記念誌についての議論(2003.12.24〜2004.1.23)
【65】面白い本 投稿者:久77371 投稿日: 1月23日(金)12時52分43秒
最近、書店にいくと普段気にしなかった本の装丁とか紙質、頁数、価格、印刷や出版社をチェックしている。(改めて感心しているのはペコさんが仕事した本、すごいセンス!)本を出す(売る)サイドから眺めたら、「売れる本」づくりは非常に難しい。まず服装(デザイン)、引きつけるタイトル、・・・パラパラめくって購買意欲を喚起する・・価格・・。
「人はどんな文章がすきなのか」を考えてみた。新聞の場合読まれるのは、まず訃報、荼毘(黒枠)広告、人事異動やその関連記事、写真入インタビュー記事だ(僕個人の考え)。インタビュー記事の場合、忙しくても文末の肩書き略歴だけは読まれる。つまりこれらは、他人の生き様を書いた文なんだ。
20年前、アメリカで日本語の文字がまったくない環境にあったとき、唯一台湾の新聞が漢字で(中国の新聞は略した新漢字で読めない)、なんとか読めた。この新聞が、とても面白かった。黒枠広告(まったくウチナーと同じ)以外に○月○日、XX家・長男○○(・歳)とYY家・次女○○(・歳)が・・・で挙式をあげました。謹んでお知らせします。や、子供が生まれた、とか大学に合格したとかの広告が数ページにわたり掲載されている。読んでいて他人でも面白いし、知人だったらすごいと思う。人の人生を読むのは面白いものだ。
日本経済新聞を長いこと読んで(見て)いた(経費節減で最近読めない)が、一番最後のページだけは必ず読んた。そこは私の履歴書(今月は経済学者のガルブレイス教授)、交友抄(著名人の交友をテーマにしたエッセイ)、や経済人の趣味などを載せた文化面だ。この面は、いろいろな人の多種多様な人生、生き方などが描かれ、とても面白い。
われわれの記念誌。18年間、どんぐりのように一緒で、その後の30年以上で様々な形になった、それぞれの輝いた人生を散りばめた、面白い本にしたい。
【64】記念誌の発行について 投稿者:ミルキーペコ 投稿日: 1月23日(金)02時47分48秒
●久さん Hさん:記念誌づくりの手順について、私の協力できる事は自ずと決まってくるようですが、つらつらと書き出してみました。以前、「沖縄の食材・料理」の制作にあたって、印刷は光文堂印刷で、発売を沖縄教販に依頼いたしました。このルートであれば、色々相談に乗ってくれると思います。「半世紀を生きた証」を綴り、那覇高校25期卒業生723名の共感が得られる記念誌が理想ですが、そのためにはしっかりとした進行管理が必要だと思います。
仮主題:『那覇高校OB達が見た戦後』
仮副題:−琉球政府立最後の卒業生がつづる証言集−
【1】記念誌編集体制の確立
1.編集委員会(6〜8名が適当)
2.編集スタッフ(資料取材担当・資料整理担当・校閲担当・制作管理担当等)
※制作管理は、予算・編集・執筆・デザイン・印刷工程の管理です。
【2】記念誌編集方針の決定
1.表題・内容と表現の決定
2.収録期間
3.印刷所の決定
4.予算の決定
※決定要素:発行部数・サイズ・頁数・印刷様式・字詰と行数・表や図表・
写真や口絵・装丁・紙質
【3】記念誌編集作業
1.進行表の作成
2.資料の収集・取材(関係者のインタビュー・座談会等)・整理
3.年表の作成
4.目次の作成
5.執筆要領の作成
【4】記念誌原稿作成
1.資料原稿の作成
2.執筆者の選定・依頼
3.執筆原稿のテキストデータ化
4.原稿整理(内容検討・表記統一および挿入写真・図版等の整理)
【5】記念誌写真原稿の作成
1.写真原稿の選定
2.個人・公文書館等からの借用依頼
※取り扱いの注意:複写・スキャニング後、速やかに返却
【6】記念誌デザイン・レイアウト
1.デザイン・ポリシーの決定
2.品質決定
3.文字組
4.写真ページ
5.グラフチャート等
【7】記念誌の入稿から校了まで
1.DTP 完全データ原稿入稿
2.校正(初校および色校正)
【8】印刷・製本・納品・配付
【63】案(長くてごめん) 投稿者:久 投稿日: 1月22日(木)17時02分15秒
出版のためには、組織的な取り組みが必要ですので、しっかり統制され、かつ臨機応変に対応できる組織づくりが要求されます。
そこで、案
1. まず「記念誌刊行呼びかけ人会」を組織し、方針を固め、それを趣意書にまとめ、いろいろな手段で合意形成を行います。(なるべく多岐にわたるメンバー、例えばクラス別とか住んでいる地域別などの名前を連ねる)
2. それと並行してボランティア参加形式の幹事会をつくり、具体的方針を練り、資料収集や業者への交渉など実務的な準備を進めます。一部原稿依頼なども進めます。
3. 8月31日の2004同期会で、記念誌刊行案を提案・決議し、呼びかけ人を中心に「刊行会」を発足させます。(刊行会は正副会長ほか委員からなり)その下に実働部隊としての出版事務局(幹事長)を置きます。この幹事長が実質的な責任者になります。(メンバーは先の幹事会が中心です)
幹事長の下に副幹事長を3人置きそれぞれ、1運営委員長、2編集委員長、3東京支部長を兼務します。
運営委員は企画総務班と資金財務班の2つにわけ、企画総務班は出版企画、総括、連絡調整、渉外、広報を担当。資金財務班は資金造成活動、予算統制、会計を担当します。
編集委員は編集班とレイアウト班と2つにわけ、編集班は原稿まとめ、通信、資料収集、考証、校正などを担当します。レイアウト班は写真、挿絵、装丁、デザインなどを担当。
東京支部は県外に住む同期生への連絡や原稿まとめ、諸情報の提供などで動いてもらいます。
いずれにしても、パソコンやネットワークなど最先端の技術を駆使することが要求されます。この点はある程度のコストをかけても、整備する必要があるのでないかと考えます。
【62】動きましょう 投稿者:久 投稿日: 1月22日(木)12時34分40秒
記念誌づくりには、編集と刊行のためのマネジメントの二つの仕事があります。まず、どんな形にするのかを、決めるのが先です。
25期の仲間だけの記念誌にするなら綺麗な装丁にして3000円ぐらいのコストで700部ぐらい印刷すればいいと考えます。その場合、出版社(印刷屋)との関わりの程度でコストが変わります。(編集プロダクションに丸投げ、から完全原稿、レイアウトまで自分たちでつくって印刷所に持ち込むまで)。
一般にも流通できる本(自費出版)にするなら単価を1000円か1500円(売りやすい価格)程度に抑え、タイトルや内容をよっぽど工夫しなくてはいけない。しかも沖縄の本屋で売れるとはゆめゆめ思ってはいけない。(売れた場合は価格の6割が返ってくる、本土では5割)が常識です。
編集については、原稿をパソコンフル活用して作業すれば相当コストが下がります。あと写真。白黒とカラーで4倍ぐらいコストが違います。
資金については刊行会を組織してHのいうような資金造成が必要。その場合マネジメント体制をどうするか、決算のための出版祝賀会(剰余、欠損金の精算)も必要になるでしょう。
先日、城岳同窓会(昔の音楽室の近くにある城岳会館内)の源河事務局長(元校長)に電話したら、会館に教室形式で40人ぐらい、ラウンドで30人ぐらいが会議できる部屋があり、いつでも使えるということなので、活用したいと思います。
【61】記念誌について 投稿者:H 投稿日: 1月22日(木)10時26分49秒
記念誌の発行について,しばらく議論が中断していましたが,そろそろ本格的に取り組みましょう。
まず,仕事内容としては,純粋に本作りの側面(企画,編集,校正など)と,運営面(会計,連絡など)に大きく分けられると思います。それぞれに編集担当の責任者と運営担当の責任者を決め,その方々を中心にして実行委員会を組織する必要があると思います。そして,出版社との交渉のような重要な部分は,全体を統括する実行委員長を中心にやっていただきたいです。
たとえば,一案ですが,
実行委員長:カリー
編集担当:久 +ノブヒロ,ナオト,H ほか数名
運営担当:フジタ +タキ,デコ ほか数名
という形で,10人前後でまずは実行委員会を立ち上げ,会議+メーリングリスト+掲示板で議論を進めていくというのはどうでしょうか。(上記の人名はあくまで仮の案です。自分はこの担当を,あの人にはこの担当を,という意見を出し合いましょう。)
資金については,出版社が安全策をとってこちら側に全部買取を依頼してくるケースから,市販による収入を見込んでこちら側の資金負担をゼロにしてくれるケースまで,可能性としては幅広いものが想定されます。このあたりは,早めに出版社と交渉して見通しを立てたいところです。こちら側の負担すべき額がほぼ確定したら,次は資金集めですね。同期の皆さんに目標額を提示したうえで,「一口,○千円」として何口でも,という形で募ることになるでしょうか。出資を義務とはせず,一口以上出資した方には完成した本を一部ずつ配布するということで。
ちょっと細かいことまで書いてしまいましたが,まずは,実行委員会の構成が大枠で上のような感じでよいかどうかについて意見を交換し,それをふまえて,一歩先に進みたいなぁと考えています。よろしく。
【60】感謝!ありがとう 投稿者:fujitasy(ふじた爺) 投稿日: 1月14日(水)09時00分8秒
半世紀本の執筆については、これまでいろいろ書き込んでいる中に面白い考察があるし、それだけでも本文になり得るものもある。もう平行して投稿を呼びかけた方がいい。ネットで投稿・整理・構成できるよう考えるから・・
【59】昔の手紙まだあります? 投稿者:久 投稿日: 1月12日(月)23時24分0秒
個人的なことですが、1972年春に上京して1年間、帰省せずに予備校生として過ごしました。だから「復帰」という世替りを直接目撃・体験していません。しかし当時の沖縄の様子は全国版マスコミ以外に友人達の手紙で知ることができました。その中である人から復帰直後の沖縄の様子で、例えばドル・円の交換や、ポーク缶詰など生活必需品の買占めの話など、復帰直後の沖縄の戸惑いや混乱した様子を生々しく知らせてくれた手紙がありました。その古い手紙を探してますが、残念ながら紛失しています。記念誌に掲載したいと考えたからです。あの頃は電話などかける余裕はなく、手紙のやりとりが主で、都会で孤独に耐えているものとしてはこれだけが楽しみでした。
記念誌を面白くするうえで、こういう「昔の手紙」はものすごく効果があります。あと、前にKAZUが紹介したお母様の日記(ジーンときました)など、当時の記録をぜひ掘り起してみたい、と考えています。手紙には、たとえば「木綿のハンカチーフ」や「東京へイッチッチ」のケースもあって、やばい場合もありますが、Happy
Endになったケースの手紙のやりとりなんか、可愛くて素晴らしいストーリーになるんじゃないかと思っています。
どうか、実家の物置を探ってチェックお願いします。
【58】25期合唱部会議報告 投稿者:久 投稿日: 1月12日(月)18時12分21秒
決めたこと、
(3)記念誌の合唱部のページには全員で取り組む。
【57】記念誌への初めてのまじめな意見 投稿者:ノブヒロ 投稿日: 1月 8日(木)23時19分24秒
「通史とエッセイ」については、私もひとつの問題意識がありました。
例えば60年代前半(小学低学年〜中学年)にあった事件に、ケネディ暗殺以外に「みどり丸遭難事件」「チリ地震で津波が来るぞ騒動」「放射能雨に濡れると頭がはげるぞ騒動」などがありましたが、これらの情報は小学生が自ら新聞を読んで知ったわけではありません。家庭に普及しつつあったテレビも当時はそういう媒体ではありませんでした。
これらの情報は、親や大人たちから聞いたものもありましたが、多くは近所の年長の遊び仲間から得たものがほとんどだったと記憶しています。情報にはまことしやかな尾ひれが付いて、「大統領になりたかったジョンソンがやったんだはず」とか「みどり丸遭難で溺れ死に、サメに食われた死体が若狭の海岸に流れ着いたのを見た」とか言われたりしました。
仮にこうしたことをエッセイでふれる場合、正確さを期するため文章の中に新聞記事から拾った事実を安易に織り交ぜてしまうと、「子供の目・耳から情報を得て感じたこと」が薄れ弱くなってしまうでしょう。かといって事実と異なる記述になったり、「時代考証」的に矛盾したまま放置するのも考えものだと思います。これをカバーする方法が、エッセイ=主、通史=従 の関係にして、紙面上整理する必要があると考えていました。
1月7日/久の「深い意味ではない」は、同じような認識ということですかね。
【56】体重! 投稿者:yoshitake 投稿日: 1月 8日(木)16時32分3秒
当時の先生にあの頃の僕らの生徒気質みたいなのを書いてもらうのはどうだろう?
【55】死語 投稿者:久 投稿日: 1月 8日(木)08時41分38秒
消えた言葉:
政府前公園、立法院、主席公舎、文京局、一号線、コザ市、那覇教育区立○○中学校、武徳殿、沖配ビル、昭和会館、大越百貨店、大宝館、首里バス、ハーバービュークラブ、ベストソーダ、ゲンキ乳業のヤクトール、KSBK、琉米親善センター・・・・・
復帰は遠くなりにける
【54】Rさんらしい項目案 投稿者:H 投稿日: 1月 8日(木)00時08分10秒
「昼食」は,グッドです。「政府の方まで足をのばした」という表現が時代物ですね。あのあと,後輩達は「県庁の方まで」と言ったんでしょうね。この機会に,忘れてしまった「○○食堂」の名前や他の人たちの昼食模様なども少しリサーチしてみてはいかがでしょうか(というか,ここで報告してもらったらいいですね)。記念誌も,単に知っていること,覚えていることを書くだけでなく,これを契機に,新たに知ったり,忘れていたことを思い出したりということがあったらさらに楽しいと思います。
【53】那覇高時代の項案 投稿者:R 投稿日: 1月 7日(水)23時45分32秒
「昼食」という項を提案します。私はたいてい合唱部の仲間と「○○食堂」(名前忘れちゃった。マーキ覚えてる?)で20セントのポーク卵定食(+5セントのぜんざい)を食べていたけれど、遠く、政府の方まで足をのばした人もいるのでは(安いという話を聞いたことがある)。那覇高生の昼食模様はかなり多彩だったような気がします。
【52】1月10日のモアイ 投稿者:ノブヒロ 投稿日: 1月 7日(水)19時56分20秒
>「17泊18日の修学旅行」 は,少し頁数がほしいね,ノブヒロ君。
フキ記録やカリー日記の緻密さにもよりますね。私が担当するかどうかは別として、やはりふれるべき高校時代の一大行事だと思います。
【51】高校時代の章 投稿者:H 投稿日: 1月 7日(水)16時11分41秒
久のいう「那覇高校の72年卒はこんなことやっていたのか」というの,どれぐらいあるかなぁー。他の年度も,あるいは他校もやっていたこととどれぐらい違いがあるかなぁー,という感じがあります。久やhajimeやナカハラの「校外での活動」にはユニークなものがありそうですが。
そんな中で,思いつく項目案
「名物教師(1) 平山良明先生」
「名物教師(2) 運天○○先生」
「名物教師(3) 阿波連○○先生」
これで5,6個いけるのでは?
ただし,先生方が読んだときに気を悪くするようなものは,やめましょう。
あと,
「皆で聴いたラジオ講座」
というのは? 高校でやっていましたよね。僕はすぐ挫折したけど,時代を感じさせるユニークな受験勉強ではないでしょうか。どなたか続けて聴いた人,いませんか?
それから
「17泊18日の修学旅行」
は,少し頁数がほしいね,ノブヒロ君。
【50】思いつくまま(2) 投稿者:久 投稿日: 1月 7日(水)14時20分7秒
いま、具体的な構成(私)案を練るうえで、悩んでいるのは「僕たちの那覇高時代」の章を、活き活きとした文として表現するためにはどうすればいいか、ということです。これが記念誌を面白くする一番のポイントだと考えています。この部分は同期生全員の共通部分であり、皆で共同作業ができる部分。同期生はもちろん、できれば外部の人が読んでも、面白いものにしたい。「那覇高校の72年卒はこんなことやっていたのか」と驚いたり、共感したり・・・・の「何らかの感動」を読者に与える章にまとめたい、というのが僕の考えです。
そこは、皆様の記憶がたよりです。足りないところは皆で補いあう作業が必要。
そこで、どういう風にテーマ(トピック)を出すか、にお知恵を貸していただきたい。クラブ活動別、クラス(3年以外も?)別、授業別、遊び、友達、交友グループ、校外活動、学習活動、恋愛活動、内外のイベント(演劇、合唱、陸上競技・・)・・・これらの考えられるテーマ案を列挙したいけど、なんせ、あんまり学校行かんかったもんで限界です。
皆さんのアイデア提供をお願いします。
【49】深い意味ではない 投稿者:久 投稿日: 1月 7日(水)13時19分58秒
通史については、歴史学的な難しい記述をするというより、当時の新聞記事(いくらでも手に入る)を転載したり、主要な出来事(たとえばJFK暗殺、東京オリンピック開催とか)を示すことで、エッセイのテーマと対比させるという意味で、あくまでも脇役、エッセイとエッセイの接続のためのもの。というのが僕の考えです。前史(この言葉が悪かった)についても、あのとき沖縄で、日本で、世界でなにがあったか、程度の記述です。
【48】通史も 投稿者:H 投稿日: 1月 7日(水)11時42分36秒
記念誌は,個人によるエッセイを基本にという意見を書きましたが,久が言うように,それを位置づける通史も必要な感じがしてきました。そうした内容まで個人的エッセイでというのは無理でしょうから。
【47】記念誌での掲示板の位置づけ 投稿者:H 投稿日: 1月 7日(水)11時10分27秒
思いつくままに,の続きですが,この掲示板は,やはり閲覧者および投稿者が,原則として同期の者に限られているところに良さがあると思っています。不特定多数の人が入ってくると,たいていの場合,現在のような平和な状況は壊れてしまい,エゲツナイ書き込みなども出てきます。それで,記念誌の出版に際しても,「メールや掲示板などで検討を重ね」というようなことは書いてもいいと思いますが,大々的にアドレスを示すようなことはしないほうがいいと思います。記念誌の流通先を,同期生だけに限るということであれば,また別ですが。
あと,出版社のほうは,あてがあるのでしょうか。
【46】思いつくままに 投稿者:H 投稿日: 1月 7日(水)11時02分32秒
記念誌について,「こういうことは,もっと後で」とか「まずは,こういうことから」という段取りもあると思いますが,メモ代わりに思いつくことを書いていくことにしたいと思います。
前に紹介した『燃える青春群像−沖縄文教・外国語学校』(琉球新報社)が参考になると思うのですが,一個一個の記事が,本文のみのは2頁,写真つきは2頁半〜3頁で,各記事が新しい頁から始まっていて読みやすいです。1頁は,縦書きで22字×18行×2段ですが見出しのある最初の頁は14行になっていて,2頁分で正味1400字ぐらいです。
それから,今回の記念誌の独自性ということを考えてみたのですが,久案でいうと高校入学前まで,あるいは復帰前までは,那覇高同窓生に限らず,同世代全体に共通する,その時代の特徴を表す経験が主になりますね。一方,卒業後の「それぞれの道」の多様さは,那覇高の同窓・同期の特徴をよく表すものとなるかと思います。
ついでに,項目案をひとつ。
「ブラジルに移住する友を見送る」
【45】同期生への呼びかけ 投稿者:fujitasy 投稿日: 1月 7日(水)01時08分16秒
同期の皆さん、日常的に閲覧している方は分かっていると思いますが、今、鉄美の提案で、50歳の記念に一筆づつエッセイを書いて本を出版しようと、取組みを開始しています。
その執筆集団の名称は「半世紀クラブ」(キシュカート久美子命名)と言います。激動・変化の時代に生まれ育った世代の数奇な歴史体験をユニークに書き綴る試みに賛同する同期の仲間を募っています。
【44】主旨の表示 投稿者:fujitasy 投稿日: 1月 7日(水)00時20分37秒
タキに少し骨折ってもらいたい。なおと〜みたい・・じゃなく・・
HPの現在の「更新情報」の上あたりに、=半世紀クラブと出版について=、=第4回同期会について=、現在の取組み(動向)を常時表示して欲しい。
掲示板の一過性な表示では、せっかくの論議も日課で開く人以外・・、あるいは古いページを見ないかぎり、多くの人への周知が出来ていない。
今後、テーマの確定や執筆者の選定、取りまとめの方法、構成・校正及び把握・管理、出版に関するモロモロの準備等々の観点から、より多くの仲間に知らせ、名乗りを挙げてもらい意見をもらう方法を考えなくてはならない。
【43】記念誌構成案について 投稿者:H 投稿日: 1月 6日(火)19時41分7秒
久さん,構成案ありがとうございます。
近々,編集委員会も立ち上がることと思いますが,とりあえず久案をもとに,いろいろな意見を自由に出してみるというのはいかがでしょうか。ということで,私も意見を。
全体としてどういう内容を盛り込むかということについては,久案に賛成ですが,第1章で「前史」とあって,「社会状況などをまとめる」とあり,また第2章でも「通史」を書くこととなっています。しかし,私たちは歴史の専門家ではないので,ちゃんとしたものが書けるかどうか,不正確なものになったら困るなぁという心配があります。また,その部分を書くことのできる人が1〜2名いたとしても,その方々に頼りきるのも同期の記念誌としてちょっと違和感があります。
いまの時点で私がもっているイメージは,全編を通して,基本的に1項目2〜4頁程度の短いエッセイを集めたものとする,ということです。そのエッセイの内容(見出し)によって,たとえば,
「タマグヮークヮーエーの王者」
「B円のお年玉」
などは,【少年少女がみた復帰前の沖縄】とかの章に,
「部活帰りの半ソバとぜんざい」
「全国大会での挫折」
などがあれば【高校時代】の章に,特に復帰に関わるテーマであれば【復帰前後】の章に,そして,
「介護事業に転進して」
「インド更紗と童話」
「脳にメスを入れる時」
「ドイツの音楽教育」
など,現在から将来にわたるエッセイは【それぞれの道】の章に分け入れるというものです(章タイトルはいずれも仮)。
こうすると,目次には面白そうな見出しが100個ぐらい並んで魅力的になるし,書くほうも編集するほうもやりやすいのではないかと思いました。で,写真とかもできるだけ入れてビジュアルにする。上記のような見出し候補を皆で出し合えば,200〜300はすぐに集まるんじゃないですかね。見出し候補を提案しても書く義務を負わないことにすればですけど。その中から,全体のバランスを考えながら面白いもの,書けそうなものを選び,適任の人に書いてもらうというのはどうでしょう。
【42】補足(お宝募集) 投稿者:久 投稿日: 1月 6日(火)14時18分43秒
写真は、非常に重要な役割をはたします。
記録写真やスナップ写真だけでなく、昔の教科書、おもちゃなどの遊び道具、記念写真、楽器や机、日記・・・制服、制帽など懐かしい「モノ」なども積極的に掲載したい。皆さんの実家の押し入れ、物置に期待します。
【41】記念誌構成案(V.2) 投稿者:久 投稿日: 1月 6日(火)14時10分30秒
はじめに(刊行のことば・1ページ)
わたしたちのこと: 25期の紹介、生まれ年から那覇高入学、卒業年、生徒数、4年に一度の同窓会活動など簡単に(1ページ程度)紹介する。
第1章
前史:戦後沖縄と那覇高校の歴史、同期の生まれた1953年ごろの社会状況などをまとめる。
第2章
なつかしの5~60年代:1953年から1969年
(子供のころの思い出、高校入学まで)
ストーリ(通史)の合間に小エッセイを織り込む
第3章
琉球政府立那覇高校の思い出: (1969年4月から1972年3月)
小エッセイや、クラブ活動報告、スポーツ・文化や学業の記録を織りまぜる
第4章
本土復帰とわたし: 復帰についてのエッセイと記録など
第5章
わたしの半生記: 個人のエッセイ集
第6章
半世紀倶楽部: 掲示板や同期会、交流記など、名簿、年表、その他資料など
【40】とりあえず案です 投稿者:久 投稿日: 1月 6日(火)10時58分29秒
タイトル:(未定・7文字程度)
副題:(未定・13文字程度)
著者名:半世紀倶楽部(那覇高校1972年卒業生)
趣旨:
1972年春、琉球政府立那覇高等学校を卒業した私たちは50歳になりました。オキナワに育ち、本土復帰という大きな「世替わり」の最中に進学や就職で内外に飛び出して32年、700人余の仲間たちは、それぞれの人生をたどっています。この本は50という節目を迎えた私たちの、小さな半世紀をまとめたものです。私たちなりの目でみてきた、「ひとつの戦後史」としてご覧いただければと願っています。
構成案:後で書き込みます。
編集日程(案)
ゴールデンウイークまでに方針を固めて、ある程度作業開始
同期へ周知徹底(同期会準備と並行)
8月31日に組織決定・資金徴収等の開始
9月から11月、執筆(原稿まとめ)編集作業
12月最終校正・出版
1月 出版祝賀会
【39】新年のプレゼント 投稿者:H 投稿日: 1月 6日(火)09時45分7秒
かっぽーには「路上遊び」の項も書いてほしいね。「それぞれの道」の部分は一人一項目だろうけど,昔の部分は,書ける人には何項目も書いてもらおうよ。できれば写真とか付けたいね。ビジュアル部分はペコさんに仕切ってもらって。
【38】新年会で失念 投稿者:カリー 投稿日: 1月 5日(月)19時30分17秒
まずはたたき台を作る編集委員会が必要です。今月中に理念、目的、骨組み、章立て等のたたき台を作り上げる必要がありますね。それを示して、加除訂正し、割り振りなどを考えていくといいのではないかと思います。これまで掲示板で示された基本姿勢は結構まとまっているのではと思いますが、編集委員会をまずは1回持ってみましょう。日取りの案はありますか?
【37】見開き2頁程度に賛成 投稿者:かっぽー 投稿日: 1月 5日(月)17時28分28秒
Hの「それぞれの道」提案に賛成です。2頁程度が書きやすく・読みやすく・皆が参加しやすいと思えます。自分的には、マチグヮーで育ったので、例えば「まちづくり」を題材とした場合、・まちづくりプランナーでありながら、区画整理された画一的な街よりも、スージグヮーのある独特な風景に惹かれる。
・全国は、戦災復興事業で街並みが整備されたが、沖縄は、自然発生的に街が成長・膨張し、復帰後は手のつけられない状況で密集市街地が残った反面、沖縄らしさは残った。
・既成市街地の質的向上に政策が転換される中、沖縄は今後も基地跡地開発による新興市街地が増え続けるが、如何に両立した街づくりを進められるか。
2頁でも、マチグヮーの過去・現在・未来は描けるような気がします。
【36】RE:記念誌の進め方 投稿者:久 投稿日: 1月 5日(月)11時01分3秒
記念誌の構成案をもう少し真面目に練りますので、再度試案を出させてください。その場合の基本的な考え方を、(1)全員参加型、(2)柔軟な発想、に置きたいと考えます。
(1)全員参加は、なるべく多くの人に関わっていただき、それによって同時代の人々に共感を得られるようなモノにしたい。編集事務局はそのための環境整備に力を入れなければなりません。全国に広がる仲間の間の連絡体制、原稿のとりまとめ、編集作業などの円滑化を工夫しましょう。
(2)柔軟な発想は、編集事務局が大筋の構成案やテーマ、流れを示しますが、これを杓子定規にとらえることなく、自由かつフレキシブルな発想で主体的な参加。ということです。例えば、「小学校」というテーマだとしたら、小学校という空間と時間だけの事柄だけでなく、もっと広げた視点からのユニークな文章が出てほしい。(かく言う私も、既成概念にとらわれて、面白い発想は自信がありません)
例で、小学校から出てくるテーマ:教室・施設、授業、児童数、テスト、通信簿、夏休み、遠足、運動会、学芸会、友達、クラブ活動、教師、体育、音楽、PTA、映画鑑賞、登校、下校、道草、遊び、転校、給食、病気、けが、予防接種、こづかい、テレビ、ラジオ、話題、流行語、非行、体罰、けんか、いじめ、異性、記念写真、卒業式、同窓会・・・どんどん広がると思います。
皆の柔軟な発想で、編集担当者や読者を唸らせるぐらいのテーマや文章が出てくるのを期待します。
【35】記念誌の進め方 投稿者:H 投稿日: 1月 5日(月)09時05分40秒
久のいう「出すならユニークなものに」に全面賛成です。そのユニークさの根拠を1972年卒業というところに置くという提案も,また少年少女の目でみた復帰前の沖縄の姿を描くという提案も賛成です。そうした内容に続けて,高校のこと,そして卒業後のことをそれぞれが語る内容が続くということですね。そういう本なら,仮に他校の同期会が作成したものでも読んでみたいです。
で,具体的な進め方ですが,久案をたたき台として,それへの異論があればそれを出しながら方向性を固めていくというのが,現実的かつ建設的ではないかと思います。
そのためにも,久にいま一度構成案を出してもらい,それをベースに議論していきたいのですが,いかがでしょうか。12月27日に出してもらったものでもいいですし,バージョンアップしているのであれば,それを出してほしいのですが。
カリーの最初の提案では,数十人の人に同じページ数ずつ割り当てるという感じだったと思いますが,久案のようだと,内容的にたくさん書ける人(書くべきものをもっている人)とそうでない人が出てくるかと思います。久が挙げた復帰前のキーワード「B円やドル、リバック物資の学校給食、パスポート、輸入外国製品の氾濫した消費生活、右側通行、図書や雑誌の流通制度、ジュニア・シニアハイスクール、教育制度、ボーイスカウト運動、ジャズやロック、KSBK、テレビ・ラヂオのローカル番組、基地、アメリカーたち・・・」には,同期の私もよく知らないものがあります。そのへんのことを良く知っている久には,たっぷりと書いてもらい,カリーにももちろんどーんと書いてもらい,そして,部分的にこのテーマならこの人,というふうに自薦他薦しながら担当を決めていくという感じかなぁと思っています。あと,「それぞれの道」の部分はできるだけ多くの人に,短めの文章(見開き2頁程度?)を書いてもらうほうが,読むほうも変化があって面白いし,書くほうも書きやすいのではないかと思います。その他の部分もキーワードごとに見開き2頁程度にまとめていくと良いかもしれません。
【34】今度こそ いろいろ 投稿者:ノブヒロ 投稿日: 1月 5日(月)01時10分29秒
>1972にこだわります
久さんの考え方が明確に伝わってきます。まずはこういう長文というか中文というか、主旨、ねらいなどを一定の文章に整理して何人かが出してみる、そこからイメージをしぼっていくことが方向性を決める早道かも知れませんね。
【33】1972にこだわります 投稿者:久 投稿日: 1月 4日(日)21時38分45秒
半世紀倶楽部記念誌の内容について、僕の考えは、まず「出すならユニークなものに」です。そこで全体の構成のなかで「本土復帰」との関わりはどうしても中心に置きたい。つまり、1972年の復帰までの僕らが生きた18年間を、少年少女の目で見続けたことを記録として後世に残すという「使命」を本に託したいということです。戦後27年間のあの時代を書いた本は多いし、公的・私的にも資料や証言は多数あります。でもティーンエージャーとしての多感な時期に復帰を体験した人が、まとまって出したものはおそらくないでしょう。
復帰前の僕らの18年間は、もう戻らない時間。B円やドル、リバック物資の学校給食、パスポート、輸入外国製品の氾濫した消費生活、右側通行、図書や雑誌の流通制度、ジュニア・シニアハイスクール、教育制度、ボーイスカウト運動、ジャズやロック、KSBK、テレビ・ラヂオのローカル番組、基地、アメリカーたち・・・こんなこともあったのか、ということを、皆の力で文章にまとめて、子ども達に伝えたい。
一般に、沖縄の戦後の27年間は「異民族支配」とか「格差の拡大」とか「高度成長に取り残された」などネガティブに語られています。だけど僕らの気持ちは、ビンボーだったけど、それなりに明るく、生き生きと夢と希望をもって、生きていました。――こういうことを内外に訴えたい、というのが僕の考えです。皆様どうでしょうか?議論しましょう。
僕は那覇高25期の皆さんは、これ(本の出版)を成し遂げうる、唯一の賢い集団だとみています。
【32】本のタイトル案 投稿者:N 投稿日: 1月 3日(土)14時00分12秒
Rちゃん案とKAZU案の折衷案です。
”ようこそ半世紀クラブへ!”
〜ドイツ、東京、沖縄・・・・・
ネットで広がる同期の輪(or ネットで深まる同期の絆)〜
復帰の年,琉球政府立最後の那覇高校を卒業した25期生のそれぞれの50年
kazuのいうように、掲示板を通して沖縄だけでなく各地で生活している仲間たちとも時間、空間を越えて交流を深めている状況をタイトルで表現したほうがいいような気がします。また、歴史的背景(沖縄の特殊事情)については、内容に組み込むだけでも十分かと・・・・。
ご検討ください。
【31】Re: 本のタイトル案 投稿者:H 投稿日: 1月 3日(土)09時30分54秒
Rさんからの引用:
> タイトルは『半世紀クラブ』・・これは、見た人に「どういう本だろう」
> と手に取ってみる気を起こさせる、インパクトの強い言葉だと思います。
> サブタイトルは「那覇高25期それぞれの50年」
サブタイトルの中の「それぞれの50年」という表現は,やわらかく,かつ中身をよくあらわす良い表現だと思います。ただ,「25期」というのは,那覇高校OBなら,自分が何期だから(ということを知らない人も多い,私も神原中学8期というのは最近知った)何年先輩か…というふうに分かってくれるでしょうけど,一般にはほとんど情報量がないような気がします。その点,復帰の年のとか,琉球政府立最後のというのは,一般の人にも伝わる情報をもっていると思います。一方では,Rさんのご指摘のように,復帰の年に卒業したとか琉球政府立最後ということが「この本の本質か」という疑問は私も感じます。久案にあった復帰についての章が充実した中心的なものになるならタイトルと合ってきますが,それは今後の検討課題ですね。
それと,「半世紀クラブ」というタイトルで,かりに「どういう本だろう」と手に取ってくれたとしても,「ああ50歳ね」だけで済んでしまうのではないかという気がします。手にとった後も読んだ後も,このタイトルがぴったりだと言えるかどうかということですね。「○○クラブ」という主題なら,そのクラブがどういう組織で,組織としてどのような活動をしているかという内容かと思ってしまいますが,そういう内容にはならないですよね。このあたり,クーミさんの「これを本の題名にすることについては、もうひとつ何か足りないように感じます」に同感です。
ところで,本の表紙や背表紙にはタイトル・副タイトルのほかに,「著者名」もあります。「半世紀クラブ」はそこに使うこともできますし,25期,あるいは那覇高校という名称を著者名に組み込んで,タイトルや副タイトルには入れないという選択も可能です。
【30】又ひとつ賢くなりました。 投稿者:クーミ 投稿日: 1月 3日(土)02時30分56秒
「半世紀クラブ」こんなに受けるとは思ってもみませんでした。私は、50歳=半世紀と捉えて、この言葉を思い付いたのですが、これを本の題名にするとなったら、半世紀クラブ会員の時、つまり50歳の時に発行しないとおかしいかなと思ったりするのですが、どうでしょうか。それとも、半世紀到達した人はすべて、または50代を会員と考える。うん、「50歳=半世紀を生きた」と捉えれば良いんだ!(ひとり改めて納得!)このせんが良いかな?そうでないと排除される人が、(それも重要人物達が)でてきてしまう。いや、皆さんは後者を考えていたのでしょうね。これを本の題名にすることについては、もうひとつ何か足りないように感じますが、何がと言われるとわかりません。少し長くするといいのかな?う〜ん、難しい!
誰を対象にするかは、内輪だけだったら、この掲示板で十分ではないかしら。やはり、沖縄の後輩たちに、子供たちに発信できるものがあったらいいなと私は思います。それぞれの人生行路、職業(主婦業も立派な職業と思います!)を通して得たものを伝えていけたらいいと思うのですが。
【29】真面目にヨッパラッテ思うこと 投稿者:モ〜ゼル・なおと〜 投稿日: 1月 2日(金)20時10分40秒
H殿のご指摘に有りましたように、“どなたに向かって発信するのか”、ということこそタイトル・福(副タイトル)につながると思います。そこで私は、こう思います、
1)仲間内の同期生序伝
2)人様(限られていても普遍的)にアッピールするつもり
の範囲(外)で、責任の(腹のくくり具合が違ってきますよね)所在の有り方(文の書き方)が違ってくるのでは?っと思います、あんまり力むと、イタイ・イタイ病がね・・・。
【28】本のタイトル案 投稿者:R 投稿日: 1月 2日(金)14時00分47秒
タイトルは『半世紀クラブ』・・これは、見た人に「どういう本だろう」と手に取ってみる気を起こさせる、インパクトの強い言葉だと思います。
サブタイトルは「那覇高25期それぞれの50年」・・hajime
案もとてもおもしろいのですが、タイトルとの関連がわからないところが難点。琉球政府立高校の最後の卒業生という点は中身で知られることになるし、タイトルにもってくるほどこの本の本質的なことだろうか、という?があります。
【27】新年2日目。 投稿者:hajime 投稿日: 1月 2日(金)13時08分16秒
それから、12/31に書き込みしたタイトル案の副題のニュアンスが変なので...少々変えたいとおもいます。
>主題:『半世紀クラブ』
>副題:−−在日琉球人から日本人へ−−
を
主題:『半世紀クラブ』
副題:−−琉球人から在日琉球人へ−−
に再提案します。
【26】初日の出 投稿者:312KAZU 投稿日: 1月 1日(木)09時25分36秒
本の題名についてですが、私なりに考えてみましたよ。
「半世紀クラブへようこそ」那覇高校25期
副題ですが
沖縄復帰直前の1972年3月、高校卒業した若者たちが50歳となった半生記
【25】今年もいろいろ...ありがとう 投稿者:hajime 投稿日:12月31日(水)15時03分20秒
それから、タイトル案へ一案ですが...
主題:『半世紀クラブ』
副題:−−在日琉球人から日本人へ−−
【24】いかがでしょうか? 投稿者:jintetsu 投稿日:12月30日(火)19時01分10秒
主題:『半世紀クラブ』
副題:−−那覇高校琉球政府立最後の卒業生の掲示板より−−
「半世紀クラブ」という言葉の響きのよさとインパクトの強さから、主題にふさわしいのではないでしょうか?
【23】Re: ことばの遊び 投稿者:H 投稿日:12月30日(火)18時59分16秒
仕事の文章を書いているところだけど,つい,こっちのほうに書いてしまう・・・。
> 「のっぽどんぐりのせいくらべ」
いいね。でもそれほどのっぽでもなかったから,「井の中から飛び出した蛙たち」ぐらいでもいいかも。いずれにしても,高校時代は「那覇高校」というだけで,多少とも優越感を抱いていたわけで,その後の挫折物語がそれぞれあるんじゃないかと思う。(すぐ挫折して半年たらずで戻ってきたのは僕ぐらいかなぁ。)
【22】ことばの遊び 投稿者:ノブヒロ 投稿日:12月30日(火)18時38分49秒
まじめに考えて書き込んでいる方々に申し訳ないですが、言葉の遊び・・・
「半世紀倶楽部」の中見出し
「のっぽどんぐりのせいくらべ」
秀才であっても天才ではなかった人たちのライバル物語
「サインコサインどうなった」
数学が大得意だったが、今それと関係ない仕事をしている人から
「軽率時代」
久の独壇場?
「二中賢児ノート」ならぬ
「日中拳銃の音」
Hか久がアイオワで聞いたことあれば・・・
【21】Re: タイトル案、だれかない? 投稿者:H 投稿日:12月30日(火)17時25分47秒
久:「インパクトのある本のタイトルにするには、ある程度の奇抜さがないといけない。」
誰にとってのインパクトかが問題ですね。ここは,一般的に言って奇抜と言えるかどうかではなく,たとえば沖縄の書店で本を見にくる人々の目に留まりやすいかどうかがポイントですよね。その点で「那覇高校」という四文字は力を持っているのではないかと思いました。そういう本は他には並んでいないでしょうから。「ヒネリ」を加えたものが目を引くとは限らないのではないかと。
あと久案の副題「最後の琉球政府立高校を旅立った・・・」は,ひとつひとつ琉球政府立高校が消えていく中で,最後に残ったひとつの高校・・・というふうにも読めてしまうのでは?
このあたりは,意見交換を継続しつつ,内容的に何が書けるか,何を書いていくかを平行して詰めていかないといけないですね。
【20】タイトル案、だれかない? 投稿者:久 投稿日:12月30日(火)17時01分1秒
インパクトのある本のタイトルにするには、ある程度の奇抜さがないといけない。
たとえば、最近はやりの「城岳殺人事件」は極端でも「消えた秀才たち」「できる奴らの旅立ち」とか「故山の草木あおあおと」など・・・・もっと一つも二つもヒネリが必要です。
昨日から考えていますが、とっても難しい・・・
そこで、考えたもの(これが僕の限界です)
タイトル「1972―世替りの春」
副題 :最後の琉球政府立高校を旅立った若者たちの記録
【19】タイトル案 投稿者:H 投稿日:12月30日(火)12時20分42秒
久の仮題をベースにして,以下のような案を考えてみました。
主題:『那覇高校OB達が見た戦後』
副題:−−琉球政府立最後の卒業生がつづる証言集
これは以下の点を考慮したものです。
・沖縄の本屋さんで,背表紙に大きく「那覇高校OB」とあれば目を引く。
・主題では,単年度の卒業生ではなく全OBにわたるかのような印象を与え,
その点,やや誇大広告気味ではあるが,正確さは副題でカバー。
・副題にも「琉球政府立最後の」という,それなりのキャッチフレーズを入れた。
・主題と副題で言葉の重複がないようにした。
ご検討,よろしく。
【18】タイトルが大事 投稿者:久 投稿日:12月29日(月)09時53分52秒
本を出版するなら内容のあるもの=面白いもの、すなわち読む人の立場に立って編集しなくてはなりません。しっかりした編集方針を確立して、いい資料・材料を揃えることが大切です。これまで何件かの社史(農協史)、個人史などの出版に関わってきましたが、それほど難しいことではありません。賢明な皆さんですので、力をあわせれば素晴らしいものができると思っています。
そこで方針づくりですが、いきなり大上段に構えて議論するまえに、皆さんの「ひらめき」に期待したい。それが意外とすばらしい方針になり、いい結果になるもんです。つまり、たとえば本屋に行って、書棚をながめて思わず手を伸ばしたくなるような本です。気になる題名、ちょっと共感できそう、自分の求めている情報が入っていそう、何か面白いストーリーに出会えそう・・・・「タイトル」は重要です。もし売れる本を作るなら60%ぐらいのエネルギーをタイトルとサブタイトルに注ぎます。(スポーツ新聞の見出しは90%)まず、皆でこれに取り組みましょう。
タイトルづくりに必要なものは、この本は何を訴えているのかを表現することです。面白い本にするためには、ただの「同窓会記念誌」とは違うんだという差別化が必要です。すなわち全国60万人の同年生のうちの700人が「琉球政府立那覇高校」という学校で学び、沖縄の特異な戦後史に翻弄され、本土復帰という社会的な出来事を全身で体験した、というようなユニークさを前面に出さなくてはなりません。そこで、復帰の年に飛び出した政府立高卒業、修学旅行が万博のせいで異常に長かった、水不足で運動会が開けなかった、有数な進学校だった、医学部に進学した人の数が史上一番多い(意外と知られていない)、国費の合格率が高かった・・・などのキーワードを列挙して、それをもとに、良いタイトルを考えてみましょう。
【17】ちょっと哲学的に 投稿者:ノブヒロ 投稿日:12月29日(月)00時36分27秒
カリー発案「半世紀倶楽部」からさまざまな意見、構想が出てきて興味深く読んでいます。趣旨に賛同しますがそれはさておき、ちょっと大げさに言えば、これはこの間の書き込みの「人数と数量の増大」が質的に変化して、もうひとつ別のカタチの何かが造られようとしている感じがします。ヘーゲル言うところの、「量的変化から質的変化への発展」(止揚=アウフヘーベン)でしょうか。
この間の多くの書き込みはその話題の幅の豊かさ、変転の早さを特徴としながら蓄積されてきました。この夏か秋まではそういう勢いで量的拡大が続きました。それからほんの少しの時が過ぎると、いつしか40代に別れを告げ、50歳になった者が多数者になりました。そうすると体内時計にスイッチが入ったかのように、半世紀を生きてきた人間として過去を掘り起こし、現在を見つめ直し、未来を考えてみようかという意識が芽生えてきた、意識が芽生えたというより、ある1つの発案が同期の者にほぼ共通する思いであるというのがわかったわけですね。
この意識、気持ちを温め合って、是非いいカタチにしていきましょう。1月3日(もう1週間切っている)の再会、オフ会初顔合わせ、楽しみにしています。
【16】2004年に向けて 投稿者:ミルキーペコ 投稿日:12月28日(日)11時26分40秒
ところで「半世紀倶楽部文集刊行構成案」の件ですが、記念誌等に掲載する場合、歴史的写真などは、公文書館から申請を出せば無料で借りられると思います。以前、ある会社の社史制作をした際、東京公文書館からお借りしました。あと、新聞社や通信社から、有料(高くはなかったと覚えています)ではありますが、借りられます。
【15】小倉市民会館 投稿者:の隣で生きていました・なおと〜 投稿日:12月28日(日)02時42分29秒
『久私案』に99%賛成です。
1%ですが、備瀬くんの全集(もちろんご本人の取捨選択、校閲後に)を(獏さんの後継者、いや水上店舗の元祖として)、第1球(もちろん直球)として投げ込んでもらっては?!
【14】新年会参加 投稿者:カリー 投稿日:12月27日(土)20時11分5秒
はいさい、半生記企画いろいろ話が出ていますね。新年会でタタキましょう(鰹のタタキも出してください)。掲示板の意見はこれからも出るでしょうから、意見のすべてを検討する材料として、大晦日までに私の方でまとめてみます。やはり、大事なことは、コンセプトと25期みんなに情報知らせて、みんなが参加できることでしょう(公開と参加)。けっして後悔と惨禍にならないように。企画の細かい点も検討課題ですが、今は自由に意見を出すことが大事ですね。沖縄の復帰が日本の会計年度始め4月1日)とアメリカの会計年度の終わりの真ん中5月15日で、その最後の琉球政府立那覇高校卒業生、しっかりとした企画を話し合いしましょう。
【13】久案について 投稿者:H 投稿日:12月27日(土)14時19分39秒
さすがに,よく配慮された案だと思います。これで議論のベースができたのではないでしょうか。
> 仮タイトル(証言集 私たちがみた戦後)
いい感じですね。
> 50歳になった那覇高25期生が・・・
このあたりが副題に来るのでしょうが,「50歳」と「25期」は序文とかの中で触れるとして,表紙には「復帰の年に巣立った那覇高OB▲▲人が語る」とかの副題のほうがいいかなぁという感じがします(「50歳の人々の文集」というのでは,とびつく人はあまりいないだろうし,「25期」ではたくさんの「期」のひとつにすぎない感じがするので)。
> 第1章 1953年から1972年までの青春
「そのときの目(子供の目)で書き綴る。」というのがいいですね。「JFK暗殺」,「復帰合意(佐藤・ジョンソン共同声明)」なども含め,号外になったような事件・イベントを当時の小学生・中学生がどのように受けとめたか,というのはとても面白いと思います。(ただ,1953年とかは「青春」というよりは,まだ「青尻」ですね。)
> 第4章 那覇高校の青春
全国大会に出場した部のこととか,同期生でも知らないことが多いですから,貴重な記録になると思います。
あとは,写真(たとえば路地裏遊びや,米兵との交流などの写真もあるのでは)でビジュアルにできるといいなぁというのと,過去に類似の企画本がないかどうか,修学旅行ですらあの程度の記憶しかなかった私たちにどこまで書けるか,というところもありますが,カリーや久(記憶力と企画力と文章力におおいに期待)にリーダーシップをとってもらって,前向きに検討していきたいです。
【12】私案です 投稿者:久 投稿日:12月27日(土)11時42分22秒
半世紀倶楽部文集刊行構成案
内容 :仮タイトル(証言集 私たちがみた戦後)
50歳になった那覇高25期生がこれまでの人生で実際に目撃してきたり、体験したり、感じてきた事柄について各人のエッセイや談話などでつづる、50年の歴史文集。
構成
第1章
1953年から1972年までの青春
われわれの出生から高校卒業までの18年間の出来事などを列挙して、それぞれについて、実際の目撃したこととか体験したことなどを、そのときの目(子供の目)で書き綴る。
たとえば「B円の思い出」、「アイゼンハワー来沖」「路地裏の遊び」「学校給食」「東京オリンピックと私」「なつかしのテレビ番組」「グループサウンズ」「学園生活」・・・などそれぞれのテーマを分担して執筆する。形式は通史の間にエッセイを織り込む形。
第2章
本土復帰と私
それぞれの本土復帰前後の証言
(これは歴史記録として残すために、それぞれの体験を書く)
第3章
わたしのたどった道(卒業後社会にでてから)
それぞれの立場からの報告
第4章
那覇高校の青春
在学当時の記録や思い出をつづる、修学旅行記、クラブ活動・・交流記など
(座談会など)
巻末
年表・掲示板から・・写真集 執筆者名簿等
【11】補足 投稿者:H 投稿日:12月27日(土)10時12分44秒
久の書き込みへの補足です。
> 名護の英語学校は幻の名門校といわれ、
私の読んだところでは,沖縄文教学校が1946年1月10日に具志川村に開校,そしてその「外語部」が同年7月15日に沖縄外国語学校として分離独立,そして両校とも1950年の琉球大学開学によってその使命を終えて閉校ということです。その間,「各地に教員訓練所や英語学校が設置された」とあるので,久の言う「名護の英語学校」はその一つなのではないでしょうか。
> 1953年というのは国費制度の発足・・・。
国費制度に先立って1949年から「契約学生制度」というのもあったようです(これも同じ本からの情報)。1951年までの間に医学を中心に455人が採用され,本土の大学で学ぶ機会を与えられたとあります。1952年には「公費琉球学生制度」となり,1953年からは「国費沖縄学生制度」です。
【10】昭和28年組 投稿者:久 投稿日:12月27日(土)07時34分7秒
Hの紹介した文京学校(教員養成所)といわゆる名護の英語学校は幻の名門校といわれ、当時の沖縄の最高学府でした。われわれの小・中学校時代の中堅の教諭はそこの出身者が多数を占めていました。そして1953年というのは国費制度の発足であるが、沖縄から一般の渡航を認められた年でもあり、パスポートを手にした学生達が本土の大学に入れた最初の年です。(その前に入学したのは密航組といわれて苦労してたどり着いた人々)。
僕の大学(明治)の沖縄校友会では昭和28年入学組という人たちがいて、一番数の多い世代で同期だけど年齢差が10歳ぐらいの幅があります。80代近くから68歳までの先輩方で意気軒昂。話を聞くと軍作業や代用教員をしていたとか、面白いのは生徒達の受験の引率にきて、そのまま大学にもぐりこんだ先輩もいます。僕は彼らにいつも言っています「昭和28年という、先輩方がパスポートを手に、学問を志して本土に渡った年に生まれた僕たちは、最後のパスポート組です」と・・・。
【9】『燃える青春群像』 投稿者:H 投稿日:12月26日(金)20時46分33秒
カリー企画からの連想で,琉球新報が1988年にほぼ一年にわたって連載し,同年『燃える青春群像−−沖縄文教・外国語学校』というタイトルで出版した本を思い出しました。終戦の翌年,教員不足と通訳不足を解消する目的で設立された沖縄文教学校と沖縄外国語学校の卒業生達のその後を取材したものです。
文教学校の1期生には外間守善氏,2期生には大田昌秀氏,外国語学校の2期生には東江康治氏などのお名前があります。敗戦後の焦土の中で貪欲に勉強したその世代からすると,私たちの世代は随分と楽な時代だったようですね。1950年には琉球大学ができ,私たちの多くが生まれた1953年には国費沖縄学生制度が発足して,高等教育の可能性が大きく広がっています。一方,私たちの高校在学中の1970年にはそれまで千人以上の若者をアメリカに送り込んだ米国留学制度が廃止になっており,必然的に,アメリカではなく本土および沖縄の大学に目が向くようになったようです。
【8】まずは自分探しから 投稿者:久 投稿日:12月26日(金)10時12分43秒
まず考えるべきことは、なぜ、何のために本作りをするのか、という基本的なコンセプトをみんなで固めること。そして、それを凝縮したのが本のタイトルであり、テーマだ。
最初に議論すべきことは「私たち」=那覇高25期は「誰なんだ」というアイデンティテイを見つけることだと思う。つまり1953〜4年に生まれ、60年代に育ち、1972年という社会が反転した年に飛び出した世代であること。わが国の人口構成の頂点にある1947年生から始まるベビーブーマーの最後とみるか、次の世代の先頭とみるか、境目であるのは間違いない。卒業の時期にあさま山荘事件があり、かつての政治的な熱い運動の衰退期に進学したり社会にでたり、で明らかに「ゼンキョートー世代」とは違う。その後2度のオイルショックがあり極端な就職難に苦しんだのもわれわれだ。
この30年、日本人全体の価値観がどんどん変貌した。その中で、それぞれ違う道を辿っていつのまにか半世紀倶楽部に。それぞれのヒストリーがありストーリーがあり興味深い。最近、TAKIくん、かっぽーくんが紹介した27期の掲示板を覗いてみたけど、明らかに人種が違うな、と思っているのは僕だけだろうか?
そこで、みんなでどんな子供時代(B円やスージーグぁーの思い出など)、中学・高校時代をすごしてきたのか、(流行った歌でも映画でも・・・)共通なものを掘り起こしながら、それらが、沖縄の戦後史の中でどんな位置なのかを調べ、1972年3月までの僕らの「年表」を作成しよう。
そして、その後は、それぞれ723通りの人間ドラマの展開ではないだろうか。
【7】どちらも(何でも)有り! 投稿者:なおと〜 投稿日:12月26日(金)08時17分31秒
『半世紀本』の内容についてですが、
1.世間に発信する内容となると、それぞれの専門分野とかライフワーク的なものになりそう。
2.仲間内の話題内容となると、趣味、紀行文、詩、小説、童話、随筆風なものになりそう。
どちらも(何でも)有り!で、いかがでしょうか?(ジャンル別にまとめてもよいし・・・)
【6】再び,タイトルについて 投稿者:H 投稿日:12月25日(木)17時45分57秒
かっぽー:「副題は、美しい50代:・・・」
あのー私がお願いしたのは,「書店に並んでいたら,思わず手にしたくなりそうな」タイトルであって,「思わず石を投げたくなるような」ではないので,念のため,つっこんでおきます。
かっぽー:「巻末に、掲示板で生まれたユニークな話題を掲載しては?」
内輪向けなら,さらにCDとか付録に付けて,宮良のギターや合唱部OBの歌や,備瀬の新作童話の読み語り,などいろいろ考えられますね。その場合は,「美しい50代」のタイトルもアリでしょう。世間にさらす(発信する)ものにするのか,仲間で作って読んで楽しむものにするのかが分かれ目ですね。
【5】何か大変な事になりそうな気配が 投稿者:かっぽー 投稿日:12月25日(木)17時15分34秒
やはりカリーさんの「半世紀クラブの半生記」がうまくフィットしているのでは。
(副題は、美しい50代:那覇高25期生からのメッセージ)
巻末に、掲示板で生まれたユニークな話題を掲載しては?(藤田、多喜への感謝を込めて)
【4】カリー企画について 投稿者:H 投稿日:12月25日(木)14時37分56秒
いくつか考えておかなければならないと思うことをメモしてみました。
【出版の目的と内容】
まずは,何のために,誰が読むことを想定して出版するのか,ということをはっきりさせておきたいですね。カリーの「先の世代や後の世代に、良かったことへの感謝、伝えるべきもの、あるいは本当の反省記になってもいい出来事などをまとめて出版」という言葉から,私は,「各人が歩んできた半世紀をベースにして,社会に関すること,専門とする分野に関すること,人生一般に関することなど,その人が自由に選択したテーマで綴ったエッセイ集」を「一般の読者を対象にして」出版するものと解釈していますが,そんな感じでよろしいでしょうか。
【出版の形態】
一般の読者を対象にするとしても,出版社から出してもらって市販してもらうのか,自費出版とするのかといったことを考えないといけないですね。「売れるものを」ということになるとかなりプレッシャーもありますし,引き受けてくれる出版社があるかどうかという問題もありますが,そのあたりの見通しはどんな感じですかね。
【執筆者の選定と作業の進め方】
出版の形態にもよりますが,こちら側で中心となるメンバーによって「実行委員会(または企画委員会,編集委員会)」を作る必要がありますよね。カリーをリーダーとして,沖縄在住の方々にお願いすることになると思いますが,掲示板やメーリングリスト等でなら,離れていても協力できます。いずれにしても,同期のごく一部の人だけで,多くの人が知らないうちに進められていた,執筆者も偏っていた,話も聞いていなかった,というような事態は避けたいですね。
といろいろありますが,まずは掲示板で,面白そうなタイトルを出し合ってみませんか。書店に並んでいたら,思わず手にしたくなりそうな,魅力的なタイトルがあるといいですよね。それが企画の推進力にもなるでしょうし。
【3】B円の記憶 投稿者:H 投稿日:12月24日(水)16時32分57秒
カリーの提案に刺激されて,私たちの生きた50年というものを,しばし振り返ってみました。復帰前の最後の卒業ということは,高校の卒業とドルから円への通貨の切り替えがほぼ同時期であったということ・・・等と考えていて,ふと子どものころのB円(B型軍票)の記憶がよみがえりました。
調べてみると,
▼1958年9月15日「B円通貨から米ドルへ切替え」公布。
とありますので,私たち(のうち,当時すでに沖縄にいた人)は4〜5歳頃までB円を使っていたことになります。1ドルが120B円だったとのことなので,B円からドルへの切り替えは,ほとんど「1B円→1セント」という感覚だったのでしょう。5円とかもらって喜んでいたような気がします。もっと鮮明な記憶をもっている人いますか?
カリー提案の本に,上記のような,私たちの生きた時代についての全般的な解説が初めのほうについているといいなぁと思いました。(それが書けそうなのは,カリー,久,ノブヒロあたりか。)
【2】賛同します 投稿者:H 投稿日:12月24日(水)15時46分17秒
カリーの勢いある書き込みにこころ動かされ,即座に賛同の声を上げます。
「25期は新制那覇高になって四半世紀の限定版区切り卒業生」であると同時に,最後の「琉球政府立那覇高等学校」の卒業生でもあります。企画内容については皆で検討することにして,ともかく記念になる一冊を作りましょう。
【1】罵詈雑言 投稿者:カリー 投稿日:12月24日(水)15時24分53秒
「半世紀クラブ」!すばらしい名称ですね。希望が持てる響きだし、実際、ケイさんの「なんだか50代は素敵!」ということが、これからの明るい生き方を示唆しているような…。また、我々25期は新制那覇高になって四半世紀の限定版区切り卒業生なんですね。私の駄洒落も親父ギャグ的なものがありますが、「半世紀クラブの半生記」提案。半世紀クラブの面々が執筆し、先の世代や後の世代に、良かったことへの感謝、伝えるべきもの、あるいは本当の反省記になってもいい出来事などをまとめて出版するということです。装丁、内容、字数、締切りなど早めに企画を立てて、立派なものを作りませんか?これだけいろいろな人材が揃っている25期です(今朝の宮里民子さんのも見ましたよ)。困難であってもやり遂げること、けっして半誓記、半醒記、半成記にならないように。反歳記、範聖記になるようなもの、がんばろうぜ。いないなら、一人だけでもやるカリー。この掲示板からするとそれはないな(書き込み多くて、回転速くて、なかなか前の書き込みまで見る時間がない、ご無沙汰ー)。多すぎるかも、しかし、切れからすると50人限定?一人5(OR6)ページ分の250(OR300)ページが基本かな。