで「直次バカモンッ、ふざけやがって、ぴあの霜を教えたろうかぃ!」と直次を払い飛ばした。そのおるみの凄まじい威勢を見た中原ト伝、味方であることを忘れ、逃げ出した。

おるみ強し。が、闘いはまだ終わらない。悪党を一掃して落ち着いたと思われたとき、闇の中から大江戸八百八町の夢を破る銃声が一発「バギューん」、「えぶりぼでぃ、ふりーず、ぷりーず」訳のわからん言葉とともにあらわれたのは、拳銃コルト45リボルバーを携えた国籍不明の怪人、ニャロメィ・チン。「あっ、きったねぇ、大量破壊兵器を使いやがって」・・その言葉を無視してニャロメは「さあ、これでこのストーリーも終わりね」と笑い声をあげた。そのとき「バァーんキューん」と閃光とともにニャロメィのコルトが弾き飛ばされた。遠くの土手のむこうからウインチェスター73を構えた夜目にもわかる透き通る白い肌の美女が現われた。謎の美女の出現…・

 


 

(6)最終回

謎の女の一発の銃撃が、長い壮絶な闘争の終わりをつげた。手負いの悪党・藤田屋和兵衛ら一味は一斉に逃亡した。上野の山の稜線からは薄い光線が洩れはじめた。そして銃を手に佇む女のたおやかなシルエットが浮かんだ。遠目にも美しい顔だ。「あっ、あれはおぺこ・・」おるみが叫んだ。そう隅田川沿いの絵草子版元「不二家」の娘おぺこである。(絵暦アリガトね・・お礼です)この遠目美人、本名をおゆみといい、やはり隠密仲間である。おるみの周りに長く苦しい夜を戦った隠密仲間が集まったころには、すっかり明るくなっていた。

 

江戸の朝は早い。路地裏にしじみ売りなどの物売りの声が聞こえる頃には、人々の暮らしは活気づく。神田橋ちかくの小さな家でも、いつものように甲斐甲斐しく朝餉の仕度にかかっているおるみの姿がみられた。

 

一方、品川宿では傷つき、互いに支えあいながら重い足取りで西に向かう藤田屋和兵衛や直次ら一行の惨めな姿がみられた。一番あとから付いているのはノブ蔵。こころなしか両足が開き加減で、辛そうであった。しかし一行の中に後家ごろし久助の姿は見つけることはできなかった。

 

さて、ここは小石川、南風奉行本郷赤門の守朝和の屋敷。奉行朝和は、妻のお里(特別出演)の入れた朝のお茶をすすっていた。庭園の木々の間から抜けるような五月晴れを見上げ「本日も江戸は平和じゃ」とさわやかな朝のひとときを楽しんでいた。そして愛猫タマのノミとりをせんと、縁側のタマの名をよんだ。タマは朝和の顔をみるや脱兎のごとく逃げ出した。

 昨夜の暗殺未遂事件は闇から闇に葬られ、奉行本人に知らされることはなかった。

 

この当時、江戸はすでに世界一の巨大都市であった。しかし諸国の大都市と比べて凶悪犯罪の発生率は低かった。それは、おるみたち隠密団の水面下の努力によるものであったという。

疾風のおるみとその仲間たちについての記録や文書は現在のところ発見されていない。

 

(完)